首を曲げたり背中を丸めたりする癖を直すよう同修に促す
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2024年10月3日】高齢の大法弟子の中には、多くの人が修煉の過程で大きな身体の変化を経験し、同年代よりも10歳、20歳若々しく見える人も少なくありません。しかし、一部の高齢の修煉者は、老化の兆候が顕著に表れ、特に首をすくめて背中を丸める姿勢が目立つことがあります。70歳の私もその中の1人です。

 その原因を探ってみると、旧勢力による妨害や迫害が関係していることがわかります。私は最近、師父がそもそも弟子の本体(身体)と心性を同時に変化・昇華させようとしたいのだが、旧勢力がそれを妨げようとしてることを悟りました。師父はより多くの衆生を救うために、その妨害を利用しています。私たちの本体が完全に変化しないのは、旧勢力の迫害が原因で本体がうまく変化できない一方で、私たち自身にもその原因があります。

 一つ目の原因として、法を学び、煉功を怠っていることが挙げられます。これにより本体の変化が妨げられています。中にはあまり法を学ばず、煉功も十分に行っていない人がいます。最近、私の家に来て法を学んだ「7.20」以前に法を得た首をすくめている同修は『轉法輪』を文章として読み切れず、発音も正しくありません。学歴が関係しているかもしれませんが、法をあまり学んでいないのではないでしょうか?

 私は一人暮らしで、真相を伝えて人を救い済度する活動以外では、毎日数時間、坐禅と法を学ぶことができますが、そのせいで動功をする時間が取れなくなっていました。さらに怠け心があり、動功をあまりやっていません。抱輪(第二式の功法)をするときは、両手を挙げて、全身が空っぽになり、存在がなくなってしまう感覚があります。1時間の抱輪はほとんど疲れないのに、あまり熱心に行っていませんでした。しかし、このことに気づいてからは、動功と静功の両方をやるようにしています。

 二つ目の原因は、法の学び方や正念を発する姿勢、煉功の姿勢が正しくないことです。これにより、身体がまっすぐな姿勢を保てていません。真相を伝える活動や、家事、子供や孫の世話、畑仕事、職場の仕事を終えた後は疲れてしまい、結跏趺坐(双盤)で法を学ぶときに前腕を脚の上に置き、大法の本を持って、リラックスして背中を丸めて学んでしまうことがあります。目がしっかり見えない時、頭が下がって、ほとんど「二つ折り」になってしまっています。正念を発したり、静功を行うときも同じ姿勢で、抱輪(第二式功法を煉功する)のときも顔が下を向いています。

 人間の骨格には可塑性があり、特に関節が多い部分に影響を受けやすいのです。煉功者の本体は変化していますが、表面にはまだ現れておらず、長い時間をかけると骨格が変形し、機(エネルギーの通り道)も歪んでしまう可能性があります。

 ある70歳前後の女性同修は、腰が約90度に曲がっており、歩くときにバランスを崩し、転んでしまうことがあります。五式の功法を行うときも、常に顔が下を向いています。正念を発するときは、両手を座禅の脚の上に平らに置き、顔が手に触れるほどになっています。彼女は「7.20」以前に法を得た人で、50歳頃までは非常に美しい女性でした。彼女は大法の教えを堅持し、邪党による不当な労働教養や迫害に遭い、逃亡生活を余儀なくされました。彼女は6〜7年間、農村で部屋を借り、寒い冬には暖房もなく、布団に潜り込んで小さなランプを頼りに法を学び続け、次第に腰が伸びなくなってしまいました。

 煉功の際には、師父の要求通りに行い、身体を正しく保ちましょう。頭頂抱輪や両側抱輪、手のひらを頭頂や両耳に向ける動作、球状や柱状の神通を加持する動作をきちんと行えば、腰をまっすぐに保てるはずです。私たちは真っ直ぐなのにどうして曲がってしまうのでしょうか? 確かに自分が十分にできていない部分があるかもしれません。

 首をすくめ、背中を丸める姿勢は、大法弟子の形象に影響を与えるだけでなく、真相を伝える活動にも悪影響を及ぼし、大法自体に悪い影響を与える可能性もあります。私の姉妹は5人いますが、全員が60〜70歳です。その中で私だけが背中を丸めており、真相を伝えるのに「気が引ける」状態です。

 まだ背中が曲がっていない人は気をつけて、既に曲がっている人は努力して正していきましょう。これを軽視してはいけません。旧勢力の妨害や迫害のせいにして済ませてはいけません。私たちは迫害に反対しなければならず、師父が定められた道を歩まなければなりません。もっと正念を発しましょう。大法は私たちの生命の根本から本体を変えていますので、家族の病歴に責任を押し付けてはいけません。自分が無視してきたことに注意を払い、できていなかったことをしっかり行いましょう。

 幸いなことに、私の背中はまだ崩れていません。正しい姿勢を意識することで、背筋を伸ばすことができます。今では、歩くとき、煉功のとき、正念を発するときに、正しい姿勢を保つように注意しています。顔を前に向けることができるようになりました。ある日、私は油条(中国の揚げパン)を注文しに朝食屋に行ったとき、店主が私に尋ねました。「前回油条を注文したのは、あなたの親戚ですか?」と。私は「私です」と答えました。店主は笑って「前回は年老いた女性だったけど、あなたはまだ中年ですよ」と言いました。背中を丸めていたときと、姿勢を正したときでは、1カ月も経たないうちに、これほどの違いがあったのです!

 長い間、背中が曲がって固定されてしまった場合、それを変えるのは確かに難しいです。しかし、私たちには師父がいてくださり、法があるのですから、師父が助けてくだされば、どんな奇跡も起こり得ます! 私たちは正そうとする心を持たなければなりません。前に述べた90度に曲がっていた同修は、転んで腰がかなりまっすぐになり、正念を発するときには胸と脚の間に手を立てることができるようになりました。これこそが神の奇跡です!

 これは私の現段階での悟りであり、法に沿っていない部分があれば、どうぞご指摘ください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/17/480326.html)
 
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