文/米国の大法弟子
【明慧日本2024年10月15日】(前文に続く)
四、師父が私の恨みを取り除いてくださった
党文化の影を捨て去る期間に、もう一つ出来事がありました。実は師父が私に気づかせてくださったことで、それは、旧勢力の按排を否定するというものでした。なぜなら、この出来事を通して、私は旧勢力が私に対してどんな按排を行っていたのかを悟ったからでした。
7月下旬の頃、父親と意見の食い違いが少しありました。具体的には、父親の長年の修煉状態が、私や周囲の人々にどう影響しているかについて、私が不満に思っていたからです。このことで私は感情的になり、心性が乱れ、約2日間の影響を受けました。しかし翌日、師父は慈悲深く、私の母親に特別に私と話し合うように按排されました。師父は、私がまだ理解していないと見抜かれたからです。そこで私は母親に自分の考えを説明し、母親も私の考えに一理あると言いました。しかし、母親は私がその場で父親に意見を言うべきだったと指摘し、私は「父は私の意見を聞かないだろう」と反論し、法を引用して様々な理由を挙げました。その後、母親は部屋を出て行きました。しかし、母親が部屋を出て行った後、私は突然、自分が何か間違ったことをしているという強い違和感を感じました。具体的にどこが間違っているのかは分からなかったのですが、考え抜いた結果、私は法理を使って父親への怨みや不満を隠蔽しようとしていたのだと気づきました。法理は確かに正しいです。しかし、法理で得た知恵を使って他人の間違いを攻撃することは、まず第一に善ではありません。さらに、私の出発点は真・善・忍ではなく、私が話した内容の根本には、父親への怨みや不満があったのです。そのような根本を持つ状態で、どんなに正しく、理にかなったことを言っても、それは間違いです。
深く考えてみると、私の不満は、父親が解放された後ずっと私にしてきた教育方法に根ざしていました。成長するにつれて、その不満は徐々に積もり、恨みへと変わっていきました。この恨みは、他の小さな負の感情と結びつき、壊滅的な魔性へと成長したのです。その魔性は、私の中で大きくなりすぎて、もはや消し去ることができないほどになっていました。私は、まるで時限爆弾を抱えているかのように、その魔性を抑え込むしかありませんでした。しかし、完全に抑え込めたわけではありません。その魔性は、私の性格を変え、自暴自棄にさせ、私を真・善・忍の道から遠ざけようとしてきました。その魔性の存在に師父が気づかせてくださった時「真・善・忍」の原則に反するこの邪悪なものを、私は自分の心から絶対に排除しようと決意しました。そのためには、まず、父親への恨みという執着を解かなければなりません。つまり、父親とこの問題について話し合う必要がありました。同時に、私は、この恨みは旧勢力が父親を利用して、長年私を苦しめてきた結果だと気づきました。もし、今後も修煉を続けたいのなら、この旧勢力の按排に対抗し、師父が教えてくださった「真・善・忍」の心でこの問題を解決しなければなりません。そして、その魔性は、私との対話に恐怖を感じていました。対話の前には、心臓がドキドキし、手が震え、対話を遅らせようとする気持ちが湧き上がりましたが、私はそれを打ち消しました。なぜなら、恐れているのは私ではなく、その魔性だと分かっていたからです。その後、父親も、この恨みは私、あるいは父親1人だけで解決できるものではなく、お互いが心を許し合うことで初めて解決できるのだ、と言いました。
五、師父が夢を通して私に悟りを与えてくださった
師父は、私にさらに二度、非常に特別な夢を見させてくださいました。それは、主元神が他の空間で直接体験するような種類の夢で、その二つの夢は私にとって非常に大きな影響を与えました。
ある夢の中で、私はまるで博物館を巡るように宇宙を旅しました。そこには、滅亡した文明の遺跡や残骸が数多く存在していました。そして、その背景には恐ろしい事実が隠されていました。いくつかの文明は、ある種の特殊なウイルスによって滅亡していたのです。一度そのウイルスが発見されると、その文明は必ず滅亡し、救いようがなかったのです。
私が自分の星に戻ると、他の住民たちは私が感染していることに気づきました。そのウイルスは、感染者を起点にゆっくりと広がり、触れたもの全てを死滅させる恐ろしいものでした。コンクリートや植物までもが、まるで死んだサンゴ礁のように真っ白に変色し、生命の息吹は全く感じられませんでした。感染者である私は、痛みも苦しみもなく、ただ文明の崩壊を見届けるだけでした。それは、希望のない絶望的な状況でした。星全体の住民たちは、この惨劇を逃れるため、大移動を始めました。
夢の中で部屋に戻り、絶望的な状況から逃れるために眠ろうとした時、母がソファに座っていました。「みんな逃げているのに、どうしてここにいるの?」と焦る私に、母は「外は良い天気よ、遊びに行きなさい」と穏やかに言いました。窓の外は、激しい嵐に見舞われていました。その言葉のギャップに戸惑っていると、私は自分が修煉者であることを思い出しました。そして「修煉者の心には光があり、絶望はなく、希望に満ちている」というお言葉が、私の心に響きました。そして、この絶望的な状況は現実ではなく、私が見ている夢に過ぎないのだと気づきました。その瞬間に、私は現実の世界に目覚めました。
別の夢では、父と中国の家に住み、商売をしているという設定でした。父が、金を持ち逃げしようとした泥棒を見つけました。その泥棒は寝ていました。泥棒は「ちゃんと働いた」と言いましたが、泥棒が本当に働いていたかどうかを確かめるための化学の質問に答えられず、嘘だと確信した私たちは、彼を追い出そうとしました。その時、私たちの態度はとても横暴でした。泥棒は私たちに向かって怒鳴り始め、私は彼に武器を出されたらどうしようかと不安になり、キッチンから鍋を持ってきて威嚇しました。しかし、泥棒もナイフを取り出し、私たちは互いに刃物を振りかざし、もみ合いました。その時、私の刃物が彼の体に触れた気がしましたが、どこを傷つけたのかはわかりませんでした。彼は次第に力がなくなり、倒れてしまい、私は自分が人を殺そうとしていたことに気づき、激しい後悔を感じました。私は大泣きし、深い悲しみと後悔に打ちひしがれました。目の前で生命が失われていくのを止められなかったという無力感が、私を苦しめました。私は師父の名を呼びながら、彼に死んでほしくないと願いました。自分の身を守るために人を傷つけてしまったことを深く反省し、自分の生死は師父が決めることだと悟りました。彼の体を裏返すと、お腹が切られていましたが、出血はほとんどなく、内臓は傷ついていませんでした。『轉法輪』の「内臓の隙間部分に血管はありません」という教えを思い出し、彼にそれを伝えました。彼を助けながら救急車を呼ぼうとしましたが、電話は繋がりませんでした。すると、突然米国の消防車が2台現れ、2人の消防員が降りてきて、何も言わずにその人を担架に乗せて運び去りました。その消防員は、スマートフォンをいじりながら「君の言う通りだ、内臓の隙間部分には血管はない」と私に言いました。意識が戻る前に、師父は私に映像を見せました。それは、私が鍋を持っていない場合、何も起こらなかった、という映像でした。
今の私の次元で認識できることは、師父が私に大きな問題として指摘されたのが「自我」ということです。師父は「自我」について多くのことを説かれました。今の私の次元で、師父が私にこの夢を見せた意味の一つは、生命は生まれながらにして徐々に「自我」へと向かっていくということだと理解しました。そして「自我」へと向かう過程は、真・善・忍から離れて破滅へと向かう過程です。言い換えれば、夢の中の人のように、少しずつ命が失われていくような状態です。そして、どんな行動にも「自我」という影があるのではないでしょうか。つまり、師父が人を救うことをお手伝いする過程においても、夢の中で生命が消えていくのを無力に見るような気持ちで、私は人々や自分自身に向き合っているのではないかということです。
このような機会を通して師父への感謝の気持ちを表し、この体験について書かせていただきました。私は言葉では師父への感謝の気持ちを十分に表現できせん。また、同年代の大法弟子にとって、少しでも励ましになればと思います。
当時の計画出産政策と大法に対する迫害という状況下で、私が生まれたこと自体が師父の慈悲によるものです。生まれてから今まで、どれだけ修煉ができていようとも、振り返ってみると、師父が常に私を守ってくださっていたことが分かります。
今までお話してきた認識は、私の今の次元であり、無辺の大法からほんの少し認識できた範囲のことにすぎません。不適切なところがあれば、同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いします。
(責任編集者:文謙)
(完)