文/カナダの大法弟子
【明慧日本2024年10月21日】私は1993年に長春で法を得た大法弟子です。今は海外で同修と共に毎日三つのことを行っています。私は、当初法を得た時のいくつかの経験を書き出して、師父への無限の感謝を表したいと思います。
1992年10月、体調が良くなかった三番目の姉が、精神的に元気になり、見た目も若返ったのを私は目にしました。彼女は法輪功を修煉したからだと言いました。私は32歳から、リウマチ性心臓病、リウマチ性関節炎、高脂血症、動脈硬化などの病気を患い、仕事ができず、病気休暇で家にいました。吉林省のあらゆる大病院を訪ねましたが、どれも効果がありませんでした。姉の話を聞いて、私も法輪功を修煉したいと思いました。
1993年の春、家の近くの勝利公園へ功法を学びに行きました。師父は私の動作を正してくださいました。煉功が終わって、自分の体の状態を師父に話すと、師父は私の体を調整し、「もう大丈夫です」とおっしゃいました。その時、私は何も分かっていませんでした。周りにいた学習者たちは急いで「『もう治りました』ということですよ」と言いました。家に帰る途中、皆が「まず信じることが大事です」と教えてくれました。また「悟りも大切だ」と言われました。私は功法の修煉には信じることや悟りが必要だとは分かりませんでしたが、皆がそう言うので、きっと何か理があるのだろうと思いました。次の日もまた行き、煉功が終わると、師父は再び私の体を調整してくださいました。そして私は「もう治りました」と言いました。その夜、家で功法を修煉していると、全身にたくさんの汗が出て、床が湿ってしまうほどでした。寝ている時にも汗をかき、寝具がびしょ濡れになりました。私は何が起きたのか分かりませんでした。夫は「先生に聞いてみなさい」と言いました。
3日目、公園に向かうと、体がとても軽く、浮いているような感じがしました。普段感じていた病の苦しみが消えていました。師父にこのことを話すと、師父は「あなたはもう治りました」とおっしゃいました。
何年も患っていた病気で、多くの大病院にも通いましたが治りませんでした。しかし、煉功してわずか3日で全てが治りました。私は感激し、誰にでもこの功法を伝えたいと思いました。それ以来、30年以上もの間、私は非常に健康で、薬を一粒も飲んだことがなく、注射も一度も打っていません。
師父が法を伝え始められた頃は、とても大変だったと思います。毎朝公園に行って学習者の動作を正してくださっていました。初めて行った日に、師父は私が新しく来たことを知っておられました。
1993年、師父は吉林大学で講習会を開き、私たちの時期には連続して3つの講習会が開かれ、私と家族はそれぞれ異なる講習会に参加しました。ある日の昼、非常に暑い日でしたが、私がチケットを買いに行った時、師父が笑顔で外におられ、私にチケット窓口の場所を教えてくださいました。室内では2人の学習者がチケットを売っていました。
講習会が始まる時、師父は入り口で一人ひとりを迎えておられました。当時、私たちは何も知らず、ただ「この師父は親しみやすく、いつも笑顔だな」と思っていました。会場内では、話している人や、子供が走り回ったり、うちわで仰いでいる人もいて、講義が始まろうとしているのに、誰も静かにしようとはしていませんでした。師父は笑顔で「今日は本当に暑いですね。うちわをしまって、静かにしてみてください。そうすれば涼しい風が吹いてくるのを感じるでしょう」と言われました。信じた人たちは本当に涼しい風を感じ、信じなかった人たちはますます暑くなってしまいました。その後、皆が理解してからは、そういった現象はなくなりました。
1994年、私たちは新しい住宅団地に引っ越し、勝利公園が遠くなりました。私は家の近くの小さな公園で煉功場を作りたいと思い、ちょうど同修のAさんやその家族も同じ考えだったので、この修煉の場所ができました。私たちは毎日決まった時間に煉功し、毎朝5時から6時、夕方は4時から5時まで行いました。最初は4人で始まりましたが、だんだん人が集まり、私たちはみんなに功法を教えました。当時はまだ初心者が多く、足を組むことができない人も多かったので、皆が主動的に朝2時に集まって煉功動作の練習をし、やがて全員が足を組めるようになりました。その後、私たちは法を学ぶグループも作り、毎晩7時半から法を学びました。
私たちの煉功場では、学習者同士の交流を実施し、A同修は私にその司会を頼みました。修煉を始める前は、何か発表をする時や、書かなければならない時、私はいつも後ろに下がってしまいました。ですが、この煉功場での最初の交流で、私は引き下がることができませんでした。教室が満員の人で埋まっているのを見て、私は自分に「怖がらないで」と言い聞かせました。交流会は成功裏に終わりました。A同修の息子がビデオ撮影をしてくれました。ビデオを見返すと、壁に掛けられた師父の写真が手印を行っているのが見えました。それを見た皆は非常に感銘を受け、やる気が湧き、「私たちはしっかりやらなければならない」と言いました。後に、私たちの煉功場からさらに多くの煉功場が生まれました。
師父は私たちの煉功場を2度訪れてくださいました。皆の煉功が影響しないように、師父は一人の輔導員にだけ声をかけられ、煉功した後でその輔導員が皆に「師父が来られました」と伝えました。皆が大いに励まされました。その後、私たちも、他の人の煉功を邪魔せず、用事は煉功した後に話すということを学びました。
師父が功法を伝えて下さっていた時は非常に質素でした。事務所もなく、輔導員に会う時は、同修の家で行われました。師父はいつも時間通りで、一秒も遅れる事はありませんでした。
師父は輔導員に「長春の大法弟子が率先して法を暗唱する活動を始められますか」と言われました。私たちは戻ってみんなにこのことを伝え、A同修はまず小グループに分かれて、一つのグループが一つの段落を暗唱し、小グループが十分に暗唱できたら、修煉場所で全員で暗唱しようという考えを提案しました。補導員は各グループに分かれて、暗唱の進み具合を確認しました。グループに向かう途中、私は空に法の煉功音楽が鳴っているのを聞き、師父が私を励ましてくださっていると感じました。その時は、朝に煉功する時、暗唱できないところはとにかく努力し、食事をしている時や寝ている時にも暗唱のことを考えました。そのやる気で、誰もが後れを取りたくないと思っていました。
ある清掃員たちが法輪功を学びたいと言ってきました。私たちは毎朝早く、清掃員たちと一緒に仕事を終えた後、師父の講法録音を流し、彼らに功法を教えていました。4日目のことです。私はいつも通り、早朝に起きて煉功し、午前2時に下に降りて同修と合流しました。夜が明けておらず、階段には全く明かりがなく、最後の数段を降りる時、私は階段を踏み外し、左脚の上に全身で倒れ込んでしまいました。同修が音を聞いて駆けつけ、私が地面に座っているのを見て、「大丈夫ですか?」と聞きました。私は足首に痛みを感じていましたが、暗くてよく見えませんでした。私は「大丈夫です」と言って、そのまま出発しました。清掃員たちと一緒に仕事をしている間、足首が痛んで追いつけませんでしたが、私は師父の法『忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる』(『轉法輪』)を心の中で念じて、何とかやり遂げました。夜が明けると、足首がひどく腫れているのが分かりました。皆が休むように言いましたが、私はほうきを杖代わりにして歩きました。ふと顔を上げると、道路の向こう側に白ひげを生やした老人が座っていて、足を組み、杖を手に持ちながら私に向かって微笑んでいました。よく見直すと、その姿は消えていました。これは師父が私を励ましてくださっているのだと感じ、私は大丈夫だと思いました。そして、通常通り皆と一緒に仕事をし、功法を教え続けました。9日間の講習会が終わる頃には、足も治っていました。
1998年のある日、皆が「師父が戻ってきた気がする」と言っていました。同修の何人かが私にそのことを聞きましたが、私は「分かりません」と答えました。私自身もその感覚はありましたが、特に誰にも知らせませんでした。午後5時半、私は7時半にシャングリラホテルで会議があるという通知を受けました。会場に到着すると、まだ時間が早かったので、前の方に座って待っていました。誰かが「7時半になった」と言ったのを聞いた直後、「師父が来られました」という声が聞こえました。私たちは師父が来られるとは思っていませんでした。気づいた時には、すでに師父が会場の中央に歩いておられました。
師父は5時間以上にわたって講義をされ、水を一口も飲まれませんでした。その後、『長春輔導員法会での説法』が発表されました。時間が非常に遅くなってしまい、師父が会場を去る時には、会場の右側を通って皆と一人一人握手されました。私はその時、ただ夢中で拍手し続け、気がつくと師父が手を差し伸べてくださっていたので、ようやく反応して握手をしました。その日、私たちは名残惜しそうに師父がエレベーターに乗られるのを見送りました。師父が去られた後も、私たちはしばらく会場を離れることができませんでした。
以上はすべて私の実体験です。私は今年74歳になり、大法を修煉して31年になります。この間、私は自分がまるで生まれたばかりの子供のように、何も分からなかったことを実感しました。師父が私に歩き方、人間としての在り方、善良な人間になる方法、修煉とは何か、どうすれば向上できるか、そしてどうすれば基準を達成できるかを教えてくださいました。私たちは真剣に法を学び、修煉し、本当に実践しなければなりません。そうすれば、神の奇跡があなたの周りに現れるでしょう。修煉の過程で、私の周りには数え切れないほどの奇跡が起こりました。どんな言葉でも、師父への感謝の気持ちを言い表すことができません。