明慧法会|師父についてきた28年間 ​(1)
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文/長春の大法弟子

​ 【明慧日本2020年12月9日】

  ​尊敬する師父、こんにちは!

  同修の皆さん、こんにちは!

​ 1992年5月13日、李洪志師父は長春市第5中学校で第一期法輪功伝授クラスを開かれ、​私は幸運にも第一期クラスに参加しました。その日から今日まで師父の指導に従って28年も修煉してきました。第一期クラス​の時、第5中学校の教室の参加者は200人未満でしたが、​現在、法輪大法は全世界に広まり、無数の修煉者を惹き付けています。

​ ​1、関を乗り越える

 ​私は今年82歳で、84歳の夫と息子2人、娘1人がいます。​修煉する前、大小さまざまな病気を15~16種類患っていましたが、修煉してから半年も経たないうちに全部無くなりました。各種の病気の中で一番ひどいのはリューマチで、足は曲がっていて、ほぼ感覚が無く手術をしたこともあります。漢方薬を数十キロ単位で買って煎じ、長年飲んでも効きませんでした。第三期クラスに参加してから7、8回も足に業力の消去を経験し、毎回40度以上の高熱が出て、足に大きな紫色の水ぶくれができました。それ以来、足に少しずつ感覚が戻ってきて、とても健やかに歩けるようになりました。坐禅を煉った時、最初は入定できなくて、座ると頭の中で雑念が走馬灯のように回ります。徐々に深く入静できるようになって、体が宙に浮いたことも経験しました。それはなんと素晴らしい体験でしょう、卵の殻の中に座るよりも心地よい感じでした。

 ​迫害が発生してから、​2014年に大きな難に遭いました。今度は業力の消去ではなく、旧勢力の妨害による命取りの難でした。あるデパートで真相を伝えた時に転んで、​次の日から起きられなくなり、20日以上寝たきり状態でした。トイレには這ってしか行けず痛くて泣いていました​。​子供たちに病院に運ばれて検査をすると、腰椎椎間板ヘルニアで手術を受けるようにと言われました。手術を拒否して、家に帰って煉功して乗り越えようと​私は子供たちを説得しました。

 立ってもいられない状態で、​壁に寄りかかって3分、5分立って煉功して、力が尽きたら横になって休憩し、またゆっくり起きて煉功を続けます。このように壁に寄りかかって毎回2分、3分と煉功の時間を延ばしだんだんと煉功時間が長くなりました。​その後、壁に寄りかかると腕と足がけいれんするようになり、これは、壁にもたれずに正しい姿勢で煉功するようにと師父がご教示されていると思いました。​頑張れば壁から離れても立つことができるようになり、立つ時間も長くなりました。​1年後、動功を1時間やることができるようになりました。​今は完全に治り、腰も真っすぐ伸ばせるようになって、私はまた出かけて真相を伝えることができます。

 2、天安門広場に行く

 ​1999年7.20以降、法輪功は残酷な迫害に遭い、我々は吉林省庁前で座り込んで法輪功の無実を訴えました。​こんなに偉大な師父、人々に幸福と喜びをもたらして下さった立派な功法が理不尽に誹謗中傷されたことに心が痛いです。

 警官が来て、バスを使って私たちをアリーナに運びました。アリーナに着いてみると、吉林省各地から多くの同修が来ていました。その時、空に大きな法輪がぐるぐる回っている光景を多くの人、警官も見ました。私たちの行ったことは​正しかったので、法輪が現れて大法弟子たちを励ましているに違いありません。

​ 迫害は続いており、北京に行って陳情し、師父の潔白な名誉を回復してもらおうと皆で決心しました。9月に、私たち数人が北京に行きましたが、北京の同修と連絡を取れず、身分証明書も持っていなかったため旅館にも入れず、数人は公園で野宿しました。9月の北京は夜になると、地面に霜が降り、とても冷えます。しかし我々はオンドルの上に寝ているように暖かくて、ぐっすりと眠れ疲れも取れました。​それはきっと、師父がその大きな手に私たちを載せて、私たちを見守って下さったと思うと、今でも涙が出ます。

​ 翌日、同修と連絡が取れて郊外にある同修の家に行きました。その家は庭付きで大きな部屋が四つあり、各地から来た130人ほどの同修が泊まっていました。​家主は大法弟子で、とても親切に皆を接待しました。​ここは人が多すぎるので、数日経って私たちはまた別のところに移されました。2軒目の家で22日間泊まり、​各地から来た同修たちと毎日陳情に行きました。最後に手錠をかけられて長春に返されました。地元の住民委員会の職員が「共産党員は法輪功をやることは禁じられています。きみは党を選ぶか、それとも法輪功を選びますか。法輪功を選ぶなら共産党組織から除籍しますよ」と言い、私は「除籍というよりも、今から私は自ら脱党します」と言って「脱党申請書」をその場で書きました。

 その後、地元公安局、派出所、住民委員会の監視を振り切って​他の3人の同修ともう一度北京へ行きました。​4人で2組に分かれて天安門広場に行き、私は横断幕を腕に巻き、片方をピンで袖に固定しました。しかし周りに多くの警官がいたので横断幕を開けたらすぐ奪われると思い、横断幕を地下鉄の出口の柵に掛けて、風に飛ばされないよう横で見守っていました。大勢の人が横断幕に書かれた「法輪大法は素晴らしい」という文字を見ており、​警官が駆けつけてきましたが、誰が掛けたのか分かりませんでした。大法弟子が創作した歌『天安門広場よ、教えてくれますか』を聞くたびに、北京に行った時のことを思い出すと涙が出てきます。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/27/415601.html)
 
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