文/中国本土の大法弟子
【明慧日本2024年11月15日】車で移動するとき、人々は毎回安全であることを祈ります。ここで皆さんに安全な旅の秘訣を共有したいと思いますが、その前に、私が経験したいくつかの危険な出来事と最終的に無事だったストーリーをお話しし、この秘訣の真実性を証明したいと思います。
私は農村出身で、以前、他人に借金を返してもらえず、腹が立って相手の息子を誘拐して返済を迫った結果、重い刑を言い渡されて刑務所に入れられました。1999年の「7.20」に中共が法輪大法を迫害する前、私は刑務所の中で法輪大法を知り、修煉を始めました。当時、私は法輪功の本を数冊読んだだけで、「真・善・忍」の教えに従って自分の心を修めてはいましたが、学習者と接する機会がなかったため、五式の功法をすべて習得していませんでした。大法への迫害が始まった後、修煉を続けることを選択した私は、何度も大法弟子を迫害する刑務所「黒巣」に移送され、数年間も迫害を受けて、刑期が満了してやっと刑務所から出ることができました。
出所後、私が直面したのは生活の問題でした。最初はいくつかの簡単なビジネスから始めましたが、どれもうまくいきませんでした。昔はタクシー運転手をしていたので、その仕事に戻ろうとも考えましたが、手続きが面倒だと思い諦めました。この数年、貨物車での運送業を行う人が多く、収入もタクシーより良いので、私は貨物を運ぶことに決めました。大型車の免許を取得した後、資金も運送経験もない私は安い中古トレーラを買って、地元での短距離輸送から始めました。
一、安い中古車で一家を養う
私が手に入れたのは古いセミトレーラで、価格は廃車より少し高い程度です。短距離をしばらく走ってみたところ、車の状態はまずまずだったので、少し遠いところまで走ってみても問題ありませんでした。徐々に距離の長短を気にせず、注文があれば何でも受け入れ、値段が数十万も違う新車と同じくらい稼げるようになりました。その収入で私は一家の生計を支え、後に家の建て替えも行いました。古いトラック1台で家族を養えるなんて運がいいと知人から言われましたが、私はすべてが修煉による恩恵だと考えていました。『スイス法会での説法』の中で、師父はこのようにおっしゃっています。「大法弟子としてあなたが生活できるようにしてあげなければなりません。そういうことになります」
二、貨物車の進行方向の制御不能が常に発生する
武漢肺炎が流行した後、中共による全国的な封鎖管理、ロックダウン、健康コード、隔離などが行われる中、多くの運送業者はレッドコードによる強制隔離を恐れて、自主的に運送を取りやめました。その結果、産地では貨物が山積みとなり、市場では品薄になっていました。
ある日、地元の果物代理店から、500キロ以上離れたある市までリンゴを運ぶ依頼を受けて、私は行くことを渋っていました。一つは、深刻な感染状況の中、家族は私が無事帰宅できないのではと心配していました。もう一つは、年末ごろから車のステアリングシステムの調子が悪く、ハンドルの空回りが激しいと感じていて、年明けてから修理工場で点検してもらってから動こうと考えていました。しかし、この代理店は車が見つからず、どうしても私に行ってほしいと頼んできました。修煉者として、できる限り人を助けるべきだと考えた私は、再度修理工場に電話して車の状態を確認したところ、特に問題はないとの回答をもらいました。そこで、しばらく手伝うことにしました。
市場で商品が不足していたため、私は毎日リンゴを積んである都市の市場へ運び、商品を降ろした後は空車で戻り、翌日に再び同じルートを走り、一往復でおよそ1,000キロの距離でした。そのうち、車のハンドルの空回りがだんだん大きくなったと感じ、半周ほど余計に回さないと方向転換ができなくなりました。毎日時間に追われていて、あまり深く考える暇もなく、修理工場では「問題ない。古い車だから遊びが大きいのも当然だ」と言われたので、そのまま走り続けることにしました。8日目の夜、空車で村に戻ってきたとき、村の入り口に設置されたコロナ対策検問所にいる防疫係がもう寝たので、彼を起こさず、夜が明けてから村に入ろうと考えた私は、車を検問所近くに停めて、車内で横になりました。そのときふと、私が運転しているこのタイプの車の方向転換において、問題が起きやすい部位があると聞いたことを思い出して、車から降りてその箇所を確認してみることにしました。
車の下に潜り込み、携帯電話のライトでその箇所を照らしてみると、私は呆然としました。元々、ハンドルの操舵軸と前輪のステアリング機構をつなげている2枚の鋼板は、4つのボルトで固定されていて、ハンドルの操舵軸が回転すると、ボルトが下のステアリング機構を動かし、前輪の方向を変える仕組みになっています。今、4つのボルトのナットはすべて無くなっていて、ボルトだけが穴の中に挿さったままで、うち2本のボルトは半分が外に出ていて、半分が斜めに穴の中に刺さっていました。もう少しボルトを引き出せば、ボルトはネジ穴から外れてしまう感じでした。ハンドルに遊びが出たのは、方向を変える度に上の鋼板が回転し、下の鋼板がボルトの緩みでうまく回転しないからです。この数日の高速道路での走りを考えてみれば、車を飛ばしながらの追い越し、カーブ、方向修正の度、緩くなった4本のボルトが上下左右に激しく動き、方向を変える度にボルトが外れる危険がありました。それでも、ボルトが抜け落ちることはありませんでした。その瞬間、以前聞いたことのある、このタイプのトラックが方向転換できないがために度々事故を引き起こしていたことを思い出し、背中が冷や汗でびっしょりになりました。一度でもボルトが抜けたら、方向が完全に失われてしまうのです。この数日で合計7~8,000キロを走りました。高速道路上の時速は80~90キロで、十数トンもの貨物を積んでいて、もし方向を失ったらどうなるのでしょう。崖にぶつかる、谷に落ちる、他の車に衝突するなど、車が壊れて人命が失われる危険に晒されていたのに、私は全く気づいていませんでした。
三、夜間の居眠り運転による事故
長距離運転を始めたばかりの頃、夜間の運転に慣れておらず、休憩も適切に取らなかったため、私は何度もぼんやりと居眠りしてしまい、ヒヤリとすることがありました。運んでいる貨物はほとんどが新鮮な果物や野菜で、早朝の市場に届けなければならず、時間に追われていました。昼間に収穫、梱包、積み込みを終え、夜通しで数百から千キロ近く走り、翌朝には市場に到着する必要がありました。私は荷主のことを考えて、朝市のオープン前に貨物を届けることができるよう、運転中に眠くなっても無理をして走り続けました。安全運転を心掛けているつもりですが、長時間の夜間運転ではどうしても居眠りしてしまうことがありました。ぼんやりしていると、車が右に偏ってしまい、右に逸れた瞬間に目が覚め、急いでハンドルで車を戻しました。時には眠気がひどくて、車が何度も道を外れていて、顔をこすったり、何かを食べたりして、なんとか目を覚ましました。その後気づいたのですが、右に逸れるときは必ず右側に緊急車線があり、車が車線から外れてもすぐにはガードレールにぶつかることはないのです。一方、トンネル内や右側に緊急車線がない高速道路では、ぼんやりしているとき、車が左に逸れることが多く、道から外れそうになって目が覚め、すぐにハンドルを戻して運転を続けました。幸いなことに、毎回無事に目的地に到着することができました。考えてみれば、眠くなったとき、左に偏るべきか、右に偏るべきか分かるはずがないでしょう。車道から外れる度にすぐに目が覚めるのでしょうか? ある時、居眠りをしていると、前方の道路に車が止まっているのを見逃しました。気づいたとき、誰かに引っ張られたかのように左にハンドルを切り、ちょうど前方の停止車両を避けることができました。
しかし、毎回そんなにラッキーではなく、ある時、「ガシャン」と大きな音を立てて事故を起こしてしまいました。おそらく真夜中の1時か2時頃、狭い県道を走行していて、前方に大きな坂道がありました。坂を登る前に、まだ目が覚めていてギアを変えたのですが、坂の頂上付近で眠くなり、目を覚ました時には車の前方2メートルほどのところで、道が青い壁のようなもので塞がれているのが見えました。急ブレーキをかけたものの、間に合わず、車は「ガシャン」と大きな音を立てながら衝突しました。びっくりした私は落ち着きを取り戻しながらこう考えました。「これは相手の物を壊し、車のライトや前面も壊れたのかも」。車を降りて道路状況を確認してみると、行き来する両方の道路は村の鳥居を建造するために封鎖されていて、横に臨時の道路が設けられていて、そこを曲がらないと通れないようになっていました。周りを見渡して誰もいなかったので、私は急いで車に戻って車をバックさせ、右に曲がって新しい道を通り、大きな道路に戻って停車しました。再度車から降りて点検してみると、車両には何の損傷もなく、衝突した痕跡もありませんでした。道の真ん中に置かれていたのは青い鉄板のようなもので、衝突によって少し位置がずれただけで、元に戻せば問題はありませんでした。この事故は物的な損害を引き起こしませんでしたが、私は大きな教訓を得ました。もう時間に追われて無理な運転をせず、時間も睡眠もしっかりと取るようにし、二度と居眠り運転はしないと決心しました。
四、運転中に現れた執着心
中古のトラックをしばらく運転していると、だんだんと自分の車に自信を持つようになり、他のトラックや新車よりも自分の車の方が馬力があるように感じるようになりました。
ある日、長い坂道を登っていると、前方に私と同じタイプのトラックが見えました。車の年式もほぼ同じで、馬力も同じくらいです。このような状況は滅多にないことなので、絶対に抜かせてみせると思いました。そこで私は気合いを入れて加速を始め、2台の車の距離がどんどん縮まっていきました。私はますます興奮し、ついに2台の車の前方がほぼ並ぶところまで来ました。「あと少しで、私の車の方が前に出る!」と喜びの気持ちがピークに達したその瞬間、「バン!」という大きな音がしました。私は頭の中が真っ白になり、慌てて減速して路肩に停車しました。前方の車も停車してチェックを始めたのですが、あまりにも大きな音だったため、どちらの車に問題があったのか分からなかったようです。実は、その音は私の車の後ろのタイヤの破裂音で、サイドミラーで後輪から空気が噴き出しているのが見えていました。タイヤをチェックしてみると、やはり爆発していました。でも、タイヤはまだ新しいもので、天気も暑くなく、なぜこんなことが起きたのか不思議でしたが、その時、修煉者として内に向けて心性を修めてはじめて問題を解決できると思いました。振り返ると、追い越そうとする過程で、競争心、闘争心、顕示心、歓喜心など、さまざまな良くない心が露呈されていて、まさにこれらの心が問題を引き起こしたのです。私はすぐに悔い改め、「師父、私は間違えました。これらの良くない心を捨て、必ず改めます」と心からお詫びしました。
結局、車を修理に出して、タイヤを直してもらうのに1,000元以上かかりましたが、これはお金で買った教訓だと思いました。これは約3、4年前の出来事ですが、その後、運転する際はいつも修煉者としての穏やかな気持ちで運転し、争ったり、競ったりしないように心がけています。
五、荷物を降ろした後、車が頻繁にエンストする
やはり中古車のため、車内の配線のあっちこっちがかなり摩耗していました。ある時、2カ月の間に2回、突然の電力断絶でエンストする現象がありましたが、どちらも数秒後に元に戻りました。電気技師に修理を依頼したところ、「今はすべて正常に動作しているので、どこに問題があるのか特定できません。今はこのまま使って、ダメになるまで様子を見るしかないです。変えるなら全部の配線を交換しなければなりません。費用もかなりかかります」と言われました。経済的な理由で、結局そのまま使うことにしましたが、どうしても安心できませんでした。運んでいるのはすべて新鮮な果物や野菜で、積み込んだら時間を無駄にできず、道中、数時間から十数時間、長い時は40〜50時間かかることもあります。一車分の野菜が数十万元もするので、少しでも遅れると、大きな損失になります。その後、また2回も電力断絶でエンストが起こりましたが、幸いにもすぐに回復し、配送に影響はありませんでした。最後に荷卸しを終えて空車で駐車場に向かう途中、約4〜5キロの道のりで何度もエンストが起き、かなり苦労してやっと駐車場に着きました。幸い、荷物を降ろした後で急いでいるわけでもなく、やっと安心して電気技師に修理を依頼しました。修理にはほぼ1日かかり、3人の電気技師が入れ替わってようやく故障箇所を特定しました。もし荷物を満載した状態で高速道路でこうなったら、どうなっていたのでしょうか?
こうした不思議な体験は、車を運転してきた数年間に何度もありました。毎回「命拾いをした」と感じ、無事に過ごしてきたのは、本当に私の運が良かったからなのでしょうか? 長年法輪大法を修煉してきた者として、私はよく分かっています。師父のお守りとご加護のおかげで、私は何度も危険を乗り越え、幸運を手にすることができました。そして、こうしたごく普通の運転の中で、このような世俗的な仕事の中で、さまざまなトラブルの前で、修煉者は法輪大法の法理に従い、どのように人間として生き、どうすれば本当の良い人間になれるかを実践しているのです。
法輪大法をよく理解し、大法に対して正い信念を持つことは、あなたの旅路を安全なものにするだけでなく、人生の荒波と危険を乗り越え、返本帰真の道を歩む助けとなるでしょう。