文/河北の大法弟子
【明慧日本2025年1月3日】感謝の気持ちを込めて、最近の修煉体験の一部を同修の皆さんと共有させていただきたいと思います。
口を修めるについて悟った後
昨年6月1日と2日の両日の朝方、ぼんやりとした中で、背中の脊椎の痛みで目を覚めました。痛くて眠れなくなり、起きて煉功を始めました。煉功しながら、これは師父が私の業を消してくださっているのだろうか、と思いました。
実は、約2年前に脊椎と首のあたりが痛んだことがあり、その時は首がまるで火がついたかのように痛く、首が硬直して右に振り向くこともできませんでした。その時も、師父が弟子の業を消してくださったのだと思い、その痛みが何日も続いた後、ようやく乗り越えることができました。
今回、3箇所で激しい痛みを感じました。脊椎の真ん中と、右側の大腿の付け根、2箇所で激痛が走りました。左側の腕以外は、背中の上半が痛みました。寝ているときは、痛みで身体をどのようにすれば楽になるか分からず苦しみましたが、煉功を行うには影響はありませんでした。
6月2日の朝、私はコンピュータの前に座り、操作しながら考えていました。この出来事は自分のどの面で心性に問題があったから起きたのだろうか? 突然の、背中の痛みだから、つまり、その「後ろ」のことを考えてみました。それは、他人について「後ろ」で議論した結果ではないかと思いました。
ここ数日、小グループのある同修が、以前の学法グループのある同修についてよく話していました。私は「もう同修のことを後ろで話さないで、もし話すなら、直接言うべきです。私たちは口を修めましょう」と言いました。しかし、その同修は、「彼女たちはお互いに面と向かって執着を指摘し合っているので、今日は某某同修のことを話しても後ろで議論しているわけではない」と言いました。私は、そうするのはまだ正しくないと思いましたが、その同修は、最後に必ず「あなたはどう思いますか?」聞いてきました。おそらくこれはその同修の話し方の習慣なのでしょう。私は時々「うん」と返事をしてしまい、その時に心をしっかりと抑えきれず、自分の観念で勝手に黙認してしまいました。
最近、私は口を修めることに取り組もうと考えていましたが、なかなか実行できていませんでした。ああ、師父、私は間違いました。私は一方で内面を探し、また師父に対して自分の誤りを認めていると、突然、その痛む脊椎の部分が痛まなくなりました。
さらに、家族との関係における利益心を見つけた時、膀胱の両側の激しい痛みも瞬時に消え去りました。私は本能的に頭と硬直した背中を師父の写真の方に向け、思わず口から「師父、痛いです」と言ってしまいました。その後、再び背中を元に戻すと、背中の上半分の痛みが一瞬で消え、硬直していた脊椎がまるで自由に動くようになりました。
これは慈悲深い師父が弟子のために大きな業を背負ってくださったからです。その時の気持ちは言葉では表現できません。師父、本当にありがとうございます。
再び口を修める
そして7月のある日の昼、私は娘の家に到着し、娘とゆっくりと話していました。話しているうちに、娘の職場の科主任のことが話題になりました。
娘は「新しく来たマネージャーと科主任が内部で争っていて、他の科の2人は上司に取り入ろうとしている。私は新しく採用された事務員と一緒に毎日その争いの中に挟まれて、心の中でとても不愉快だ」と言いました。科主任はさらに、「某某(娘の名前)、あなたは絶対に私の味方になって、助けてね」と言ったそうです。
私は「今、あなたの主任を見ていると、ちょっとかわいそうだと思うよ。あなたが面接を受けた時、彼女はあなたに対して厳しくて、『あなたは給料が定額だし、応募したのは人事部の事務員だったのに、なぜ生産部に異動させたのか』って言ってたよね」と言いました。
娘は「私たちは落ち込んでいる人をさらに苦しめるようなことはしない。むしろ彼女に同情している。見ていると、彼女が苦しんで顔に斑点ができているのがわかる」と言いました。
私は「他の人なら、落ち込んでいる人にさらに追い打ちをかけるでしょう。でも私たちは良い人でいなければならない」と言いました。その時、娘の科の同僚から電話がかかってきて、話題はそこで終わりました。
数日後、私は右下の歯が欠けている部分に違和感を感じました。夫と一緒に夕食を食べていると、その部分に突然硬い膿ができているのを感じ、それがどんどん大きくなっていくのがわかりました。痛みで食事も進まなくなくなりました。私は夫に一言言いましたが、夫は特に気に留めませんでした。私は心の中で少し無力感を感じました。自分の修行が本当に足りないと感じ、どこに問題があるのか分からなくなっていました。食卓を離れ、自分の部屋に行き、座って正念を送ろうとしました。まだ9時まで15分ほど時間があり、心は非常に落ち込み、苛立っていましたが、無理にうちに向かって探し、どこで間違いを犯したのか、邪悪に隙を与えてしまったのかを探し始めました。
私は「何を探しているのだろう?」と心の中で思いました。突然、これはやはり口を修める問題だと思い出しました。「ああ、この数日間、また口を修めることを忘れてしまった」。それなら、この数日間、自分がどんなことを言ったのかを思い出さなければならないと、私は注意深く振り返りました。
そして思い出しました。娘と娘の職場のことを話したり、議論したりすることは、結局は党文化の影響で他人に対して背後で議論していることになるのではないか? どうして話を聞いたり議論したりするのだろうか? 娘と話した内容は表面上は間違っていないように見えますが、自分がこれらのことを言ったのは、本当に娘の職場の科主任に同情していたのか、それとも……、実はその同情の背後には、自分が娘を心配している気持ちがあったのだと気づきました。
娘はどこでも自分の仕事をしっかりこなし、争ったり奪い合ったりすることはなく、誰にも脅威を与えることはありません。人事科に異動してから、科主任は娘に非常に信頼を寄せており、年末には昇給があり、主任が娘のために話をして、給料を上げてくれると聞きました。これは利益心ではないか?! 以前、この主任は権力を振るっていましたが、今は現マネージャーに辺境に追いやられ、解雇されるかもしれない。私は彼女が辞めた後、次の主任が娘をどれだけ大切にしてくれるのか心配している。これも得失の心ではないか?! 実はこれらの心の背後には、娘への情があったのだと気づきました。
その時、先ほどまで痛みで耐えられなかった口内の膿の塊がなくなっていることに気づきました。舌先でその部分を探ると、ほんの少しだけ緩んだ皮膚が感じられ、本当に治っていたのです。時間を見ると、もう9時半近くでした。師父、ありがとうございます! 師父、ありがとうございます!
私はしばしばこの口を修めると決心するのですが、実際に何か問題が起きると、同じ間違いを繰り返してしまうことが多いのです。本当に師父に心配をかけてしまっています。
ここまで交流をさせていただきました。法に外れた部分があれば、同修の皆さん、どうか慈悲深くご指摘ください。