文/山東省の大法弟子
【明慧日本2025年1月3日】最近、私は自分では生死の関門と思える試練を乗り越えました。この体験をここで書き記し、同修の皆さんと交流したいと思います。昨年7月20日の夜、私は再び『共産主義の最終的な目的』と『未来人の神話物語』を読みました。夜12時の正念を発した後、横になって眠ろうとしたところ、喉に少し痛みを感じました。私はこれまで通り、内に向かって探し、自分の言葉遣いや、まだ手放していない執着心をいくつか見つけ、それを否定し、清めたところ、喉の痛みもすぐに消えました。
昨年の天候は特に暑く、雨も多かったのです。7月21日の夕方、家に帰って雨具と長靴を脱いだとき、まるで水から引き上げられたばかりのように全身がびしょ濡れで、自分の体が何も感じないように思えました。簡単にシャワーを浴びましたが全く食欲がなく、水を一口飲んだのですが、そのまま意識が朦朧としてベッドに倒れ込みました。
夜中の12時、正念を発するためのアラームが鳴って目が覚め、少し気を落ち着かせて正念を発しようとしましたが、正念を発し終える前にその後の記憶がなくなりました。朝3時10分、煉功の時間のアラームが鳴り、起き上がって煉功の準備をしましたが、このとき全身の骨と筋肉が痛むのを感じました。それでも、煉功の音楽に合わせて第一式を煉り終えましたが、第二式の法輪椿法をしようとしたとき、両脚で立つことができず、腕も持ち上がりませんでした。仕方なく椅子に座り、腕をベッドの縁に乗せて、かなり不正確な姿勢でなんとか煉功を終えました。その後も音楽に合わせて煉功を煉り続けましたが、第五式の静功を行うとき、手の印を結んだ記憶だけがあり、どうやって横になったのか覚えていませんでした。
翌日の朝、世界の発正念のアラームが鳴り、それで目が覚めました。正念を発し終えた後、自分のやるべきことをしようとしましたが、その時、全身が不快で、特に頭がひどく痛み、痺れている感じがしました。胸が詰まり、お腹が張って力が入らず、全身から汗が絶えず出て、咳が出始めました。その後は食事どころか、水を一口飲むことさえ億劫になって、目を開ける元気もなく、まるでいつ倒れてもおかしくないような状態でした。その時、ようやく事態の深刻さに気付きましたが、私はこの病業の仮の現象を認めませんでした。どんなに辛くても、心の中で師父に「私は大丈夫です!」と言いました。そして、やるべきことはそのまま続けました。しかし、昼には胸がとても詰まった感じがして、全く何も口にすることができませんでした。
その後の数日間、3日間ほとんど食事を取らずに過ごしましたが、「食べれなくても何か食べなければならない」と自分を奮い立たせ、目を閉じて無理やり飲み込むようにして食事を取りました。水は少量しか飲めず、昼夜を問わず汗をかき続けました。1週間後、症状は和らぎましたが、咳をすると痰が止まらず出てきました。「こんなにも痰が出るとは、これで身体が完全に浄化されるのだから良いことだ」と思うようにしました。この間、やるべきことを一つも怠ることなくこなしていましたが、自分の体が少し限界に近いと感じることもあり、時折、精神的に少しぼんやりすることもありました。その中で、ふと湧き出てきたのは「不満」「怨み」「軽んじられること」「孤独」「劣等感」など、良くない心の状態でした。その時初めて、「きっと自分の修煉のどこかに問題があるに違いない」と気づきました。
そこで私は法を学ぶことと心性を向上することに力を注ぎました。一つ一つの執着を内に向かって探し、それを見つけ次第、徹底的に除去し、正していきました。少しは効果がありましたが、良くなったり悪くなったりを繰り返し、これらの心が時折また顔を出すこともありました。そんなある日、私は電動自転車に乗っている途中で、交差点で慌てふためいた三輪車が私の自転車の前の車かごにぶつかり、かごが歪む事故が起きました。それ以外に大きな被害はありませんでした。私は修煉者の心を持って三輪車の運転手の謝罪を受け止め、冷静に対処しました。
家に帰った後、私はこの危機を無事に乗り越えられた経緯を振り返りました。もし師父のご加護がなかったら、今日の結果はどうなっていたか想像もつきません。今の私の身体の状態では、あの緊急の瞬間に冷静さを保ち、素早くハンドルを切って、一歩間違えれば命を落としかねない事故を回避することなど、到底できるはずがありません。私の身に起きた出来事は、決して偶然ではないと悟りました。そこで、最近のこの試練を乗り越える過程を全面的に整理し始めました。
最初は、病業の仮相が激しく襲いかかり、わずか10日で私の体重は154斤(1斤=0.5㎏)から140斤まで落ち、体温は35.4度に下がったまま数日間上がりませんでした。それでも私はこの病業の仮相を認めず、どれほどつらくても学法修心を続け、やるべきことをやり、心性を守り通しました。その結果、症状は軽減しました。
しかし、その後も学法や修心に努め、自分を正すようにしても、悪い念が次々と湧き上がり、全身に力が入らない状態が続きました。そして、あの危機一髪の事故が起きたとき、私はようやく気づきました。これは、私がまだ放下できていない執着を口実に、魔がどこかの世で私が背負った命の借りを返すよう要求しているのではないか、もしそうであるならば、すべては師父のご按排に従います。そこで私は債権者と心の中で対話し、師父が私たちに教えてくださった法を使って善解を試みました。その後、私は真剣に学法に取り組み始めました。
私は、「私にはどんな深く隠れた執着心があるのだろうか?」と考えました。そう考えているうちに、また不満の心が湧き上がってきました。私はすぐにそれを見抜き、それに向かって言いました。「あなたがやっているすべてのことは、結局、自分のためだけにやっていることでしょう? 何が不満なことがあるのか? この不満の背後には、他人に理解されなかったり、認められなかったり、重視されなかったり、尊重されなかったりしたことが原因ではないのか?」この不満の背後には、気づきにくい執着がどれほど隠されていることでしょうか。師父のご啓示に感謝します。私はすぐにこの心を徹底的に取り除き、消滅させました。
転んでも立ち上がり、誤りに気づけば改めます。正法はまだ終わっていませんので、私たちにはまだ機会があります。私はこの限られた機会を大切にし、さらに法を学び、法を師とし、慈悲の心を修めたいと思います。慈悲深く偉大な師父に叩頭して感謝いたします。
現時点での私の認識です。もし法に則っていない部分があれば、同修の皆さんの慈悲あるご指摘をお願いします。