文/トルコ在住のイラン人学習者
【明慧日本2025年2月9日】
慈悲深く偉大なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私はずっと、自分の人生には目的と意味があると感じていました。しかし、私はこれまで、いかなる哲学、宗教、信仰、その他のものも信じることができませんでした。
年齢を重ねるにつれ、特に青少年時代になると、私は次第に困惑し、迷い、悲しみに沈んでいきました。どんなことも私に満足や喜びをもたらすことはありませんでした。年月が経つにつれ、生活はますます苦しく、困難で、苦痛に満ちたものになっていきました。やがて私は、心のむなしさを感じるようになり、ついにその空虚感に完全に支配されるようになりました。そして、私は哲学の袋小路に迷い込み、先がまったく見えなくなってしまったことに気づきました。
何をしても前に進む原動力を得ることができず、私は巨大な惰性と虚無感に包まれました。その感覚は非常に深く、私に強い精神的な圧力を与えました。私は一体何を欠いているのでしょうか? 道はどこにあるのでしょうか?
神秘的な体験
ある日、私は友人と一緒に家にいました。私は一緒に住んでいる友人に対して、不親切な態度をとったことを深く後悔し、とても辛い気持ちになっていました。その感情はあまりにも強く、抑えることができませんでした。私は泣き出し、とても長い間泣き続けたので、手足は青ざめ、体は冷たくなりました。友人はそんな私を見て、最初は戸惑っていました。私を慰めようと「泣かないで」と言いましたが、彼自身も感情を抑えられず、泣き始めました。二人とも長い間泣き続け、それぞれ自分を責めました。それはとても不思議な体験でした。 行きなさい、身を清めて帰りなさい
この状態の中で、私は幻覚を見始めました。突然、耳元で誰かが囁きました。「行きなさい、自分を浄化してから家に帰りなさい」と。その声は霊的な導師のものでした。私は自分に罪業があることを悟り、それを深く理解しました。この体験の後、私は断食を始めました。魂を浄化する必要があると感じたのです。また、私はお酒を断ちましたが、タバコをやめることはできませんでした。
私の断食は、最初は毎日数時間から始まり、徐々に時間を延ばしていきました。数か月後には1日14~15時間の断食をするようになり、最終的には1日1食だけになりました。私は非常に痩せてしまい、体重が20キロ減りました。友人たちは私を見て驚き、病気なのではないかと心配しました。この間、私は仕事をしながら、空いた時間には断食や精神修養に関する本や記事を読んでいました。しかし、自分がどれくらいの期間断食を続けるべきなのか、またその本当の目的が何なのか分かりませんでした。私は自分を浄化したいと考えていましたが、その方法が分からず、本当の導師が必要だと感じていました。
法を得る
ある日、仕事の合間に若い男性と出会いました。彼は私が昼間にヨガをしているのを見て、自分が修煉している気功を試してみないかと勧めてくれました。彼は私に法輪大法を紹介し、功法を教えることができると言いました。彼は若かったのですが、とても賢明で、正のエネルギーに満ちていました。
私は彼に多くの質問をしましたが、彼は「自分でこの本を読んでみてください」と勧めました。私は彼から功法を学び、本を読み始めました。長い間断食していた私は、まず肉を食べることに関する部分を読みました。そして、次第にこの本に引き込まれていきました。禁煙の内容を読んだとき、私は無意識のうちに涙を流しました。そして、その夜からタバコを一切吸わなくなりました。それから3年が経ちました。
さらなる精進に対する悟り
最近、私は『精進要旨』を読むことで、師父の法について新たな理解を得ました。
師父はこうおっしゃっています。
「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には、心性を向上させることにおいてずっと法に対して異なる次元での誤解があります。魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すことを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるのでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです。弟子として魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引のであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません。修煉者は、なんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」(『精進要旨』「道法」)
この部分の法は、まさに私自身に向けられたものでした。私は矛盾や苦難、困難に直面するたびに、後天的な思考で判断し、感情に流されてしまい、それによって苦しんでいました。最近になって、ようやくこの問題に気がつきました。この2年間、私はほとんど休むことなく長時間働き続け、大法のことや学法、煉功をする時間がほとんど確保できていなかったのです。
学法を通じて、私は邪悪が、私の法に対する理解の不足や自己制御の弱さを利用し、私を長期間苦難の中に置こうとしていたことを悟りました。私は、すべての出来事を苦難として受け入れ、業力の清算だと考えるべきではないと理解しました。修煉とは、確かに挑戦と魔難に満ちた道ですが、それが延々と続くべきものではありません! 心性が向上し、内面が根本的に変われば、環境も必ず変わるのです。もちろん、流れに逆らわず、自然のままにという原則を守るべきです。外部環境を無理に変えようとするのではなく、自分自身の変化と向上に専念することが大切です。こうした悟りを得た数日後、私は新しい仕事を得ることができました。週末には休みが取れるようになり、労働時間も短くなりました。
法を正す
さらに学法と修煉を重ね、集団学法への参加、修煉体験の交流、大法の活動に参加することで、大法弟子としての価値と重要性を認識するようになりました。私は次第に、衆生を救い済度する責任の重大さ、法を正すとは何か、迫害がどのように生じたのか、そして旧勢力がいかに私的で秩序立った計画を利用して、衆生済度を妨害しているのかを理解できるようになりました。宇宙での正法は急速に表面へと進展し、人間世界へと入ってきています。 修煉と衆生済度の時間は、もうあまり残されていません。私は個人修煉をしっかり行い、師父を助けて人を救い、来世前に誓った誓約と約束を果たしたいと願っています。正法が終盤に近づくにつれ、私たちはますます精進しなければなりません。 修煉は非常に厳粛なものであり、修煉を深めるほど、大法弟子の責任の重大さと使命の大きさを強く実感するようになりました。
師父に感謝いたします!
同修の皆さんに感謝いたします!