文/中国北京の大法弟子
【明慧日本2025年3月12日】最近のある日、私はあまり交流のない同修を訪ね、師父の新しい経文についての理解を交流しようとしました。彼はまだ新しい経文を見ていないと言いました。師父の新しい経文が発表されて10日以上も経っているのに、彼はまだ見ていないのです。
さらに彼に、私たちが今、アメリカでの大法に対する邪悪な攻撃に対して発正念していることについて尋ねると、彼はそれも知らないと言いました。こんなに重大なことを彼はまったく知らなかったのです。しかも、彼の職場は市の中心部にあり、情報を得るのにとても便利な環境です。なぜ、同修はこれほど重要な情報をタイムリーに受け取ることができないのでしょうか? さらには、師父の最新の説法さえもすぐに得られないのでしょうか? この問題は、現地の同修たちが深く考え、重視すべきことです。
同修が法を正す情報をタイムリーに得られず、師父の説法もすぐに受け取れないことは、同修自身の修煉状態に問題があることを示しています。それは間違いありません。しかし、同時にこれは、当地区全体としての不足も反映していると言えます。
師父は「いかなる状況下でも自らをしっかり修め大法を守ることを何よりも大切にしています」(『肝心な時に人の心を見極めている』)とおっしゃっています。個人的な理解としては、身近な同修と共に精進し、共に向上することもまた、自分をよく修め、大法を守る重要な一環であると考えます。
中共の迫害が始まった初期の頃は、どのような状況であれ、同修たちは互いにすぐに情報を伝え合い、すべての同修ができるだけ早く知らせを受け取れるようにしていました。その日に間に合わなかったとしても、翌日には必ず知らされるようになっていました。その当時、私たちは本当に「心を一つにし、力を合わせる」ことを実践していたのです。たとえば、「5.13世界法輪大法デー」に、全体の同修で真相資料を配布し、大法を実証しようと決めると、翌日には各村や街角で、法輪大法の真相資料、横断幕、ステッカー、小冊子などが目に入るようになっていました。
迫害に抗いながら25年が過ぎました。私たちは、中共の拘束や労働教養、判決などに屈することなく、大法弟子としての誓約を果たし、大法弟子の名にふさわしい歩みを続けてきました。しかし、法を正す最後の段階に入った今、海外で邪悪な誹謗が起き、表面的には横暴に見えます。もちろん、大法を迫害しようとする者は、どれもただの妄想にすぎません。しかし、私たち大法弟子として、どうして邪悪の横行を許すことができるでしょうか?! 全体の大法弟子が心を一つにして正念を発し、今回の劫難を引き起こした邪悪を徹底的に取り除けば、それらは瞬く間に滅び去るでしょう。したがって、大法弟子全体の参加が鍵となるのです。
真に修煉する大法弟子として、この出来事に直面すると、心はとても落ち着いています。なぜなら、これはまたとない自分を純粋にし、人間レベルから歩み出す機会であり、師父が邪悪の計略を逆手に取り大法を広め、より多くの人を救う機会であり、私たち全体が向上する機会でもあるからです。
私たちは皆、師父が1人も置き去りにすることなく弟子を導かれることを知っています。しかし、修煉において基準に達しない者を無条件に待つこともないでしょう。この歴史の重大な時に、私たちは人心を捨て、身近な同修と共に法を正す道を歩むという聖なる縁を大切にし、ともに精進し、法を正す進展についていきましょう! そのために、身近な同修に常に気を配ることもとても重要です。師父がおっしゃった、「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『各地での講法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)を、真に実践していきましょう。
別の角度から言えば、師父の新経文をタイムリーに得られず、法を正す進展についての情報を得られない同修は、自ら内に向けて問いただすべきです。「なぜ自分は置き去りにされたのか? これからの修煉の道をどのように歩めば、師父が按排してくださった法を正す修煉の道を歩むことになるのか? 法を正す修煉がこれほど長く続いているのに、なぜまだ同修に頼って情報を提供してもらう必要があるのか? もし同修から修煉に関する情報を得られなかったら、自分はどのように修煉を進めるのか? これからどうすれば法を正す進展に追いつき、自らの使命を果たすことができるのか?」。最も神聖な宇宙の大法弟子という称号にふさわしい者となるためには、大法修煉の厳粛さをしっかりと認識し、重視しなければなりません!
まだ長期にわたる病業の関を乗り越えられない同修がいるなら、自分がどのように心を込めて修煉しているのかを問うてみてください。私たちが大法の修煉を始めたとき、師父はすでに多くの業力を取り除いてくださり、一部を各次元に分けて、心性を向上させるために残されました。心性を向上させさえすれば、業力は取り除かれ、関も乗り越えられるのです。法はこれほど明確に説かれています。大法に照らし合わせ、自分のどこに問題があり、なぜ長期にわたって関を乗り越えられないのかを探してみてください。
ある現象に気付きましたので、同修の皆さんと切磋琢磨のため交流したいと思います。一部の同修は、長期にわたって病業の虚像に陥っている中で、「薬を飲まないことが大法への堅持であり、それが修煉だ」と考えています。また、「病院に行かないことが大法への堅持であり、それによって自分は大法弟子であり、師父とともに家へ帰れる」と思っている人もいます。しかし、最終的には肉身を失ってしまったり、自立した生活ができなくなってしまうケースもあります。私たちは皆、法難とは師父の難でも大法の難でもなく、弟子たちの修煉の過程で生じた問題が積み重なってできた難であることを理解しています。その結果、師父が再び弟子たちのためにこの巨大な関と難を背負っておられるのです。このような状態にある同修を私たちは見捨てるべきではありません。彼らとともに学法し、正念を発して彼らの空間場を清め、早く病業の魔難から抜け出せるよう助けるべきです。
常人の生活に忙殺され、修煉が中途半端になっている同修に対しては、特に心を込めて法に基づいて交流することが大切です。彼らに、師父が焦って待っておられることを伝えましょう。師父は、彼らが修煉当初の状態に立ち返り、真の自分に立ち返ることを望んでおられます。
北京の同修の皆さん、私たちは北京という邪悪な本拠地で師父に手伝い法を正すことを選びました。それは神の選択であり、この重大な歴史的瞬間において、私たちは必ず手を取り合い、共に精進し、再び神になる道を正しく最後まで歩き通すのです。
(編集者:李明)