【明慧日本2025年3月23日】天津市の法輪功学習者・趙飛さん(女性)は2024年10月2日の朝、武清区石各荘派出所の警官により不当に連行され、武清留置場に不当に拘束された。10月17日に逮捕され、今年2月17日には武清区裁判所で審理が行われた。家族が依頼した弁護士は、趙さんの無罪を強力に弁護し、「趙さんが法輪功の修煉をしていることに罪はない。担当した警察官と検察官が私的な理由で法を歪めている可能性があり、法的責任を追及すべきだ」と主張した。
趙飛さんが連行され、不当な裁判を受けた経緯
情報によると、石各荘政府街の阮浩ラーメン店の前で、ある人物(劉俊楠)が法輪功について書かれた資料を拾い、それを石各荘派出所に渡したという。石各荘派出所の警官は監視カメラの映像を確認し、ビラを配布した人物が趙さんに似ているとした。2024年10月2日の朝、武清区石各荘派出所の副所長・賈大鹏などが趙さんを連行し、武清留置場に不当に拘束した。同年10月17日には趙さんが不当に逮捕され、続いて家宅捜索と刑事拘束が行われた。
石各荘派出所の警官は趙さんに対して司法的迫害を行い、いわゆる事件を武清区検察院に報告したが、証拠不十分で不起訴処分となり、補足証拠を求められた。1カ月後、石各荘派出所は再び検察院に報告した。武清区検察院は趙さんを武清区裁判所に告発した。
今年2月17日、武清区裁判所は趙飛事件の公判を開廷した。趙さんの弁護士は、検察側が公判当日に初めて新たな追加証拠があることを告知したのは、手続き違反であると指摘した。いわゆる新証拠とは、ぼやけて不鮮明な録画であり、中の人物の顔は全く見えず、中の人物が何をしているのかも分からず、時間も異なっていた。また、警察の証言には、5人が趙飛さんであると指名したとあったが、録音も録画もなく、証言だけだった。弁護士は、自身が年末に全ての閲覧作業を完了しており、事件記録にはこれらのいわゆる証拠は全くなかったと述べた。したがって弁護士は、検察側の全ての証人、証言は法に基づいて有罪の根拠とすることはできないと主張した。
弁護士は趙さんのために無罪弁護を行い、事件担当者が趙さんを「邪教組織を利用して法律の実施を妨害した罪」で起訴することに法的根拠も事実的根拠もないことを知りながら、違法に趙さんを訴追したと指摘した。事件を担当した警察官の賈大鵬、検察官の閻富強ら全ての担当者は、職権乱用罪の疑いがあり、法に基づいて責任を追及されるべきである。
趙さんは何度も迫害に遭っている
趙さんは今年63歳で、元は石各荘鎮中学校の教師であった。法輪功を学んでいるとして、懲罰的に石各荘小学校に異動させられ、英語を教えることになった。2008年には、不当に懲役5年6カ月の判決を受けた。
2000年3月、趙さんは法輪功への迫害停止を求めて北京へ陳情に行ったところ、警官に連行され故郷へ連れ戻された。石各荘派出所の教導員・張慶祥、警察官の張殿倫、張珂、補助職員らは、石各荘鎮副書記の李瑞沢の指示の下、趙さんに拷問を加えた。趙さんは手足が電気警棒で焼け焦げ、無数の平手打ちを食らい、顔が変形した。夜は三輪車に手錠をかけて放置され凍えさせられた。昼は道端の電柱に手錠をかけられ見せしめにされた。ある日、悪徳警官の教導員・張慶祥は、皮鞭を持ちながら「趙飛、お前を3回叩けば、お前は跪いて俺をお父さんと呼ばなければならない!」と言い、「お前の亭主を亀にするぞ、信じるか?」とも言った。趙飛は派出所に4カ月以上監禁され、半年間給与を停止された。
趙さんが教えたクラスの優良生徒率、合格率、平均点は、いずれも全校で最も高かった。彼女のクラスには毎年数名の学習困難な生徒がいた。他の教科は全て不合格の子もいたが、英語だけは毎回合格点を取ることができた。趙さんは全ての生徒を自分の子供のように扱い、どれだけの補習授業をしても、保護者から一銭も受け取らなかった。年末に学校が生徒の成績に応じて教師に賞を与える際、趙さんは全校で最高の賞金を獲得した。お金の多寡は問題ではなく、それは彼女の努力に対する評価であった。
2008年、杜学民が石各荘鎮の副鎮長に就任し、政治的資本を得るために「新任の官は三つの火を放つ」とばかりに、清明節の休暇中に総校長に指示し、趙さんのマンションの入り口に車を一台派遣し、24時間監視させ、3日間外出を禁止した。このため、趙さんは監視員と口論になり、総校長も趙さんに問い詰められ何も言えなくなった。総校長は郷政府に報告し、「私は彼女を管理できません。あなたが管理してください」と言った。杜学民はすぐに罪をでっち上げ、「国旗掲揚の際に生徒に国歌を歌わせず、法輪功を修煉させた」として武清公安局に趙さんを告発した。公安局は石各荘小学校に「証拠収集」に行き、三年生の小学生は警察を見て怖くなり、言われたことを何でも言った。何人かの若い教師は、事情を知らずに署名したが、後でこれが趙さんの「証拠収集」だと知り、後悔して泣き出した。一方、年配の教師は文化大革命の教訓を受けており、皆すぐに回避した。小学校長の蔡玉茹は、最後の書類への署名を拒否したため、後に異動させられた。でっち上げ事件全体は、最終的に石各荘文教事務所が印鑑を押し、いわゆる「罪名」が作成された。趙さんの家族は弁護士を雇おうとしたが、地元の弁護士は誰も法輪功の事件を引き受けようとしなかった。こうして趙さんは、武清区裁判所によってでっち上げられた罪名で不当に懲役5年6カ月の判決を受けた。総校長はこれを知って後悔し、「こんなことになるとは思わなかった。本当に思わなかった。上に報告すべきではなかった、本当に報告すべきではなかった!」と何度も言った。
趙さんは2008年11月に天津女子刑務所に連行され、健康診断で心拍数が速すぎるため不合格となり、武清留置場に戻された。2009年1月17日、再び警察により天津女子刑務所に連行され、迫害を受け続けた。彼女は2014年12月20日に不当な刑期を終え、家に帰った。
しかし、この17年前の冤罪が「前科」とされ、現在では武清区の公安、検察、裁判所が今回の趙さんへの迫害の根拠として使用している。武清区は今年2月17日に趙さんに対して不当な審理を行った。その後の状況は調査中である。