文/中国の新しい学習者
【明慧日本2025年3月29日】私は57歳の新しい学習者です。2022年、大病を患ったことがきっかけで、不幸中の幸いにも師父の導きと同修の助けを受け、返本帰真の修煉の道を歩み始め、心身ともに健康な人間へと生まれ変わることができました。
妻は20年以上修煉している大法弟子であり、私は妻の修煉を大いに支持してきました。特に、数年前に邪悪な迫害が最も激しかった時期には、できる限り大法弟子を守り、大法を実証するための行動を取りました。
また、江沢民を告訴する大きな流れの中で私も参加し、大法について悪く言う人に対しては、理をもって反論し、相手を言い負かしたこともありました。妻は何度も私に大法の修煉を始めるよう勧めましたが、私は「時間がない」という理由でそのたびに断っていました。
2022年7月のある日、私は突然、視界がぼやけ、頭の反応が鈍くなるなど、まるで夢の中にいるような異常な症状に襲われました。病院で検査を受けたところ、右脳の脳梗塞と診断され、血栓が視神経を圧迫しており、非常に深刻な状態でした。すぐに大きな病院で治療を受けることを決めました。
道中、妻はずっと「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしい!」と唱えてくれていました。その時、私がかつて読んだ『洪吟』の詩句を師父が思い出させてくださいました。
数時間後、市の大病院に到着し、知人の紹介で腕の良い医師に診てもらいました。検査の結果「発症からまだ6時間経っていないので、安全期間内です」と言われました。私は心の中で「もう40時間近く経っているのに、どうしてまだ6時間以内なんだ?」と思いました。すると妻が「それは師父があなたを守ってくださっているからよ!」と言ったのです。
入院中、妻は法を学ぶことで悟った法理を私に話してくれました。その時、私は心の中で「家に帰ったら、私も大法を修煉しよう」と思いました。
やがて秋が訪れ、栗が地面に落ちても誰も拾う人がいませんでした。その頃には病状もかなり回復していたので、私たちは家に帰ることにしました。帰宅後、妻は1人で栗拾いに出かけ、私は家にいました。しかし、私の視界はまだ二重に見え、歩くのもままならずで、道路を走る車が止まったり動いたりして見えました。記憶力も低下し、目の焦点は定まらず、外に出ても家に戻る道が分からなくなりました。
私は次第に抑うつ(よくうつ:気分が落ち込み、生きるエネルギーが乏しくなる)状態になり、近所の人々はひそひそ話をしながら「彼はもうおかしくなってしまった」と噂し、異様な目で私を見ました。私の目に映る人や物はすべて歪んで見え、恐怖に襲われました。頭の中は真っ白になり、何も思い出せませんでした。知人の顔を見ても、まるで前世の人のように感じました。
さらに、寝たきりの姑と家で預かっていた幼い孫娘の世話をする人もおらず、私は何もできない自分に打ちのめされました。絶望のあまり、私は地面にひざまずき、声を上げて泣きました。「私はどうしたらいいんだ……?」
親戚や友人の助けもあり、ようやく栗拾いも秋の収穫も終わりました。そして、私は妻と一緒に毎日、法を学び、煉功を始めました。しかし、この時、邪悪な妨害が再びやってきました。村の幹部から電話があり「派出所があなたたちの写真を送るように求めている」と言われたのです。私はその瞬間、恐怖に襲われ、どうすればよいのかわかりませんでした。
その夜、私は悪夢を見ました。たくさんの幽霊が棺桶から出てくるのです。恐怖に震えていた私に、妻は「師父にお助けを求めましょう!」と言いました。すると、師父は私に「もっと法を学びなさい」と啓示をくださいました。それから私は家にこもり、一日中法を読み続けました。夜になると、妻が煉功や正念を発する方法を教えてくれました。
大量の学法を通して、私は急に視界が開けました。そして、私はすべての薬を捨て「生きて求めるもの無く 死しても惜まず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは、難しからず」(『洪吟』「無存」)の詩を毎日暗唱しました。
今では私はすっかり健康を取り戻し、どんな仕事でもできるようになりました。村人たちは冗談混じりに言います。「みんな、お前はもうダメだって言ってたのに、どうして元気になったんだ?」。私は堂々と答えました。「私は『法輪大法は素晴らしい』と念じて回復したのです!」
私は悟りました。師父は、私が衆生を救う大法とすれ違い、万古の機縁を逃してしまうことを望まれなかったのです。そこで、最後の時にこの「棒喝」という形で、私を目覚めさせ、返本帰真の道へ導いてくださったのです!
師父の慈悲なる済度に感謝いたします!