夜雨の中で衆生を救い 神跡が現れる
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 文/中国西南の大法弟子 静蓮  

 【明慧日本2025年4月28日】私は1999年以前に修煉を始めた大法弟子であり、自分の使命を深く理解しており、片時も怠ることができないと感じています。毎日早朝に起きて法を学び、6時に正念を発した後、朝食を作って食べます。朝食後は同修と連れ立って真相を伝えに出かけます。真相資料を配布するのは主に夜の時間を利用しており、通常は夜9時以降に農村へ行き、家々を回って資料を配布します。村の人々は私たちの資料を読むのを喜んでくれます。

 ある晩、私と同修は600部以上の資料を持って農村に行き、村ごとに一軒一軒配布しました。資料の中には、DVD、『共産党についての九つの論評』、ステッカー、小冊子が含まれていました。その時、出発したばかりで雨が降り始めましたが、大雨というほどではありませんでした。「行くべきかどうか?」と一瞬迷いましたが、「せっかく出てきたのだから、計画通りに進めよう」と決心しました。旧勢力の道(私たちが衆生を救うのを妨げる)を歩むわけにはいきません。それに、雨が降ると人々は家の中にいるので、資料を配布するのに都合が良いのです。さらに、私たちの資料は防水加工がされており、雨で濡れる心配はありませんでした。そこで、「どんなに雨が降ろうとも、配り終わるまでは帰らない」と決めました。

 雨は次第に激しくなり、私たちはますます速く歩きました。目的地に到着すると、まず正念を発しました。「師父、どうかこの村の人々が資料を真剣に読んで、大法による救済を得られるようお守りください。どうか私たちに道を示してください」「この村の犬が鳴かないでほしい。私たちは師父によって派遣された使者であり、人を淘汰から救うために来ました。この村の善良な人々は家の中で資料を読むのを待っているので、私たちが資料を配布することが順調になるように…」

 私たちは二手に分かれ、資料を配布しました。できるだけ雨を避けられる場所(窓台、薪棚、玄関の椅子など)を選んで資料を置き、すべての資料を配り終えるまで続けました。

 雨水は足首まで達しましたが、私たちは気にせず、ただ早く家に帰ろうと急ぎました。家に入ると、雨はまさに土砂降りになりました! 夫が言いました。「こんな大雨の中、よく出かけたな。私は一晩中眠れなかったよ。どこで雨宿りしたんだい? 靴も濡れていないなんて!」、あれ? その時初めて気づきましたが、私の服も靴もまったく濡れていなかったのです! 私は思わず涙が溢れました。「師父は、本当に何でもできる御方で、無量の慈悲をお持ちです。なんと偉大で、大法は超常的なのでしょう」、同修に電話しようとしたところ、ちょうど彼女からも電話がかかってきて「私、頭から足先まで全然濡れてないの! いつもと全く同じで、不思議でたまらない。あなたはどうだった?」と同じような状況を伝えてくれました。

 別の時のことです。本来なら同修と一緒に資料を配布する予定でしたが、同修の家に客が来たため、仕方なく1人で出かけることになりました。その夜も9時を過ぎており、私は1人で300部以上の資料を持って農村へ向かいました。歩きながら師父にお願いしました。「どうか縁のある人々が私たちの資料を真剣に読んで、大法による救済を得られるようお守りください。どうか弟子が無事に配布できるようお守りください」

 その日は月も出ておらず真っ暗でしたが、私の前には常に一筋の光が差していました。それはまるで誰かが懐中電灯で照らしてくれているようで、全く恐れを感じず、むしろ安全で心地よい気持ちでした。「師父がそばで援護してくださっているんだ!」と感じました。信念がますます強くなり、足取りも軽やかになり、飛ぶような感覚さえありました。それは本当に素晴らしい体験でした。

 資料を配り終えて家に帰った時にはすでに朝の6時近くになっていました。少しお腹が空いたので、急いで麺のスープを温めました。ところが、私がよそったのはスープではなく、香り豊かな麺料理でした。それはこれまで食べたことのないほど美味しい麺で、感激のあまり胸がいっぱいになりました。

 「弟子はほんのわずか、自分のすべきことをしただけなのに、師父はこんなにも細やかに守り、気にかけてくださるのだ」と思いました。

 この20年以上の修煉の道のりで、私自身も家族も恩恵を受けた不思議な体験はまだたくさんありますが、ここでは省略します。本当に時間は限られています。私たちは師父の法を正す進展にしっかりとついて行き、法の学びと実修に力を入れ、残るあらゆる人心を捨て去り、史前の誓約を果たさなければなりません。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/25/492884.html
 
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