青年の大法弟子の変化(二)
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 【明彗日本2024年12月22日】(前文に続く)

 三、自分にできる限り真実を伝え人々を救う

 私が生まれたときは、すでに1999年以降の法輪大法への迫害の時期でした。その頃はまだ小さかったので、法を学んでも本当に理解しているわけではありませんでした。初期の各地での説法において、師父は大法弟子たちに大法の良さと迫害の実態を全面的に伝え、衆生を救うようにとおっしゃいました。そのとき私はまだ3、4歳だったので、大きくなってそれらの説法を学んだ時も、心の中では「私が伝えなくても、大した影響はないだろう」と思っていました。

 師父は「大法があなたを圓満成就させようとするとき、かえって人間の中から脱皮することができずに、邪悪が大法を迫害しているとき、あなたは逆に、表に出て大法を実証することができずにいます。ただ大法の中からメリットを得ようと思うばかりで、大法のために貢献しようと思わないこれらの人は、神の目から見ると、最も良くない生命なのです」と説かれています。(『精進要旨二』「提案」)

 私は最も良くない生命にはなりたくないことと、落伍したくないという気持ちから友人に真実を伝えました。しかし、そのときの動機は純粋ではなく、「任務を果たした」という満足感があり、伝え終えたら心が安らぐような気がしていました。そのため、効果があまり良くなく、内容の深みもありませんでした。友人たちも「善意で話しているのだろう」といった感じで私に同調してくれましたが、真に理解しているわけではありませんでした。

 パンデミックが発生してから、私は、大法の良さと迫害の実態を伝え、人々を救うことで疫病を逃れることができると気づきました。そのとき、少し勇気を出して行動するようになり、雨宿りの際に近くにいたおばあさんやタクシーの運転手などに真実を話すこともありました。しかし、まだまだ十分ではなく、反論されると何を話せばいいのか分からなくなることもありました。

 その後、真剣に法を学び始めると、師父が、大法弟子が真実を伝えるのは、大法のために何かをしたからではなく、大法の一粒子だからこそそのように行うべきなのだという教えを理解するようになりました。自分がどれだけ何かを行ったから報われるという考えではなく、大法を実証するために伝えなければならないのだと分かりました。この理解を得たことで、私は真に法を実証するための行動を取るべきだと思いました。

 その後、『再び神になる』という映画を観ました。映画の中で主人公がマンション警備員に真実を伝えるシーンを見て、「真実を伝えるとはこういうことなのだ」と初めて理解し、そのときの言葉を覚えました。その後、旅行に出かけた際に電車の中で、友人に私がそのとき学んだ理解や記憶していた内容を話したところ、友人は真剣に私の話を聞いてくれました。当時、友人は大学院生で、学生と指導教官の間の利害争いによる疲れを感じていて、私の話を聞いて、「この社会がこのようになったのは中国共産党(以下、中共)によるものだ」と分かり、その存在を捨てるべきだと理解しました。この経験を通じて、私はとても励まされました。「これからどうやって真実を伝えればよいのか」が分かったのです。しかし、それだけでは十分ではありませんでした。それから、大法の資料を作成する母を手伝いながら、その資料を真剣に読むようになりました。

 師父の1999年以降の説法を読んだとき、私は突然気づきました。師父はすでに私たちに真実を伝える方法を教えてくださっていたのです! 私はなぜ真実を伝える必要があるのかも本当に理解できました。それは、末世において彼らを救うためであり、彼らが大法を信じて降りてきたので、決して彼らを裏切ってはいけないのです。

 以前、私は常人の反応をとても気にしていました。特にお正月や親戚が集まるとき、母が大法のことを伝えると、親戚たちの態度がとても悪く、喧嘩にまでなることもよくありました。そのため、子供の頃から大法の話をすることを恐ろしく感じていました。しかし学法をするにつれ、常人の反応や態度はそれほど重要ではなく、彼らはただの常人であり、さまざまな要素や旧勢力によってコントロールされていることがあるため、しっかりとした見解を持っているわけではないことが分かりました。私は師父の教えに従って発正念をし、その邪悪な要素や旧勢力の妨害を取り除くようになりました。また、伝統文化を学んだことで、多くの知識を得ることができ、人々に真実を伝える際には、中国の伝統と中共を比較することで、より分かりやすく伝えることができました。

 ある日、いとこが自分の家に遊びに来るように誘ってくれました。実は、この前、私が叔母の勤務先で働きたいと言った時、叔母から「そこは政府関連の機関なので、中共の影響が大きい。そのような場所で法輪功のことを話すと、大変なことになる」と言われました。その言葉を聞いて、とても傷つき、その後、叔母の家に行くことを避けるようになりました。

 しかし、考えを改めてみると、これは私が彼女たちに真実を伝える絶好のチャンスだと思いました。今の私は真実をどのように伝えるべきかを以前より分かっているため、叔母の家に行くことにしました。

 出発する2日前から、私の頭の中にはどのように伝えるかという考えでいっぱいで、落ち着きませんでした。「もし彼女たちがこのように言ったら、何を言えばいいのか?」というシミュレーションを何度も繰り返し、坐禅する際にもずっと考えていました。出発当日も緊張していて、さらに叔母からも厳しい口調の内容のメッセージが届きました。それを見たときに気持ちが落ち込み、正念も弱くなってしまいました。「人を救うのはどうしてこんなに難しいのだろう」と感じていました。

 しかし、師父の助けのおかげで、私は大法の良さと迫害の実態を伝えることができました。最初は彼女たちは興奮していて、なかなか理解してくれませんでした。特にいとこは、「天安門焼身自殺事件が偽りだと知っているけれど、政府のことは仕方がないでしょう」と言いました。その言葉を聞いたとき、私は涙が流れました。「この『仕方がない』という言葉が、私と母にどれほどの不公正や偏見をもたらしたと思いますか?」と言うと、叔母は「あなたのお母さんに偏見はないよ」と言ってくれました。「でも、母が迫害を受けているとき、社会が母を受け入れず、理解してくれないとき、親族であるあなたたちが母を理解せず、支えてくれず、むしろ母と喧嘩するなんて、母の心にどれほどの圧力がかかったのでしょう!」と私が話し終えると、いとこも泣き始めました。叔母の態度も和らぎ、「そうだね、あの時に、あなたのお母さんと喧嘩したことはあるけど、今はもう邪魔することはしないよ」と言いました。

 このやり取りを通じて、私は、真実を伝えることは難しいけれど、心を込めて話せば、相手も心を開いてくれることを実感しました。師父の導きに感謝しながら、この機会を大切にしていきたいと思いました。

 私は落ち着いて、約2時間近く話しました。今回は彼女たちも以前より理解したようです。叔母は最後に「これからは友達や、話を聞いてくれる人に伝えればいいわね。いつか証明される日を待ちましょう」と言ってくれました。いとこも「あなたのお母さんはとても良い娘に育てたね」と褒めてくれました。

 話し終えた後、私の心は静まりませんでした。これまで学んできたことが無駄ではなかったこと、そして自分が少し進歩したことを実感できました。すべてが師父からの助けと、法を学ぶことで得た力だと心から感じました。「真に理解できれば、その理解に基づく法理が現れ、その法理に沿って行動すればよいのだ」と改めて思いました。この期間、私は数人の友人にも大法のことをさらに深く伝えることができました。私はネットで映画『再び神になる』を見せ、そして師父の新経文『なぜ人類が存在するのか』を彼らに渡しました。一人の友人が『なぜ人類が存在するのか』を読んだ後、「これは大切にとっておく。分からないときに読み直します」と言いました。その言葉を聞いたとき、私は心から嬉しく思いました。

 私の祖父も、中共による害を深く受けた一人です。私が叔母のところに行くことを伝えたところ、祖父は「お前のお母さんが大法を学ぶのを俺は反対しないが、お前はまだ若いんだから、向こうに行ったらもう学ばないでほしい。これから努力して出世するんだ」と言いました。以前、何度も祖父に真実を伝えたことがありましたが、そのたびに話がうまく理解されず、気分が悪くなってしまったのです。今回もまた逃げるような気持ちになり、「それは不可能です。私の一生の信仰だからです」と一言だけ言って、その場を離れようとしました。

 しかしその瞬間、私の心の中で「慈悲をもって衆生を救うべきだ。彼らは迷いの中でとてもかわいそうだ」と思いました。私は深く息を吐き、再び祖父のそばに座り、穏やかな口調で「私は大法を修煉して、良い品格を身につけることができ、これからも勉強や仕事を一生懸命頑張っていきます。大法を学ぶことで、人間としての道理も分かり、他人のものを盗んだり、奪ったりすることなく、他人のために考えるようになりました。他人にとってどれほど良いことでしょうか」と言いました。祖父は「でも、修煉すれば彼氏が見つからないかもしれないぞ」と心配してくれました。それに対して、私は「もしその人が真・善・忍を理解せず、それを認めないのであれば、その人は良い人ではないし、私を理解しサポートしてくれる人でもありません。そんな人と無理に一緒にいる必要があるでしょうか?」と反論しました。祖父はこれを聞いて、うなずいて賛同してくれました。私はさらに「今の多くの若者は欲望に流されて、酒場や娯楽施設で遊ぶばかりで、良し悪しをわかっていません。もし私がそのような人間になったら、それこそ心配することでしょう? しかし、私はそのようなことはしないので、心配する必要はありませんよ」と説明しました。私の話を聞いて、祖父の態度が変わり、最後には「お前がそのように考えているなら、俺はもう心配しない」と理解してくれました。

 これらはすべて私が最近真実を伝える過程で得た進展ですが、まだまだ改善すべき点がたくさんあります。恐れの心も残っており、『共産党についての九つの論評』などをさらにしっかり学び、頭の中に残っている共産党文化を完全に取り除いていかなければなりません。以前はこれらの資料を読むことを避けていました。中共の邪悪な行いを知ることで、気分が落ち込んでしまうことがあったからです。しかし、今はその本質をしっかり認識し、真に邪悪を打ち破ることで、自分自身も成長できることを理解しました。

 結び

 実際、これらの変化は私の修煉そのものの変化でもあります。以前の私は修煉がうまくできていませんでした。多くの時間、自分を常人と同じように見てしまい、「自分がどうなりたいか」「将来どうなるべきか」といった考えが多く、執着心を手放せないことがありました。しかし、法を深く学ぶことで、自分が修煉者であるということを真に理解するようになりました。

 手放せないもの、執着するものは、僧侶が出家する際にまず手放さなければならないものと同じです。私が常人の中で修煉する過程においても、これらの執着を手放すことで、修煉環境そのものが自分の修煉を助けるものとなります。何より重要なのは、師父が私に与えてくださった修煉と法を証明する道をしっかり歩み、無駄な損失を生じさせないことです。

 もちろん、まだまだ執着心や人間の心が残っていますが、修煉者として自分の本質を理解し、その過程でこれらを取り除いていけば、必ず正法の進行に歩調を合わせて、より良い状態へと向かうことができると確信しています。

 これからも学びと実践を重ね、真心をもって真実を伝えながら、自分の修煉の道を進んでいきます。師父の導きに感謝しながら、歩みを続けていきます。

 (終わり)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/7/484297.html
 
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