【日本法会】メディアプロジェクトで修煉して、捨てることの素晴らしさを悟る
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文/日本の大法弟子

明慧日本2022年10月12日】

 私は90年代生まれの青年弟子です。2020年の3月に大法に出会い、約二年半の修煉の道を歩んできました。まず、大法に出会うまでについて簡単にお話ししたいと思います。

 私は幼い頃、不思議な経験をいくつかしました。特に大きかったのは、産まれて間もない頃に珍しい小児がんを発症したことでした。ステージ4まで進行し遠隔転移したがんが自然に治癒していくという極めて特殊な症例で、国の研究対象に指定され10年にわたり検査入院を繰り返しました。今思うと、その時点から師父が私を見守ってくださり、業力だらけの身体を浄化してくださったのでしょう。他にも幼少期には、色々と不思議な体験をしましたが、当時は子供だったので全く気にしていませんでした。

 時は過ぎて、中学2年生のある日の下校中、突然他の空間に入ってしまう経験をしました。不思議な出来事に遭遇するのは幼少期以来久しぶりだったのですが、その時すでに14歳で、いわゆる自己形成の時期にさしかかっていたこともあってか、その出来事をきっかけに、それまで自分が経験した不思議な感覚を超常現象として自覚するようになりました。それと同時に、それらの感覚を人為的に呼び起こしたり言葉で表現することがほとんど不可能で、心に留めておくことも極めて難しいことにも気づきました。「きっと宗教の修行をする人は、あの高尚な感覚をコントロールしているのだろう」と思っていましたが、その時はまだ機が熟しておらず、その求道心は胸にしまっておくほかありませんでした。とはいえ、漠然と学生生活を過ごす中で、「このまま周囲の社会環境から大人になるための知識や価値観を詰め込まれていったら、あの高尚な感覚を失ってしまうのではないか」という危機感も抱いていました。当時、自分に唯一できることは「周りに流されず、誰にも頼らず、自分で道を見つけなければならない。」という居合のような姿勢を取ることでした。その後、高校・大学と進学するなかで、その態度をベースに様々な本を読んだり色々な場所に足を運んだりして、自分なりの探求を深めていました。

 そんななか、2020年の3月、ネット上で調べ物をしていた時に初めて法輪功を知りました。ネット上で書籍を数ページ読んで「これは自分が探していたものかもしれない」と思い煉功点に電話をかけ、その週末に動作を習いました。第三式を煉った時、本で読んだ通り下腹部で法輪が回転を始めました。全ての動作を終えたあと、視界が澄み渡り体が非常に軽くなり非常に感激しました。当時、感染拡大の第一波が到来しており、煉功点に行った次の週からいわゆる「緊急事態宣言」が発動されました。世の中が一気に自粛ムードに入り煉功点も閉鎖されてしまいましたが、私にとっては自宅にこもって学法に時間を費やすことのできる絶好の機会となりました。かねてからの願いが叶った喜びを噛み締め、修煉に励んでいました。

 6月に入って煉功点が再開されると、メディアプロジェクトについて同修と交流するようになりました。実は法を得る以前から、私は大紀元の記事を読んでいました。大学で受講した国際政治学の授業で、中共政権の浸透工作の例として孔子学院に関する大紀元の記事を教授が取り上げていたことがきっかけでした。その当時、大法のことは全く知りませんでした。大紀元については、社会の不都合な真実を公然と暴いている独特なメディアという印象でした。その後、修煉を始めてから真相を伝えるプロジェクトとして法の上から新たに認識するようになり、自分も参加したいと考えるようになりました。

 そこから、一年半にわたって関連する動画プロジェクトに参加した後、私は昨年12月に日本大紀元に入社しました。大紀元に入社して最初の仕事はYouTubeに毎日投稿する、約15分間のニュース番組の制作でした。番組制作の1日は、夕方のニュース選びから始まりました。それから、翌朝にかけて動画用の原稿を編集・校正し、昼過ぎにキャスターと読み合わせを行って原稿を完成させます、午後、スタジオ収録をしている間に映像編集の準備を進め、最後に完成動画をチェックするまでが自分の担当でした。一本の番組を作成するのに丸1日かかる仕事で、一週間があっという間に過ぎました。急なニュースが入るとルーティン通りに進まないこともあり、生活のペースを保つのはなかなか大変でした。

 プレッシャーもそれなりに感じていました。2020年以降、YouTubeは大紀元が露出している外部のサイトの中で最大のフォロワー数を抱えるプラットフォームになっており、自分の担当していたニュース番組はYouTubeでの看板番組だったからです。そうした環境のもとで、番組チームの同修との協調において心性の関を経験しました。

 チームには、私のようにフルタイムの同修がいれば、仕事や家事の合間を縫って参加する同修もいました。さらには同修の家族の方で、修煉の環境に慣れさせたいという同修の計らいで参加される方もいました。ニュース番組の制作には常に目前に締切があり、質としても高い要求が課されますが、リモートで参加している方とは緊迫感が共有できません。その状況で、各人員の事情をそれぞれ鑑みて、こちらから適切に仕事を割り振るのはなかなか大変でした。

 中でも、修煉環境に慣れさせたいという同修の計らいで参加している方から連絡がなく、作業の締め切りに間に合わないといったことがよくありました。仕方がないことですし、忙しい生活の合間を縫って手伝っていただけるだけでありがたいことですが、その時は仕事に追われる気持ちからそういった方との協調を煩わしく思うようになりました。私は「メディアプロジェクトは人を救うためであり、プロジェクト自体が修煉ではないのだから、家族に修煉して欲しいという情はプロジェクトに持ち込むべきではないのではないか。修煉は自分で歩むものではないか」と考えていました。自分なりに正しく悟ろうとしていましたが、状態は良くありませんでした。内に向けて探すと、自分のその考えは相手を気に食わない気持ちを正当化する理屈にすぎず、さまざまな心を誤魔化していました。

 まず、各人員の事情にきちんと向き合うのを面倒臭く思う安逸心がありました。とはいえ、仕事は効率よくこなさなければなりません。そこで、同じ問題で悩んでいたフルタイムの同修に相談することにしました。私は「このプロジェクトは締め切りなども含め要求が高いので、○○さんには別のプロジェクトに参加してもらったほうがいいのではないか」と伝えました。自分なりに考えて提案をしたつもりでしたが、同修からは「あなたはもっと慈悲の心を持った方がいい」と直言されました。自分の安逸心を指摘するための言葉だったのでしょう。その同修は私と同い年でしたが、幼い頃から親とともに修煉環境にいた弟子で、修煉者の親子関係について深く理解していました。しかし、「慈悲心が足りない」と言われた私は、その場で言い返すことこそしなかったものの「プロジェクトの発展を第一に考えることが人を救う上での慈悲ではないのか。同修の家族関係のことは情ではないか」と納得がいきませんでした。

 その状態からなかなか抜け出せずにいましたが、日々の学法から、次第に自分をその状態にとどめている根本的な要素に気づき始めました。それは、10代の頃から形成してきた「周りに流されてはいけない。誰にも頼らず自分で道を見つけなければならない。」という独りよがりな観念が悪さをし、同修同士で配慮しあって協調することを妨害する作用を働いていたのでした。師父はこのように説かれています。
 師父は「人間が最も放下し難いものは観念であり、甚だしい者は、偽りの理のために命を投げ出しても変えようとしませんが、この観念自体は後天的に形成されたものです。人は自ら考えることもせず、それどころか、惜しむことなくすべてを投げ出しても、疑問を感じないその考えを自らの考えと思い込み、真理を目にしても排斥してしまいます。実のところ、人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです」と説かれました。[1]

 私にとって、10代の頃から形成してきたその独りよがりな観念は、当然なものとなっていました。また、修煉者の家族や知り合いがいない環境で一人で修煉を歩んでいたなかで、「誰にも頼らず自分の考えで歩むことは正しいことで、常人社会の染物がめに染まらないための正しい振る舞いだ」という理解から抜け出せずにいました。その認識を改めなければならないといけないという念を持って精進しているうちに、次のことを悟りました。

 まず、法を得るまでの過程や法を得てからの一切は按排されたものであって、そのすべてを自分一人で歩むということはあり得ません。私たちには大法を認識できるかどうか、その上で何を選択するかしかなく、大法弟子になった以上は師父の按排以外に信じるものはありません。ですから、自分が悟った一部の法理で自分を守りたいのか、それとも法と師父の按排を本当に信じているのか、という一念の差に根本的な問題があります。自分が本当に心を放下して修煉しているかどうかが試されていました。

 以上のように修煉の不足を認識してからほどなくして、変化が起こりました。

 ある日の夜、同じチームの先ほどと違うフルタイムの同修と番組について軽く打ち合わせをしていました。その同修は番組チームの中で一番重責を担うポジションにいて、人一倍努力をしていましたが、自身も子供の頃から修煉の環境にいた経験から同修の親子関係のことを深く理解し、忙しいプロジェクトの合間を縫って、彼らがプロジェクトの環境に止まれるよう苦心していました。とてもハードで疲れているように見えたので、私はその同修にも「仕事をどうしても圧迫してしまうから、ooさんには他のプロジェクトに移動してもらった方が良いのではないか」と打診しました。するとその同修は「仕事の観点からいえば君の言うことは正しい」と私の考えにも理解を示したうえで、「自分は彼らの気持ちがわかるからほっとけない」と言って、それまでの自身の修煉体験をシェアしてくれました。その体験の内容は、子供弟子の頃の修煉とある程度大きくなってからの修煉の違いや、精進したくても精進できないときの辛さなどに関するもので、私自身の体験とは全く異なっていましたが、不思議の自分の修煉のことのように感じられ胸を打たれました。それと同時に、自分の心が狭さ、慈悲心の足りなさを痛感し返す言葉が見つかりませんでした。

 打ち合わせが終わると同修はすぐに退社しました。私も数分後に退社しましたが、その時、それまでずっと抱えていた緊張が解きほぐれて、涙がボロボロと溢れてきました。そのとき、師父が説かれた「わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです。」[2]という一節を思い出していました。涙がおさまると、私は執着心を放下した際の美しい境地を悟りました。頭には何の考えもなくとても静かでした。それ以降、同じようなケースで協調が難しいときにも、以前のように苦ではなくなり、落ち着いて対処できさえすれば、智慧が出て簡単に解決できるようになりました。

 以上は、私が法輪大法を修煉して得た素晴らしい体験です。

 師父の救い済度に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「誰のために存在するのか」
 [2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ

 (2022年日本法会交流原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/11/450607.html)
 
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