青年大法弟子:自分を浄化し、周りの人を救う
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2024年6月10日】私は幼い頃から親に従って修煉に励んできた若い大法弟子です。大人になってから、感情から大法が素晴らしいと思うだけでなく、理性の視点からも大法の良さを理解するようになったため、進んで学法し積極的に修煉する大法弟子になりました。最近の1年余りの間に職場の同僚に真相を伝えるエピソードを紹介したいと思います。

 昨年、私は会社の新しく設立した拠点に異動して、同僚はみな、以前から知ったが深く接触したことのない人です。新しい職場に行く前、私は仕事をしっかり行って口数を少なくする、そして同僚の争いに介入しない、職場の清掃をしっかり行い、今後スムーズに真相を伝えるために良い印象を持ってもらいたいと考えました。

 ここにAさんという同僚がいて、ふだんから変な人で、完全な利己主義者です。「これは台本通りに私の前で上演したドラマにすぎない、Aさんは自分の役を演じているだけだ、Aさんを軽蔑したりしてはいけない、このドラマの中でAさんに真相を伝えて救うのだ」と自分に言い聞かせました。ある日、みんなで雑談していた時「先日、バス停で待っていた時、一人の老婦人が話しかけてきて、少し話した後、法輪功の話題になって怖くてその場を逃げた。老婦人は優しそうな顔をしていたが、こんな怖い話題を言い出すとは思いもしなかった」とAさんは言いました。別の同僚は、知らない人が話しかけてきたら、相手にしないほうが一番いいと言いました。私は何も言わず、ただ心の中でいつかAさんに真相を伝えるチャンスを見つけたいと思いました。

 Aさんが上司やほかの同僚とどれほど激しく喧嘩していても、私はAさんとの間でトラブルを起こさないように気を付けていました。半年後、Aさんは別の拠点に異動になり、新しい上司との折り合いが悪くて辞表を出したようです。そのことを聞いた私は、早くAさんに真相を伝えないといけないと思って、Aさんを救うことを妨害する邪悪な要素をすべて取り除くよう発正念しました。

 Aさんが退職手続きを終えて関連資料を私のところに持ってくる時、私はオフィスのドアを閉めて、Aさんと少し仕事のことや生活上の話をした後、こんな会話を展開しました。「以前、あなたが法輪功について話している老婦人に出くわしたと言ったことがありましたね」、「そうですね」、「法輪功がどういうものかを知っていますか? 法輪功は人々に良い人間になることを教えるものです。『天安門焼身自殺』は嘘ですよ。知っていましたか?」、「あら、あれは嘘なの?」、「そう、嘘です。法輪功は仏法修煉であり、真・善・忍に則って行うことを人々に教えています。どの法律も犯していません。1992年に長春から伝え出されて1999年まで何億もの人が修煉していました」

 話しながら私はAさんの質問にも答えて、例のバス停で出会った老婦人はあなたに真相を分かってもらいたいだけで、悪意がないことを伝えました。Aさんは「うん、良い感じのおばさんだった。ただすぐにその話題に入っので怖かったです」と言いました。それから、私は「三退」の目的と意義を説明して、Aさんはスムーズに受け入れて「三退」に同意しました。最後に二人は微笑んで「お元気で」と別れました。

 今回真相を伝えるのはとても順調で、Aさんは最初から最後までとても協力的に私の話を受け入れてくれたので、逆にAさんは本心で真相を受けたのか、それともその場しのぎだけだったかと心配しました。しかし、その後のことは私の心配が無用だと証明してくれました。SNSを見てAさんはある資格試験に合格したようで、以前、何回もその試験に落ちたことを私は知っています。後日、Aさんは面接にも合格して資格証書を取得したようです。Aさんは本心から真相を理解し大法に祝福されて好運に恵まれたことが分かり、私はやっと安心しました。

 同僚のBさんも若い男性で、Aさんが仕事を辞めた後、Bさんも辞表を出しました。偶然にも、Bさんもバス停でバスを待っている時、ある年配の男性が法輪功について話してきたそうです。Bさんが退職するその日まで、私は彼に真相を伝える機会が見つかりませんでした。

 仕事の最終日の夕方、同僚たちはBさんの送別会を開きました。食事が終わり、他の同僚が会計をしている時、騒々しいロビーでやっとBさんと二人きりになりました。私は真相を伝えて「三退」もしてもらうことに成功しました。とても騒々しい環境でしたが、私たちの会話はとても穏やかで平和でした。大法弟子は衆生を救いたい決心があれば、師父はすべての機会を事前に段取りしてくれていると実感しました。法輪功について理解したBさんも幸運に恵まれて、新しい会社での報酬は今の2倍ぐらいになったようです。

 私は思考が止まらない人間で、時にはあることに対し執拗に考える傾向もあります。自分がねじれていると分かっていても放下できない時があります。ある日、このままではいけない、このような雑念は妨害であり、本当の私ではないと思いました。数年前、心性の関を乗り越えるために使ったあまり賢くない方法を思い出しました。それは、毎日顔を洗う時、鏡に向かって、「私は修煉者だ、私は修煉者だ、あの考え方、こう言う考え方は本当の私ではない」を繰り返し言って自分に言い聞かせることです。それ以外の時間も、暇があればその言葉を黙々と頭の中で繰り返します。効果は悪くなかったです。

 私はまだ若いですが、大法の中で修煉し多くのことも経験してきました。長年、つまずいた時もあり、振り返ってみると、うまくいったこともあればうまくいかなかったこともありますが、変わらないのは、その中でずっと師父に見守られていることです。師父に限りなく感謝しています。法を正す最後のところで師父のご加護に恥じないよう、初心を忘れず、精進していきたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/3/473792.html)
 
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