【日本法会】青年大法弟子の修煉の道
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2022年10月12日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めました。数年前に日本の東京大学に、大学院生として入学し、博士課程を卒業しました。20年以上の修煉は、師父の慈悲深いご加護に満ちていました。大法が伝えだされて30周年にあたり、修煉体験を書き、師父にご報告し、同修と交流したいと思います。

一、幼い頃の美しい修煉時間

 私の両親は1996年に修煉を始め、幼い私も一緒に修煉していました。私は物心付いたばかりの頃でした。その後、両親からすぐに大法の本と功を教えるビデオテープをもらい、すぐに五式の功法を学びました。

 あの頃、平日の夜明けの3時に起きて、私と両親は都心の公園の集団煉功に参加しました。ある週末、輔導員が同修たちを集め、郊外へ法を広めるための中型バスはほぼ同修たちでいっぱいになりました。

 その時、夜になると、私たち家族は輔導員が借りた教室に行って師父の説法ビデオを見て、同修たちも真剣に見ました。普段大人たちが法を学んでいる時、私は聞きながら遊んでいました。その後、文字を学ぶにつれ、大人たちと一緒に法を学ぶことができるようになりました。

 大法の法理は、当時はまだよく分かりませんでしたが、「真・善・忍」に従って良い人になることを教えていることは分かっていました。私は大法が良いと固く信じています。師父は「一人の修煉者として、あなたがこの特性に同化すれば、得道した者となるのです。理はこんなにも簡単です」[1]とおっしゃいました。当時、私は幼かったのですが、人が佛を修めることで永遠に生きられると知った時、私は大法を修煉する心を固めました。

 両親はとても修煉に精進しており、私も一緒に法を学んで煉功しました。親戚も大法を修煉しました。もともとあった病気の体は浄められ、家族全員が慈悲の法光を浴びています。

 二、迷いを経験し、急いで元に戻るよう修煉する

 しかし、1999年の7月20日、中共邪党は法輪功に対する残酷な迫害を開始しました。そんな状況に直面して、両親は北京に行って大法を実証することを決め、私も一緒に行きました。

 当時はちょうど2000年の中国の新年でした。私たちは一晩列車に乗り、北京に到着しました。両親は国家信訪局(陳情受付事務所)に行き、大法の素晴らしさを伝えることに決めました。私たちが入口に着くや否や、警察に止められ、派出所に連行され、両親は15日間拘留されました。私は幼いので、難を免れました。

 両親が帰ってきた後、父は公職を解任され、母の給料は減給されました。多くの親戚が中共邪党の嘘に毒され、私達を理解できませんでした。両親が粘り強く真相を伝えると、次第に多くの親戚が真相を知り、大法の良さを認めました。

 これらを経験して、私は修煉を諦めませんでしたが、その後長い間、あまり精進しませんでした。

 小学校から高校まで勉強がよくできたので、その年の大学入試で、私はある重点大学に合格しました。

 大学では寮に住んでいたので、学法は主に説法録音を聴いていました。休みに家に帰ると、私と両親は師父が新しく発表された経文を学習しました。新しい経文を学習するたびに、時間が差し迫っているような気がして、早くしっかり行いたいと思いました。私は今まで避けてきた問題について考え始めました。師父は三つのことをしっかり行うようにと教えられました。私はしっかり行いたかったのでが、時間はまだ間に合うでしょうか? 特に真相を伝えることについて、私はどうすればいいのか、どうすれば安全が保証できるのか分からず、とても悩んでいました。よく考えて、国内よりましだと思ったので海外に行くことにしました。

 基礎知識がしっかり身についており、大学でも真面目に勉強しており、もっと重要なのは、私は多くの時間を学法に費やしたので、私は学科の平均成績が1位で本科を卒業し、GRE専攻試験で満点を獲得し、国内の推薦大学院生の枠をもらいましたがクラスメートに譲りました。海外に行くことが近づき、私は真相を伝えることについていくつかの突破があり、知り合いに対面で真相を伝えることが出来ました。

 師父のご慈悲の下、私は日本に来て、東京大学の大学院に進学しました。私は豊富な奨学金をもらって、精力と時間を使って三つのことをしっかり行うことができました。

 私は地元の煉功場所を見つけて、初めて集団煉功に参加した日、早く起きて、時間通りに公園に駆けつけ、海外で初めて同修たちに会いました。煉功音楽が響いた時、心の中に喜びと久しぶりの感動に溢れました。なぜなら、私は十数年ぶりに集団煉功に参加したからです。数日後、私ははじめて『轉法輪』をいただき、集団の勉強会に参加し、十数年ぶりに多くの同修たちと出会いました。

 日本に来て忙しいのですが、以前と比べて時間的に余裕がありました。私は当時すでに出版された45冊の大法の本を1冊ずつ真剣に体系的に学ぶことに決めました。この間、思想業力と外来の妨害が大きかったのですが、落ち着いて真面目に法を学びました。もし邪魔されたら、私は学んだその一文、或いはその一節を最初からもう一度学びました。1年以上かかりましたが、当時出版されたすべての大法の本を初めて、積極的に真剣に体系的に勉強しました。私は英語の『轉法輪』を学習し、今まで悟れなかった法理が多いことに気づきました。法を学ぶ中で、自分の心の中にあった多くの疑問の答えを見つけ、それまで理解できなかった法理を理解し、多くの執着をなくし、大法を修煉することと師が法を正すことを手伝うことの決心を固めました。

 出国前は、安逸を求める心から、いつも夜12時に正念を発することは保証できませんでした。師父は「ご存知のように、中国大陸の大法弟子が受けた迫害は相当深刻なものであるため、全ての学習者は必ず自分の責任をはっきりと認識し、正念を発する時に本当に心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその五分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです」[2]と言われました。

 全世界で同時に正念を発することで、私は自分を変えなければなりません。今はできるだけ毎日四つの時間に正念を発することを堅持しています。私は正念を発する強大な威力を体で感じました。

 私は真相を伝えるプロジェクトにも参加しました。これは普通のチラシを配るようなことではなく、真相を伝えるのは自分の使命であり、責任を負い、必ずうまくやらなければなりません。私たちは機会を掴んで、しっかり行わなければなりません。

 学生として、私は修士の一年生の時に、修士と博士の5年間の授業で必要な単位をとりました。しかも成績はすべて優でした。修士課程を卒業した時、私は大学院のすべての専攻の新卒業生の代表に選ばれ、大学の卒業式に参加し、総長自ら学位証書を授与してくれました。私はこの名誉が大法を実証するためのものだということをよく知っています。師父の励ましに感謝します!

 三、実証科学への執着を修めて取り除く

 私は幼い頃から真面目で、「なぜ?」と聞くのが好きでした。また幼い頃から修煉を始めたので、まだ学校に通っていない私は、宇宙と時空について少し知りました。私は科学に興味を持つようになったのですが、法から実証科学は真理ではないということも知りました。

 学校に通った後、理科の実験の授業も増えて、私はますます実証科学を信じるようになりました。私は高校の理科の知識理論に対して自分は深く理解していると思い、より実証科学が正しいと感じました。

 大学に入学して、私は実証科学の問題点をだんだん見つけました。専門の授業を学んだ後、私は実証科学の限界と抜け穴を認識しました。もし一つの科学的理論が不完全で、矛盾しているところがあれば、それは真理ではないのです。

 海外に来て、科学研究をしているうちに、実証科学には非常に多くの仮定があることをはっきり認識しました。常人が科学研究をするのは物質空間に限られています。師父は「『1+1=2』は天上では真理なのかと私に聞いた学習者がいます。天上は人間の思考のロジックではありません。最後になると意味合いが変わってしまい、そのようなことではなくなります」[3]とおっしゃいました。

 私はこれ以上、科学について迷信しません。もし師父が言われた法を固く信じるなら、実証科学への執着は全く存在すべきではありません。

 四、学術訪問期間中にアメリカで真相を伝える

 学術研究で、私は博士課程でアメリカに何度も行く機会がありました。

 私が訪問した州は観光地が多く、その時もこの機会にあちこち回りたかったのです。初めて訪問した時、準備が不十分で、自分の手元にある英語で紹介する大法の資料と臓器狩りの資料だけを持っていきました。

 私の研究分野は比較的特別です。そこで科学研究をしている人は、多くの国から来たベテランや若い科学者が多く、この分野のトップの人物もいます。多くの人々が、その科学研究に固定されているわけではありません。この人たちが大法の真相を知ることができるように、私は真相の資料を公共の休憩所の目立つ場所に置きました。その後、確かに誰かが見ていることに気づきました。学術訪問に、もっと資料を持ってくるべきだったと気づきました。

 数ヵ月後、私はまたこの州に来ました。今回、私は数百部の真相資料を用意し、魔の首魁である江沢民告訴の署名用紙も持って行きました。私は研究室の教授と助手、そして博士課程の学生に真相を伝え、彼らから江沢民告訴の署名ももらいました。

 今回の訪問は科学研究の内容が多いので、週末に署名を集めました。観光地に行って資料を配った時、受け取る人の割合が高く、しかも真相を知って署名する人が大多数を占めていたので、数時間以内に署名用紙がいっぱいになるとは思いませんでした。

 この州を最後に訪問した時間は比較的短かったのですが、私に一番深い思いを与えてくれました。出発する前に、私はただ時間を掴んで人を救いたかったのです。

 アメリカ行きの飛行機で、私の隣に座っている日本人と見られる中年男性が、飛行機に乗った途端に挨拶をしてくれました。私がこの男性に大法の真相を伝えると、喜んで受け入れ、すぐ江沢民告訴の署名をしてくれました。私はこの男性に自分は東京大学の博士課程の学生だと伝え、大法を修煉したことで心身ともに恩恵を受け、大法に関するより多くの情報がインターネットで見られると伝えました。相手は喜んで認めてくれました。私は彼が正しい選択をしたことを嬉しく思いました。

 乗り換えの飛行機で、私は隣の人たちにも真相を伝えました。空港に到着した後、研究室に行く予定の時間が残っていることに気づき、この時間を使って待合室にいる乗客に真相を伝えると、真相を聞いた衆生の多くは江沢民告訴の署名をしてくれました。

 私は訪問するたびに滞在する場所が違いました。今回は以前訪問した隣人と今回の隣人に真相を話して、江沢民告訴の署名を無事にもらいました。

 ある時、観光地で、衆生の一人に真相を話しましたが、たぶん香港からの移民で、私に香港人かと尋ねてきたので、私は大陸出身だと言いました。相手は中国共産党が中国人に悪いことをたくさんしたことを知っていると言いながら、私たちの反迫害を支持し、江沢民告訴の署名をしました。

 また、ある労働者に真相を話したら、江沢民告訴の署名をしただけでなく、両手を胸の前で合掌する感謝の意を表しました。真相を語り、人を救うことについて、本当に身分や地位で衆生の真相に対する理解力を判断すべきではないと実感しました。

 ある時、一人の少年が私の前に来たので、私は真相を話しました。少年は資料を見て、江沢民告訴に署名した後、私を大きく抱擁してくれました。これはたぶん衆生が真相を知った喜びでしょう。

 また、ある地元の大学の先生に真相を伝えました。先生はテキサス州で同修から話を聞いたことがあるそうです。江沢民告訴の署名をした後、地元の大学に行って署名を集めることを提案してくれました。これは本当によい提案でした。アメリカ現地の同修の真相伝えの努力に感謝します。

 私はいくつかの週末しか使えませんでしたが、この訪問で数百人が真相を聞いてくれました。師父のご加護に感謝します!

 五、正式に法を暗記し始める

  私は幼い頃、『洪吟』と『論語』を暗記したことがあります。この二十数年の間、多くの同修が法を暗記するメリットと経験を聞いていましたが、自分は『轉法輪』はこんなに分厚くて、いつ暗記できるのかと思いました。私は2020年に、正式に法を暗記することを始めました。

 私が博士課程に進学した最後の学期は、あいにく中共ウイルスによる疫病が全世界に蔓延し、コロナは正常な生活に多くの不便をもたらしました。しばらくの間、私たちの専攻のいくつかの研究室は私一人だけが学校に行き、建物全体、さらにキャンパス全体もあまり人がいませんでした。学校の食堂と店舗は2カ月ほど開いていなかったので、食事をすることさえ不便でした。一日に会話などあまりにも少なかったのです。寮から学校へ行く途中は、ひっそりして物寂しかったのです。

 外部の環境は憂鬱で、私は科学研究をして博士論文を完成しなければなりません。論文は決まった日に提出しなければならないので、論文を書くストレスが大きかったのです。大法を実証するために、私は最善を尽くして時間通りに卒業しなければなりません。

 精神的ストレスが大きいだけでなく、身体的ストレスも大きかったのです。長期の高度の科学研究は脳だけでなく体力も使いました。私は最後の学期に数カ月連続で毎日研究室に通いました。週末を含めて、夜11時以降に寮に戻り、時には一晩中研究室にいました。私は毎日平均少なくとも1時間煉功し、そして第二式の功法を煉功する時、法輪を抱える1時間の煉功のおかげで、私は比較的スムーズに乗り越えられました。多くの場合、私は神韻交響楽団の曲を聴きながら論文を書き、これで気持ちを安定させ、プラスになることが多かったのです。

 とてもつらいと感じた時、『轉法輪』第九講の「大根器の人」の例ほど深刻ではありませんが、私は苦の中の苦を実感しました。修煉には心を修めることと苦を嘗めることが必要だと感じました。私は絶えず自分に言い聞かせ、師父が説法で「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]と言われたことを覚えました。もう少し頑張れば、希望の夜明けは目の前にあるのです。

 数ヵ月の苦しみの後、ようやく予定通りに博士号を取得しました。意外にも、博士課程を卒業した時、私はまた大学院のすべての専攻の新卒業生の代表に選ばれ、大学の卒業式に出席しました。師父は『轉法輪』第九講で「もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[1]とおっしゃいました。師父の励ましに感謝します! 私は自分の意思と忍耐力がまた大きく向上したと感じました。

 博士論文を書いている間、精神的にストレスが強すぎて、私は心を落ち着けて法を学ぶことが難しくなりました。法を暗記することは強制的に法を学べる方式だと思います。やっと『轉法輪』を暗記しようと決心しました。私の暗記方法は一段落ずつ暗記し、各段落を一字も違わず暗記してから、次の段落を暗記するようにしています。

 私は暗記のメリットはたくさんあると感じました。法を暗記することで心から法を学ぶことができ、法を読む時に間違いが起こりにくいのです。何回も読まないと暗記できないので、自然に慣れます。法を暗記することで法に対する理解も正されます。普段は法を読む時、句読点や記号にあまり注意を払わず、暗記する時に注意したため、大法の文が字面からその意味を表現していることに気づきました。私は同修に法を暗記することをおすすめします。

 まとめ

 日本に来てから、新国立劇場で、初めて神韻公演を現場で鑑賞しました。幕が開き、創世主が神々を召喚し、「三界に入り、神の誓約を実現させよう!」と聞いた時の震撼は、今でもはっきりと覚えています。

 2019年のニューヨーク法会の間、私は盛大なパレード、神聖な法会、壮観な人文字に参加しました。一番光栄なことは、大法の師父にお会いできたことです! 師父の説法を直接聞いて、私の心は感謝と喜びに満ちました。

 今世、幸運にも法輪大法を修めることができたことは、私の命の永遠の期待です。師が法を正すことを手伝うことは私の使命であり、法を得て天に戻ることは私の宿願です。法をよく学ぶことは、法の中でもっと精進し、真相を伝えることにもっと効果的になり、正念をより強力にすることができると実感しました。

 法を正すことは、本当に最後の最後まで来ました。師父は「初心貫徹して修煉すれば、道(どう)は必ず成し遂げられます! 最後になればなるほど精進しましょう!」[4]とおっしゃいました。

 私は残った少ない修煉時間を大切にし、海外の自由な修煉環境を大切にし、師父が教えられた三つのことをしっかり行い、今後の道をしっかり歩み、師が法を正すことを手伝う神聖な誓いを実現し、師父について家に帰りたいと思います。

 師父の慈悲の救いに感謝します!

 同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『台湾交流会へ』

 (2022年日本法会交流原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/11/450540.html)
 
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