チャンスを掴み 心を込めて真相を伝える(1)
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2023年6月12日】以下は、私が最近数年間において真相を伝える際に、チャンスを上手く活かしたいくつかの経験です。

 一、時間に余裕がある場合、適切なタイミングで真相を伝える

 これは私が東京大学で修士課程を学んでいた際に、日本の同級生に真相を伝えた経験です。

 私が修士課程2年生の頃、当時所属していた研究室の数人の日本の同級生と博士研究員に、法輪大法について伝え、江沢民を告訴するための署名を求めました。1人を除いて、他の人々は私の説明を聞いて、署名をしてくれました。ただ、この同級生は私が真相を伝える際には、注意深く聞いていなかったようで、政治に興味がないという理由で江沢民を告訴するための署名をしなかったのです。私は人権に関わる問題であることや、この同級生に何ら不利益をもたらさないことを再度強調しましたが、彼はやはりその場では署名をしませんでした。

 私は少し残念に思い、内に向かって探すと、自身の不足点を見つけました。この時に真相を伝えたのは、この同級生が修士2年生の下学期、つまり修士論文を書き上げる最中でした。真相を伝える前に、この同級生に時間があるかどうか尋ねましたが、彼が研究に忙しいのかどうかにあまり気を配っていませんでした。おそらくこの同級生は先輩としての礼儀から、時間があると答えたのかもしれません。また、私はこの同級生が以前に研究発表を行った際に、苦労している様子を見たことがあり、論文執筆のプレッシャーも大きいのだろうと考えました。私はこの同級生の立場を考慮するべきでした。江沢民を告訴するための署名を得るために私は焦り過ぎていたのかもしれません。今回の真相伝えでは、私は心を込めて取り組むことができませんでした。他の同級生に真相を伝える際には、事前に発正念をしてから、署名を呼びかけると良い結果を得ていました。今回の真相伝えの前にも発正念をしましたが、それを形式的なものとしてしまい、心を落ち着かせて正念を発することがなかったかもしれません。これらの点に気づき、今後機会があれば再度この同級生に真相を伝える準備をしようと思いました。

 数カ月後、卒業の季節がやってきました。この同級生は修士課程を修了し、博士課程に進学しました。また、同じ研究室には別の同級生も博士課程を修了しており、私は両方の同級生に同じ贈り物を贈り、署名をしなかった同級生を差別することはありませんでした。

 その後、私は博士課程に進学し、研究が忙しくなりました。そのため、しばらくは時間を割いて真実を伝えることにあまり注意を払っていませんでした。国際人権デーが近づいた頃、それは私の心性をすごく試される一日となりました。

 その国際人権デーの期間中、東京で臓器狩り反対のセミナーが開催され、同修から、数日前に会場の周辺で迫害の実態の資料を配布するよう言われていました。当時私は博士課程2年生で、研究が忙しかったため、平日に資料を配布する気にはなれませんでしたが、このセミナーの機会は貴重だと考え、真実を伝えるために行動すべきだと感じました。そこで、会場の近くで資料を配布する事にしました。別の同修は既にそこにいました。しかし、しばらくすると、警官が巡回してきて道路使用許可の申請をしているか尋ねてきました。私は申請書類がもう1人の同修の手元にあると思い、彼が警官に提示するのを待ちました。しかし、意外にも同修は申請をしていないと答えました。すると警官から、そこでの資料の配布を許可しないと言われ、私は少しパニックになりましたが、冷静になり、同修にどうするか聞きました。同修は別の場所に移動して申請不要の場所で資料を配布するよう提案しました。

 そして、私たちは電車に乗って別の場所に移動しました。電車の中で私は思いました。なぜ私を資料配布に呼んだ同修は、道路使用の申請がないことを教えてくれなかったのだろう? 警察に注意された事で、お金が無駄になったことはまだしも、本来研究室で研究をするはずだったため、時間も無駄になりました。しかし、私はすぐに怨みを抱いてはいけないと気づきました。私は資料を配布しに来たのであり、残りの時間を一生懸命に活用するべきです。新しい場所に到着すると、たくさんの人がいて、資料の配布も順調に進みました。時間はあまりありませんでしたが、私たちは多くの資料を配布しました。この時、私は今回の心性の試練は終わりだと思いました。

 その日は大グループ学法があったため、資料の配布後、私は学校に戻って学法に行く準備をしました。研究室に戻ると、散らかった机を見て少し違和感がありました。外出する前には整然と並んでいたものが、戻ってくると変わっていたからです。博士研究員は私が戻ってきたことに気付き、「あなたが外出している間に、物を移動させる必要があったので、通路を通るときに可動式のホワイトボードを動かしました。しかし、机の上にものがあった事に気づかず、ノートパソコンとモニターを床に落としてしまったのです」と言いました。ホワイトボードを動かした人は、私が真相を伝えたが、署名をしてくれなかった同級生でした。博士研究員は、その同級生は今は研究室にいないが、出かける前に手書きの謝罪の手紙を私の机に置いていったと言いました。この時、私の第一念に師父の法が浮かびました、「なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。」私はこれがさらなる心性の試練であることに気づきました。深呼吸をして冷静さを保ち、博士研究員に心配しないよう言いました。

 コンピュータとモニターの金属ケースを見て、私は半信半疑でした。落下の跡が見えないので、再度尋ねました。「これらのものは地面に落ちましたか?」博士研究員は「はい」と答えました。私は冷静な心で、きっと大丈夫だと信じました。その場では時間に追われており、ほとんど整理する時間がありませんでした。しかし、コンピュータは学校の所有物である為、チェックする必要があると考えました。椅子を移動して座ろうとした時、コンピュータとモニターだけでなく、本が2冊椅子に押しやられ、一眼レフカメラが地面に落ち、ビューファインダーの側面が下を向いた状態である事に気づきました。ほぼ30インチの大きくて重いモニターが落ちた場所には、床のプラスチックカバーがはがれていました。コンピュータを開いて確認すると、すべて正常でした。カメラはかなり繊細なもので、レンズは特に壊れやすいものですが、起動して見ると、異常はなく、落下の跡さえも見えませんでした。こうして、私は安心して学法に行くことができました。

 集団学法の後、夜遅くなりましたが、私は学校に戻りました。その時、あの同級生も研究室におり、私が戻ってきたのを見て、謝罪をしに来てくれました。今の時代、重要な情報は電子メールでやり取りすることができますが、手書きの謝罪状から、この同級生がこの件を重視していることが分かりました。私は微笑みながら何度も「大丈夫、心配しなくてもいいよ」というと、同級生もほっとしていました。

 その時、私はこの同級生に真相を話す必要があることを思い出しましたが、「このやり方で本当に正しいのだろうか?」と自分に問いました。署名をしたとしても、この同級生が真相を理解したからなのか、それともこの事態を起こしてしまった罪悪感からなのか分かりません。そのため、もうしばらく待ってから真相を話すことにしました。

 この出来事を通じて、私は心性の向上を感じました。コンピュータが地面に押しやられたことは、私に研究データやコードをバックアップしていないことを思い出させました。椅子に押しやられた2冊の本は、サイン入りのバージョンであり、以前はコレクション用に準備していたものですが、それぞれの角が明らかに折れており、コレクションの価値が大幅に低下しました。これを機に、私はコレクションへの執着を放下しました。そのため、その2冊の本を学校のパブリックエリアに寄付しました。

 もし道路使用許可を申請していなかった事を知っていれば、私はチラシを配ることもなく、研究するための時間を取られることもなく、警官に注意されることもなければ、電車に乗るために時間とお金を余分に使うこともなく、机の上の貴重品を床に落とされる事もありませんでした。しかし、私はこれらの出来事について、同修に恨みを抱くことはありません。なぜなら、私が資料を配布することで、多くの人が真相を知ることができ、大法弟子が問題を処理する良い方法を人々に見せる事もでき、私自身の心性も向上しました。同修に感謝します。

 その後、その同級生が博士号を取得する時期になりました。私とその同級生がこの研究室を共有した3年間の中で、この研究室に出入りした人は何人もいましたが、その同級生だけがまだ署名をしていませんでした。その当時、その同級生の博士論文はすでに合格しており、卒業を待つだけで、プレッシャーはありませんでした。私はこれが良いタイミングであると感じ、再び真相を話しました。今回は、その同級生は真剣に真相を聞き、快く署名をしてくれました。その同級生が卒業する際に、私は神韻の金メッキのしおりを贈り、神韻の公演を見ることを勧めました。その同級生は喜んで受け入れました。

 私はこの衆生に対して本当に喜びを感じ、同時に真相を話すために、本当に長い時間をかけて準備をしたと感じました。真相を伝えるには忍耐が必要です。師父の巧妙な安排に感謝します!

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/3/461419.html)
 
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