他人のための一念で、雲が晴れ霧が散る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年5月2日】昨年5月のある夕方のこと、私が夕食の準備をしているその時、突然「ドンドン!」とドアを強く叩く音が聞こえました。心の中で「誰だろう?」と思いました。同修たちはいつも静かにコンコンと軽く叩くので、こんなに大きい音はしないはずです。

 急いで台所から出てドアの前まで行き、のぞき穴から外を覗いた瞬間、心臓がドキン! と鳴りました。なんと、そこには、地元のAさん(亡くなってまだ1年も経っていない女性同修)が片目をのぞき穴にぴったりと当てて中を覗いていたのです。まるで目が合っているかのように感じました。

 長年、邪悪な迫害の影響を受けてきた経験からか、私は一瞬にして不吉な気配を感じ取りました。すぐに正念を発し、不正な考えの一切を否定し、同時にあらゆる邪悪な要素による妨害を徹底的に解体しました。その間もドアを叩く激しい音が続きましたが、無視して正念を発し続けました。すると、およそ5〜6分後に音がやみました。

 夫である同修が仕事から帰宅し、共に6時の発正念を終えた後、私はさきほどの出来事を夫に話しました。すると話している最中、また誰かがドアを叩く音が聞こえました。

 夫がドアを開けると、そこには修煉を始めて数年の、知り合って間もない年配の男性同修Xさんが立っていました。Xさんは非常に感動的な経緯で修煉を始め、行動も慎重で信頼できる人ですが、少し気が短いところがあります。Xさんは家に入って椅子に座るなり、急に言ったのです。「5時に一度来たけど、いなかったみたいだね」。これを聞いた途端、「あっ、あのときドアを叩いていたのはXさんだったのか」と思いました。

 さらに驚いたことに、Xさんが訪ねてきた用件は、まさにAさんに関することだったのです。

 生前のAさんは、邪悪な勢力により強制連行・迫害を受けたことがありました。そのとき、非常に緊迫した状況の中で、XさんがAさん家族を探す手助けをしてくれたおかげで、迅速に弁護士を雇い、救援活動を進めることができたのです。

 この日、Xさんは「今日の午前中、Aさんの遺族が私を訪ねてきて、当時誰が弁護士を手配し、費用は誰が出したのか、いくらかかったのかを知りたいと言っていた。そして行政機関から、弁護士を手配した人物に証明のために署名するよう求められているそうだ。明日の午前、家で待っているから証明者を連れて来てほしいと頼まれたんだ」と話してくれました。

 Xさんは遺族からの依頼にこたえようと、協調人のBさん(女性)に弁護士手配の事情を確認に行ったところ、「その件は私(協調人Bさん)と○○さん(私のこと)が一緒に対応した」と言われたので、こうして私の家を二度訪ねてきた、というわけでした。そして「明日の午前9時に一緒にAさんの家族に会いに行こう」と提案されたので、私は了承しました。

 Xさんが帰った後、私は「明日、どのように冷静に同修の家族と向き合うべきか」と考え始めました。すると、夫である同修が横から少し不満げに言いました。「なんで明日行くって簡単に約束しちゃったの? あの人たちのために証明書に署名をしてあげるなんて、それは自ら身を危険にさらすようなもんじゃないか」。私も「確かに…。軽率に承諾するべきではなかったかもしれない」と反省しました。

 Aさんは生前、家族に対して真相を伝えることが十分にできていなかったため、家族の多くがAさんの大法修煉に反対していました。中共の公安機関で働いている親族がいて、特にその親族からの反発が強かったのです。

 生前のAさんと私は、数々の救援プロジェクトで協力し合ってきましたが、その際、Aさんを迫害していた邪悪な国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らは、違法な尋問を何度も繰り返し、誰が弁護士を雇ったのかを執拗に詮索していました。当時、私は非常に大きなプレッシャーを感じていましたが、師父のご加護のもと、警官らは私に一切手出しすることができませんでした。

 その晩、私は急いで夕食を用意し、自転車に乗って協調人Bさんの家へ向かい、相談することにしました。Bさんは現在、地元で拉致・迫害された同修を弁護士と共に救援している最中で、その救援は非常に難航しており、さらに別の同修についても弁護士を手配するなど、多忙な状況でした。

 会ってみると、Bさんの顔には疲れが色濃く浮かんでおり、明らかに精神的な負担も大きい様子でした。Bさんは私にこう言いました。「いま中国共産党(以下、中共)の司法機関が、大法弟子に対する無罪弁護を行う弁護士の活動を制限し始めている。私たちが次々と弁護士に依頼していることが、邪悪の注目を集めたのかもしれない。もしかすると、それで真相を知らないAさんの遺族を使って私たちを探らせているのかもしれない。だから今すぐXさんに、私たちは何も知らないって伝えて。あなたもXさんと一緒にAさんの家族に会いに行くのはやめた方がいい」

 Bさんの家を出たあと、私は心の中で「Xさんは新しい学習者で、これまで大きな試練を経験していない。Bさんと私の判断をXさんは理解してくれるだろうか?」と考えました。そしてXさんの家に着き、私はBさんとの話し合いの内容を正直に伝えました。やはり予想通り、Xさんはすぐに感情を高ぶらせ、Bさんに対して不満をぶちまけ、「2人で責任を押しつけ合っている」とまで言いました。

 私はXさんを落ち着かせるため、過去20年以上にわたって公安・検察・裁判所の関係者がどれだけ様々な手段で同修たちを迫害してきたか、自分やBさんがどれだけその影響を受けてきたかを語りました。実際、Bさんも最近になって再び妨害を受けており、私たちは中共の邪悪さを身をもって知っているのです。「だからこそ、私たちは決して油断してはいけないし、邪悪の思うがままに動かされてはならない」と伝えました。

 Xさんはそれ以上何も言わなかったものの、「でも自分は約束した以上、信義を守るべきだ」と強く主張しました。そこで私は、「分かりました。では明日の午前9時にあなたの家で落ち合い、一緒にAさんの遺族を訪ねましょう」と応じました。話しを終えてようやく家に戻ったとき、時計の針はすでに夜の11時近くになっていました。

 翌日のことが気がかりで、その夜はあまり眠れませんでした。翌朝8時ごろ、Cさんが私の家を訪ねてきました。彼女は、昨晩私がXさんとどんな話をしたのかをBさんが知りたがっていると伝えに来たのです。私はありのままを話しました。Cさんはそれに対して特に意見を述べず、ただ「最近、明慧ネットで大規模な大法弟子の連行・迫害が起きている地域があるという記事を見た。慎重に行動しないと」とだけ言いました。

 話をしているうちに、私はCさんがAさんの親族の1人の住まいを知っていることを思い出し、「あなたが帰るときに、私もその場所まで一緒に行って、その親族から少し様子を探ってみたい」と提案しました。しかし彼女は「9時半には孫を補習塾に送らないといけない」と言い残して急いで帰っていきました。

 Cさんが帰った後、私は学法を始めました。しかしその途中、何度もよくない考えが浮かび、目は文字を追っていても、心は法に向かっておらず、思考はどんどん逸れていきました。そこで私はまた戻って読み直し、ようやく『轉法輪』の第四講を学び終えたころには、すでに10時を回っていました。本を閉じて丁寧にしまった私は心の中でこう思いました。「これ以上、他人に頼ってはいけない。自分が歩むべき修煉の道なのだから、自分で向き合わなければならない」と。それでも心は揺れました。「行きたくない」という気持ちが出てきたのです。

 しかし、すぐに考えました。

 一つ目に考えたことはこうです。Xさんは新しい学習者だ。どう思うだろうか? 古い弟子が困難に直面して退き、自分を守ることを優先するようでは、Xさんの信念をも揺るがしかねません。

 二つ目。XさんがAさんの家族と会うことをすでに約束していたのに、私が行かなかったら、同修の家族は大法弟子をどう思うでしょう? 同修が迫害で亡くなり、家族には大きな傷が残っています。しかも、彼らはまだ真相を知らないのです。もし私たちが行かなければ、さらに大法への誤解や悪い印象を与えてしまうかもしれません。

 三つ目。正義感ある弁護士が無罪弁護をしてくれることは、同修と家族にとって良いだけでなく、法律家の立場で迫害に関与する人々に通じる言葉で真相を伝えられ、中国共産党と運命を共にする、共に危険な縁にある公安・検察・裁判関係者の救いにもなります。これは師父から弟子たちに託された、最も正しく偉大なことなのです。

 私は自問したのち、「自分にやましいことはない。堂々としていればいい。恐れることなど何もない。今日、どんな状況に直面しようと、私は前へ進むしかない」と、強く心を決めました。

 私は師父の法像の前に進み、厳かに3回頭を床につけました。そして家を出て、スーパーで果物を買い、Xさんに電話をして、一緒に11時半頃にAさんの家を訪れました。

 その時の状況はこうでした。

 Aさんの家族間に家の事をめぐってトラブルがあり、それを当局に訴えたために、弁護士費用の証明が必要になったとのことでした。私はAさんの遺族からの質問に機転を利かせて的確に答えました。

 同時に、Xさんと私はそれぞれの修煉における理解をもとに、家族に対してこう語りかけました。「人生は容易なものではありません。輪廻は無常であり、業には必ず報いがあります。生まれては去っていくのが定めです。だからこそ、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と常に心に念じてください。そうすれば、未来は必ず明るくなります」。帰るとき、遺族の方々は私たちに心から感謝の言葉を何度もかけてくれました。

 そのとき、まるで厚い暗雲が頭上を覆っていたかのような魔難が、すっと消えていきました。まさに、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)の詩そのものでした。私ははっきりと理解しました。それは私が他者のために抱いた一念が、法にかなっていたからこそ、慈悲で偉大なる師父が弟子のためにその魔難を背負い、解いてくださったのです。

 以前の私は法理の理解が明確ではなく、邪悪な迫害に直面すると、まず師父のことも、大法弟子としての自覚も思い出せず、すぐに悪い方向に考え、落ち込み、無力さを感じ、結局は悪い結果を招いてしまっていました。

 結局のところ、すべては自分の意識が物事の進み方を決めていたのです。大法の修煉の道で、どんな魔難や試練に遭遇しても、自分自身をしっかり保ち、正念をもって向き合わなければならないと私は悟りました。それこそが、慈悲で偉大なる師父が弟子を成就させてくださり、弟子の命の昇華と帰還のために、徳と威徳を積み重ねさせてくださっている道なのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/24/492851.html
 
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