【明慧日本2025年5月15日】
ベトナム移民2世の張徳康(Ken Truong)さんは米国で生まれ、卒業と同時にベトナムに帰国し、ネット通販会社を立ち上げました。会社は順調に業績を伸ばし、その成功で名声と富を味わったのですが、華やかなエンターテインメントの世界で楽しむ一方で強い喪失感を感じていました。どうしたら、張さんの魂を安らかにし、充実させる真の幸せを見つけることができるのでしょうか?
学業で成功した後の喪失感
カリフォルニア州サンディエゴで育った張さんの生い立ちは順風満帆でした。「子供の頃は両親に甘やかされ、おもちゃを買ってもらい、勉強も順調だった」とのことです。
しかし、その順風満帆な環境が、彼をわがままで、自己中心的な性格にさせてしまいました。「私がいつも求めていたことは、楽しい時間を過ごし、あらゆる欲望を満たすことだった。 私の人生の目標は、あらゆる欲望を満たし、自分が幸せになれることをすべてすることだ」と彼は言っています。 現代社会の概念に影響され、「クール」で強く、競争心の強い青年に成長しました。一生懸命勉強し、放課後は友人たちとダンスをしたり、テレビゲームをしたり、映画館にデートに出かけたりして楽しみ、 人生を満喫しました。
張徳康(Ken Truong)さん |
大学卒業後、張さんはMBA学位を取得し、25歳で父の母国ベトナムに戻り、パートナーとともにネット通販会社を立ち上げました。彼はビジネスチャンスをつかみ、懸命に働き、会社は非常にスムーズに運営され、市場をリードする地位を長期間維持できました。
会社が順調に運営され、事業の成功によって名声と富を味わい、楽しむ一方で、彼は強い喪失感を覚えました。
彼は仏教徒である母を思い浮かべました。母はとても優しく、業力の報いを信じ、人があらゆるものを享受できるのは、その人が持っている「徳」から来るものだと知っています。家族の影響を受け、幼い頃から仏教の考え方に触れ、将来は僧侶になり、すべてを捨てて修行に励むのだと子供ながらに感じていました。しかし、それは将来のことなので、「それまでは人生を精一杯経験し、業力を作ったら後で返そう」と思っていました。
しかし、仕事と遊びで毎日を楽しく過ごしていた張さんは、夜遅くベッドに横になっても安眠できず、パニック発作を起こすことさえありました。「パニック発作、あの時は本当にパニックに溺れていたよ」と言っています。
世界中で修煉の道を求めて探し回る
31歳のとき、成功や名声の日々に「もう十分だ」と感じました。「いくらお金を稼いでも、いくら注文や契約を交わしても、いくら食べても、物質的な楽しみは人生に究極の満足をもたらさない。精神世界こそ、人が本当に到達できる高い次元の領域だ」と思うようになりました。
こうして、張さんはベトナムを離れ、精神世界への探求を始めました。海を渡ってフランスのボルドーの仏教寺院を訪ね、米国の主要都市でスピリチュアル・ワークショップを訪ね、ネットで情報を探し続けていました。
2014年、カリフォルニア州サンディエゴに戻りました。6月22日、スピリチュアル・ワークショップから帰宅し、再びネットで情報を探し始めましたが、動作伝授の動画がポップアップされ、それをクリックすると、李洪志先生の法輪功の教えと法輪功の簡単な紹介の動画が目に入りました。
彼はその動画に一瞬で魅了されました! この功法は宇宙の特性に従って修煉され、あなたが功を煉らなくても、功が自動的にあなたを煉る…すごい!」と思いました。その時、ちょうど財布がそばにあったので、彼はすぐにクレジットカードを取り出し、支払い方法の欄を見つけようとしましたが、結局、ウェブページには支払い方法は見つからず、法輪功が無料で教えてもらえることがわかりました! 彼はますます驚きました。「社会にある他の功法はいつもお金を稼がなければならない、お金を取らなければならない、何百ドルも取られる。でも、法輪功は無料なんだ」と感嘆しました。
彼はすぐに、この功法は貴重なものだと感じ、自分が探していたものを見つけたと思いました! 早速、彼はサンディエゴの学習者と連絡を取り、ネットで独学しながら、法輪大法の経文をすべて読み、グループ学法に参加し、地元の学習者が主催する各種の真相を伝える活動に参加し始めました。
法輪功の第五式の功法を練習する張德康さん |
職場で修煉者の心理状態を保つ
2017年、彼はSNSマネージャーとしてメディアに参加しました。多忙な日々の仕事の中で、学習者として、常に良い学習者のマインドセットを維持することを自らに求め、その過程は多くの困難を経験しました。
まず、会社では、彼が担当する計画プロジェクトは常に取りやめられ、やり直され、新しいプロジェクトが作られ、また取りやめられ、やり直されるといったことが何度も繰り返しました。「ミラレパの修煉の話のように、師父から石で家を建てるように言われ、途中で壊しては建て直し、建て直してはまた壊して建て直し、多くの困難に直面した」と語っています。
修煉前の彼は、仕事で嫌なことがあるとイライラしていましたが、修煉後は、このような厳しい試練に直面すると考え方が変わり、「 私は自分自身を成長させ、あらゆる困難に正しく対処するよう努力している」と、良いことだと思うようになりました。
また、努力しながらも自然の成り行きに任せることの重要性も感じています。修煉前はいつも自信に満ち溢れ、自分には能力があり、人生をコントロールできると感じていましたが、修煉後は謙虚になり、人間は広大な宇宙の一部に過ぎないと感じるようになりました。「この環境の中にいる全ての人、物事、私もあなたも、皆宇宙の一部分にすぎず、何が起こっても、それは宇宙が私に何かを教えてくれているのだ。私は宇宙の真善忍に従い、自分自身を調整し、それに逆らったり、抵抗したりしないようにしている」と語っています。
「未来を予測することはできないし、次に何が起こるかもわからないが、すべては按排されており、うまく段取りをされていると信じている。私はただ自分の役割を果たすだけでいい。全ての按排は最も良いものだ」と語っています。
もちろん、彼はいつもポジティブに考えるわけではありません。ある会議中、彼が同僚の意見を聞いていたとき、「おい、これは本当に悪いアイデアだ。どうしてこんな悪いアイデアを思いつくんだ。これは必ず失敗する 」と、否定的な考えが頭の中をグルグルと回っていました。この時、彼は突然に、「私は法輪大法修煉者だ。こういったことに直面することで、本当に向上できる」と思い始め、李洪志師父の法理を思い出し、否定的な考えをやめ、同僚の長所を見るようにして、チームワークをよくしていきました。
また修煉する前、彼はしばしば職場で、ある人は彼を批判し、ある同僚は裏で彼の悪口を言い、あるいは彼を騙して裏切ったことがありました。これらのことに直面した時、彼は怒って報復しました。「私は自分の貢献、自分のアイデアにしか関心がなく、出発点はすべて私、私、私だった」と語っています。
修煉した後、状況は変わって来ました。彼は大法の要求に自分自身を照らし合せ、できる限り他人のことを優先にしました。「修煉した後、私の喜びはより無私になり、他人を優先し、全体に貢献することにある。明らかに私が良いことをすれば、周りの人も幸せになり、私も楽しくなった」と言いました。
あるとき、頻繁に異動されたことに不満を募らせていた部下のベンが、ちょっとした文句を言いましたが、ベンは怒らず、ただ彼に淡々と心からの話をしただけでした。そこで、張さんは「いいよ、心配しないで、一緒に一歩ずつ進めてみよう」とベンをなぐめました。このような積極的なコミュニケーションがチーム全体の求心力を高め、より調和のとれたチームと卓越した仕事ぶりを生み出したのです。
生きる意味を見つけた
日々の仕事や生活の中で、彼は、世の中のほとんどの人が、心の奥底では人生の意味を見出したいと思っていると感じています。「それは心のとても奥底にあるもので、誰にとっても大切なことなのだが、ただ覆い隠されてしまっているだけなのだ」と思っています。「ダンスパーティーであれ、飲み会であれ、デートであれ、ソーシャルメディアであれ、ゲームであれ、現代社会のあらゆるものは、私たちに即座に満足感を与えてくれるが、それは私たちが人生でなすべきことを忘れさせてしまう。実は、誰もがこの世で使命を持っているということであり、それを見つけ始めるためには、変わる勇気を持たなければならない。一度始めれば、神が助けてくれる」と語っています。
彼はまた、「人はしばしば大きな困難に遭遇したときに、人生の意味を理解したいと思い始める」と述べ、「時には末期の病気であったり、愛する人を失ったり、仕事を失ったり、全ての財産を失ったり、人生の大きな変化が起こったりしたそのとき、人は人生について考え始めるのだ」と述べました。
「手遅れになるまで待つ必要はない」と言い、「今世界中でさまざまな自然災害や戦争、伝染病が起きていることは決して偶然ではない。私たちは善に向かって努力し、すべての雑音に気を取られないようにし、内なる善を見つけて、そうすると人生の意味はどこにあるかはわかるようになる。善のここを保っていれば、神様が守ってくれるからだ。善は善の報い、悪は悪の報いがあるというのは天の法則であり、宇宙の法則なのだ」と言っています。
法輪大法を修煉した後、彼は、「すべては実はとても簡単なことで、自分の心が物事を複雑にしているだけだ」と感じました。修煉後、真、善、忍の基準で物事を見るようにすると、物事がとてもシンプルになることがよくある」と言いました。
もちろん、修煉は旅のようなものであり、一朝一夕に成功できるものではないことを理解しています。しかし、一旦修煉し始めたら、この旅は始まりました。
以前、彼は外部の物質利益が自分の心を左右し、名声や富を得るために必死で闘っていましたが、夜になると寝返りを打って眠れないことが多かったのです。今は、忙しい一日を終えてベッドに横たわると、世の中の人々の役に立ち、社会に貢献することに充実感と満足感を感じるうようになりました。「私は命の意義を見つけた!」と語りました。