真の自己に心を掌握させる
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文/中国の大法弟子 李星雲

 【明慧日本2022年7月20日】現在の社会は、華やかですべてが魅力に満ち溢れています。目で見るもの、耳で聞くもの、他人がすることなど、常に私に影響を与えています。集団学法の時は、絶えず前進し続けるよう自分自身を促すことができます。しかしその後、様々な原因で集団学法に参加できなくなると、心がゆるみ、ひどい時には自分の何もかもが、法に基づかなくなり、言動が全て常人と同じようになり、時には常人以上に常人のようになります。

 ある時、夢で師父が本の中から出てこられ、厳粛に「跪きなさい」と私に言われました。その時の私は、執着していることは知っていましたが、絶えず同じ過ちを何度も犯しました。私は、目が覚めているときに考えました、「なぜこうなるのか?」このような事は、本当の自分自身ではないので、内に向かって探す必要がありますが、私はそれを自分自身として捉えていました。

 学法していた時、最​​初は心の状態が良いと感じていましたが、「次元を向上したい、より高い理を知りたい」など、段々と執着を持って学法していることに気づきました。落ち着いて自分自身を注意深く探してみると、これらは本当の自分ではなく、本当の自分が学んでいるのではなく、それらの考えを念頭に置いて学んでいることがわかりました。私たちはすべてに生命がある事を知っています。これらの考えにも生命があり、彼らは自分自身を干渉しています。ですから学法する時は、真面目に、何もない真の心を持って、学法するよう注意しなければなりません。

 人間社会の中で養った習慣の多くは非常に頑固です。例えば、仕事をする時、何をすれば良いのかすぐに分かりますが、いつも法に照らし合わせて自分を見ることを忘れ、学法をもっとしなければならないことに気づきました。そして、私たちは全ての問題において、常人の認識を超越するべきですが、常人と混同されることに慣れています。そのような概念、そのような経験、そのような仕事、生活する中で私たちは、常人の習慣を身に付けています。私たちはもう一度自分の生活を見直し、慎重に考える必要があります。自分の心を喚起して熟視し、すべてを平和に処理する必要があります。

 認識できた時には、すぐに乗り越えられる時もあれば、先延ばしにしてもうまくいかなかったり、正念を持って行動をするよう心掛けても、いつも何かの事で乗り越えられないと感じています。自分を熟視してみると、私はその気持ちに貪欲なだけでその習慣に慣れ、自分を常人として扱うことに慣れているのです。そういう時は、人間から決別する決意が十分ではなく、ただ引きずっているだけです。引きずる過程で多くの命が失われ、先延ばしにして間違いを犯すと、永遠に失われます。人間には境界があり、高い境界と低い境界の生命が私たちに影響を与えているので、私たちは自分自身のことを常人として捉えるべきではありません。 

 人間は複雑な生き物であり、安逸心、恐怖心、怒り、わがままなどが意識的または無意識のうちに私たちに影響を与えています。これらの物質を徐々に衰退して消していくためには、学法を多くし、自身の心と照らし合わせて、心性を高め、法に同化すること以外ありません。

 学法を続け、三つのことを続ける中で、自分の中の正しくないものを徐々に取り除き、自分の内面を観察し、偽りの自分を取り除き、自分を清め、真の自己にあなたの心を掌握させましょう。

 [編集者注:この記事は、現在の修煉状況における著者の個人的な理解を表しています]

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/4/445747.html)
 
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