明慧法会|勇猛邁進し 師が法を正すことを手伝う(六)
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文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理

 【明慧日本2012720日】

 深圳市羅湖刑務所

 私は羅湖刑務所に拘禁されましたが、奴隷労働を拒みました。煉功したいと言ったら、許可するどころか、お尻が傷だらけになって座禅できないようになるまで粗い砂を混ぜたコンクリートの地面に座ったまま引きずられました。10人引きずられたら10人すべてがお尻は傷だらけになるのですが、私はズボンがボロボロになったものの、お尻は全く問題ありませんでした。看守の警官は「こんなに引きずったのに、無傷だなんて初めてだ」と不思議そうでしたが、次第に恐れました。

 学法と煉功をさせてもらえなかったので、私は断食を始めました。その後、無理やり灌食されて最終的に歯がぐらぐらになってしまいました。本気で殴られていたにもかかわらず、私はちっとも怖くありませんでした。それを見た留置場の上司は「よく耐えられるな。法輪功は本当に素晴らしいよ」と、急に私に優しくなって「他の部屋でもどこでも煉功していいよ」と言い出しました。それから厳しい局面を打開することができました。

 私は断食をやめました。人が干し芋を食べているのを見て美味しそうだと思って「師父、私も食べたいです」と言うと、師父は「はい」と私に合図をしてくださいました。私は食べている人に「私にもいただけませんか。しばらく食事をしていませんから」と声を掛けると、彼女は一つ私にくれました。じっくり噛んで食べると本当に美味しかったです。「師父、私の歯は治りました」と内心で感謝しました。

 災難

 羅湖刑務所にいる間、他の空間の更なる災難に遭遇しました。執着心が残っているため、今までで一番苦労をして、自ら苦難を招いてしまいました。私は非常に高い次元の生命体にコントロールされてすべての記憶を抹消され、かなり低い位置まで落とされ、他人の話が聞こえないくらいでした。その高次元の生命体の言うめちゃくちゃな声しか聞こえませんでした。私は「確固」の二文字を拡大しましたが、すぐ消されましたし、法を暗唱したらすぐ消されました。一つの言葉を念じると次の言葉が全く思い出せませんでした。とにかく唯一覚えていた 『転法輪』を暗証すると、その生命体は「あぁ~」と悲鳴を上げて恐れました。私は一昼夜絶え間なく『転法輪』を暗唱しました。そうすると、本当に法輪が部屋中を回転して良くない物を排除し、その高次元の生命体も次第に消えていきました。

 初めての違法な労働教養

 私はいつも他人と隔離されて拘禁されました。私には労働教養を受けさせるつもりがなかったらしく、初め私も「外に出して」と何度か要求していました。しかし、労働教養所にはたくさんの大法弟子が収容されていると聞いて、私は「労働教養所に行こう」と考えを変えました。午前中に思うと、午後にはもう2年の労働教養を言い渡されました。実にスピーディでした。

 2000年の夏、私は佛山三水にある広東省女子労働教養所に連れて行かれました。一冊の『転法輪』と経文をポケットに入れ、気付かれないままこっそりと持ち込むことができました。また一人で拘禁されることになりました。他人が強制労働に出掛けた後に私は学法を始めました。本を取り出して読んでいる時に警官に見つかり、手錠を掛けられて本も取り上げられました。

 しばらくして邪悟者達が来て、でたらめばかり言いました。中の1人が「師父が自分達のためにたくさんの苦難に耐えているのを見てよくも修煉が続けられるね。このままだと師父は私達のせいで死んでしまうよ」と私に言いました。それを聞いて私は涙が止まりませんでした。「そうですね、師父は全てを耐えておられます。私が警官に叩かれても痛くもなく、悪人が飛び跳ねながら全身の力で私の頭を打っても私はちっとも痛くなく、腫れませんでした。きっと師父が受け持ってくださったのです」と泣きながら言いました。「師父、もう修煉をやめます。私は一生一つの業を返していくので、上まで修めたら本当の威徳になります」と、決めたかのように言いました。

 修煉をやめると聞いて師父は大変悲しそうにしていらっしゃいました。「あんなにたくさんの大きな苦難を師父に耐えて欲しくないからです」と私も号泣しました。恐らく自分の分かっている一面が泣いていたのだと思います。ずっと泣いていました。悲しくて泣いていました。誰を見ても泣きました。最後に警官達はもう私にうんざりしていました。「もうどうぞ自由に修煉しなさい。そんな状態でどのように生きて行くの? 24時間泣きっ放しで寝ないでずっと泣いていて、誰を見ても泣いているなんて」と言いました。

 しばらくして「師父、やはり修煉します」と話すと、師父の悲しい表情が少し和みました。「彼らも私に修煉していいと言ってくれました」と続けて言っても、師父の表情は変わりませんでした。

 私が修煉をやめると言い出した時に師父につけた傷跡が見えました。師父の心が切り裂かれたような痛々しい傷口が未だに残っています。1999年の迫害が始まって以来、たくさんの修煉者が修煉をやめたと聞いた師父が、血の涙を流しておられるのが見えました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/12/248892.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/22/129635.html)
 
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