明慧法会|獄中で修煉を始めて11年(三)
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文/雲南省の大法弟子

 【明慧日本2014年1月14日】その後、修煉は次第に落ち着いてきましたが、刑務所のような赫々たるものはなくなり、穏やかに心性を修煉して日々の中で人心を練磨し、人を助ける上で、力を抜くことはありませんでした。農機工場の職工が射出成形しているのを見て啓発され、真相のために使えないかと思いました。以前家族が病気の時に病院で撮ったレントゲンを用いて、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」の型板を作成し、射出成形用のペンキをそろえました。山に登ってお祭りの前日の夜に行って射出成型すれば、翌日のお祭りは最もにぎわう日なので、すべての人が見ることができる、と思いました。

 そこでその夜、他の同修真相を伝えてはっきりわかって三退した姪と一緒に、みんながお祭りに行く所まで山を登り、射出成形しました。雨が降っても大丈夫なように、1人が傘で雨を遮り、1人が射出成形できるように傘も用意しました。路上で雨が降り始めましたが、小雨なので傘をさす必要はありませんでした。私と同修は協力して、同修は左に、私は右にと、沿道に射出成形しました。白壁に赤い字で太い柱やガラスに、1キロの道をスプレーし、山に登って振り返ってみると、とてもきれいでした! 沿道のすべてに「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」の文字がありました。私たちが射出成形し終わると、もう真夜中でしたので、普段なら車は見つからず、1時間余り歩いて帰るしかありませんでした。しかし、山を下りた時、車がふもとに停まっており、運転手はハンドルに突っ伏して寝ていたので、私が運転手を起こすと、「あなたたちが山から下りて来るのを待ってたよ!」と言い、私たちは乗車して家に帰ったのですが、これこそ師父が運転手にここで私たちを待たせてくださったのではないでしょうか?

 翌日、空は晴れ渡り、碧い空には一片の雲もなく、祭りに行く人は、線のように数珠つなぎになり、黒山の人だかりで、形容のしようがないほどの多さでした。私も山に登って行き、前の晩の秀作を見てみました。歩きながら、多くの人が「法輪功は名誉を回復したんですか? この字はどうやって吹いたのか?」と言っているのを聞きました。さらに多くの人が、「大法は素晴らしい」を写していました。それらの「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」の赤い字は目も覚めるばかりの美しさで、日光の下では本当に美しかったのです。多くの同修も行きましたが、心を落ち着けて着実に修煉する人は、師父の恵み深いご加護を受けることができます。

 周辺の地方では、周囲の同修がみな、組を分けたり一人で配ったり、あるいは、真相を貼ります。当初、私は向かい合って直接配ることができなかったのです。「何をやっているの?」と、常人に言われるからです。しかし、人を助けるのに、なぜ堂々としないのか? と、私は反省しました。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』に「主流社会にどのように働きかけるのか、そんなことはできないと思い、高級住宅地に行って人と会っても、話しかける勇気がなく、恐る恐る資料を持っていきますが、これで人を救えるでしょうか? 相手はすぐあなたという人間を信用できないと思ってしまいます。そうではありませんか? 本当に多く気遣う必要はなく、正々堂々と行なえばいいのです。大法弟子なので、自分が人を救っていると分からないのでしょうか?」。「自分はこそこそする事はなく、悠然としなければならない。私は人を助けているのだから」と思いました。思い切って、私は真相資料を手に持ち、面と向かって直接配り、穏やかに「あなたに福をお届けします」と言うと、みんな喜んで受け入れ聞いてくれ、さらに真相を伝えました。ある人は心配でその時はまだ脱退しなかったのですが、「後で、お金の上に書いて使えばいいです」と、私は言いました。

 私は真相を伝えることを通して、6、7人の新しい同修を大法の修煉に入るよう導きましたので、「私は年配弟子なので、身をもって模範を示し、新しい同修の面倒を見る必要がある」と思いました。私はスーパーで働いており、1人の新しい同修が私と一緒に働いていました。私はたった半年仕事を行っただけで、4年働いている従業員と給料が同じレベルになったので、新しい同修は心中穏やかでなくなり、「修煉しない」と怒って言いました。「給料が上がった私のこれっぽっちのお金であなたの心性を向上させられるなら、私は上がった分のお金は欲しくないので、私はこの上がった分のお金を使ってあなたの心性を向上させてあげます」と、私は笑って言いました。それを聞くと、この新しい同修は心が穏やかになり、気持ちも落ち着きました。また続けて私と一緒に『轉法輪』を学法し、さらに、私たち2人は力を合わせて真相の手紙を書きました。

 最近、『明慧週刊』の「爆竹を買って、爆竹を鳴らす」の交流文章を見て、これは私たち大法修煉者の責任だ、という気がして、すぐに同修とその土地の公安局へ一緒に爆竹を鳴らしに行きましたが、その新しい同修は、最初は恐れる心が深いので、恐ろしくてたまらず、おばあさんのような恰好をしていたので、私は近づいてようやくその新しい同修だとわかりました。その後、公安局のドアのところで爆竹が鳴り終わった後で、その新しい同修が自分の言葉で語ったところによると、「恐れる心もなくなった!」ということでした。

 先日、当地で2人の同修が不当に拘束されました。それを知って、まず、同修を拘束している留置場から至近距離の所まで同修と行って発正念をし、それから、拘束された同修の家へ行って状況を理解した後、再び、他の同修を送りました。資料を作ることができる同修に頼んで、探し集めたデータを速やかに暴露し、住んでいる場所で迫害を指摘する真相資料を出しました。同修たちは二組に分かれ、一組は捕まえられた同修の職場、家、団地付近へ行って真相資料を貼り出し、もう一組は公安局、検察院、裁判所、留置場に行って貼り出しました。検察院の掲示板と公安局の掲示板にも貼り出しました。他の同修は発正念で支援しました。私と1人の同修が留置場に着いた時、留置場の警備員が守衛室に座っているのを見たので、「警備員が立ち去ればいい」と思うと、警備員は守衛室を出て、中に行きました。私は急いで別の同修と、留置場の門の両側に、ほんの数秒で、2人はそれぞれ貼り終えました。すべての同修の親密な協力の下で、10日足らずで、この2人の同修は家に帰りました。

 しかし往々にして、邪悪は常に、徹底的に修煉してもいまだに取り除かれていない私たちの人心の中に生存し、強くなっており、2人の同修を利用して「じっくり構えて大きく収穫し同修を誘惑して一網打尽にしよう」としていた、ということを出てきた1人の同修が伝えました。多くの同修に、捕まえられた同修と連絡したくないという心が生まれたため、学法グループも中止になり、「今は引っ込んで、数日後にしましょう」とみんなが言いました。しかし、それほど経たないうちに、この2人の同修は再び捕まり判決を受けて、刑務所に入れられました。これは、私たちの土地の同修に打撃を与え、その過程で、修煉しても取り除かれていない人心がぶつかりました。同修たち全体が協力する時の力強さが十分でなかったため、最後までやり通すことができず、私自身にも恐れる心があり、同修がまたしても拘束されてしまいました。捕まえられた同修がでてきてからも、時を移さず迫害を指摘しなかったので、損失を招いてしまいました。

 結び

 実のところ、私はもと誘拐犯でしたが、修煉を始めて少しずつ、自己を着実に修煉し師が法を正すことのお手伝いをする修煉者になりました。大法を修煉してからの私の変化はまったく言葉に言い表せません――留置場の中で修煉を始め、特殊な環境の下で暗記した法を念じ、学法し、確固として着実に修煉し、師父の下で、何度も様々な難関を突破してきましたが、師父の要求通り真相を伝え人々を救う中で、一番深く身に染みて感じたことは、修煉は、少しのごまかしもあってはならず、着実に修煉すべきであり、そうして初めて、大法の法理を理解でき、師父の説かれたとおりにやって初めて答えを出すことができ、奥深い内容を理解することができるのです。

 すべての同修と共に精進することを願っています!

 合掌!

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/30/249401.html)
 
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