文/山東省の大法弟子
【明慧日本2013年5月26日】お互いに協力し、法を実証するプロジェクトを行う際に、よくトラブルが生じます。ある同修は未だにトラブルの中で誰が正しいとか、誰が間違っているとかに執着し、仮相に気を取られ、長い間心が落ち着かず、内に向けて探すことを忘れて、自分を修めています。同修の間違いに執着するのも執着であり、同修の法に符合しないことを疑うことも、法に符合しない疑心も人心です。その疑心に駆られ、勝手に推測し、自分の人間の観念に流されて考えを発展させ、さらにそれを他の同修にまで広げることは隔たりを作り、漏れを作り、破壊作用を果たしているのではありませんか? 旧勢力に安排された道を歩んでいるのではありませんか? こうして向上のチャンスを逃してしまいます。
トラブルが生じれば勿論双方ともに関係があります。当事者の同修は事の表面的な原因に執着せず、誰の間違いなどと争論すべきではありません。何故なら、同修間のトラブルにも説明できない因縁があり、見通せない恩怨があったりして、表面から見るほどそう簡単ではないからです。無条件に自分の内に向けて探し、互いの間違いに執着せず、弁明せず、心を動じず、同修の常人の一面に困惑され、動かされないようにすべきです。
あなたが遭遇したのであれば、あなたの向上すべき要素がそこに潜んでいるはずです。例えば、ある日ある同修が、私が嘘をついたと感じたと言いました。その件において、彼女の感覚は間違っていましたが、しかし自分自身に問い質し、私は生活の中で本当にいつも真実でいて、嘘をつかなかったかと言うと、そうではなく、嘘をつきました。実際、師父は同修の口を借りて私を教化し、日常生活の中でも真・善・忍に符合しなければならないと気づかされました。一つの考えや一つの念においても真・善・忍に同化し、ことの大小を問わず、場面を問わず、例外なく同化して初めて円満できると思います。
同修の常人の一面の振る舞いに執着せず、本質を見つめ、トラブルの中で師父は私にどんな人心を取り除くよう要求されているのかを見極めて、初めてさらなる高い次元の基準に到達できると思います。一切の不和、ひいては衝突は、無条件に内に向けて探し、人心を取り除き、大法に同化する過程で解消されます。
もし、自分が自身の漏れを見つけ、取り除くべき人心を取り除き、あるいはやり遂げて平然といられるようになっても、同修の状態が変わらなければ、そこには旧勢力が同修の人心を利用し、破壊作用を働かせている可能性があると思います。その場合は発正念し、同修を利用して隔たりを作ろうとしている旧勢力の要素を解体する必要があります。人間の一面では、同修を優しく包容し、妨害要素に対しては発正念して排除し、その妨害を排除することも同修を保護し、全体を守ることにもなります。一緒に多く学法し、切磋琢磨して、隔たりを解消し、共に精進していく良い方法だと思います。
以上は現段階での個人的な認識ですが、不適切な部分があれば同修の皆さんのご指摘をお願いします。