同修の心が豁然と閃いた
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 文/中国の大法弟子 浄蓮

 【明慧日本2013年4月18日】私の学法グルーブに新しい年配の同修がいます。彼女は自分に病気があるという考えから抜け出せないでいました。思い出した時には学法や煉功をしますが、思い出さない時には、友達とお喋りをしたり、マージャンをしたりして遊び、真面目に修煉をしません。身体も良くなったり、悪くなったりを繰り返していました。状態がいい時は、師父の法身が彼女の身体を浄化して下さり、悪い霊体が浄化されているのを見ることもできます。しかし、彼女は精進をしたくても、精進ができず、本人も焦るのですが、周りの同修もどうしていいか分かりませんでした。

 ある日、皆で学法をしている時に、彼女が突然「境界とはなんですか?」と質問をしました。私は師父が書かれた『精進要旨』「境界」という経文を思い出しました。これは師父が私達に悟らせているのだと思い、皆で「境界」について自分に照らして、内に向けて探しました。自分に悪の部分がまだ残っていると気づきました。人に対して苛立ったり、人より多くやると、不平、不満を言ったり、善も足りず、憎むこともあります。物事に対してまず自分のことを、先に考えてしまう所もありました。皆で繰り返しこの経文を読みました。こんなにも長い間修煉をして来たのに、まだ悪い物質が残っていました。皆で悟ったのは、なぜ今になっても家族が修煉に対して理解を示さないのか、三つのことを行う時にスムーズにいかない理由などは、自分達の言動が宇宙の特性の真、善、忍にそぐわない所があるからです。修煉者としても相応しくなかったと気づきました。この事で師父が私達に教えて下さった、内に向けて探すという法理を更に理解できて、内に向けて探すことこそが昇華に繋がるのだと皆で悟りました。

 現在、私達の学法グルーブは、以前の悪い習慣を直し、皆が本当に心をこめて学法をするようになりました。前は学法をしても、生活の中で実際に何かがあっても、大法に照らして悟ることができず、正しい念で物事を捉えられず、常人のトラブルとして考えていました。もう一つ悟ったのは、人心で学法をしていると、法を得ることが出来ないということでした。

 また、この年配の同修は、師父が『轉法輪』の中で話された「「病気」という言葉さえ聞きたくありません」のところを読むと、本当に自分が言われているような気がして、言葉にできないぐらい心が豁然と閃き、自分が病気治療のためでなく、修煉をするために来たと心から思えると話しましました。心身ともに軽くなり、大法の素晴らしさと玄妙さを感じるとも話しました。

 彼女の言葉を聞いて、私も『轉法輪』の中で師父が書かれた「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」の玄妙さと奥深さを更に理解できるようになりました。

 自分の次元で悟ったものなので、不適切なところは慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/4/9/271882.html)
 
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