自我を放下する心の変化の過程
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文/中国の大法弟子 悟梅

 【明慧日本2012年12月21日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は当地の協調人として多くの同修を知り、皆さんに当地の統一発正念の時間や資料などについて連絡します。同修と会話や交流する機会は多いものの、滅多に反対意見を聞くことはなく、いつも後で他人から間接的にその反対意見が伝わってくるのです。

 例えば、年上の王同修の家を初めて訪ねた時、家の中は足の踏み場がありませんでした。彼女の家の庭には家畜の糞が一杯で、更に部屋の中には猫や犬、羊、鶏がいました。私は彼女に動物を飼ってはいけないとの師父の説法を言い聞かせましたが、彼女はぶつぶつ言いながら変えようとしませんでした。私は一時大声を出して彼女に話し、同修の心情を考慮しませんでした。2回目に行った際、変わらない彼女の家を見て、私は再び意見をしました。その後、私は行く度に自分の意見を主張して、3、4年経っても私はずっと自分が正しく、彼女の為になる話をしたと思っていました。その後、この同修は私の妹に私の言い方がきつすぎると言い、私は初めて自分が同修を傷つけたことに気付きました。私は自分の観念、基準を持って同修に要求し、法に要求された穏やかな心持の基準を満たしていなかったので、当然 良い結果が得られませんでした。

 この出来事の後でも、私はあまり気に留めず、根本的に自分の執着を探しませんでした。

 今年、近くに住む同修の張さんがよく私を誘い、一緒に真相を伝えに行ったり、学法をしたりするようになりました。彼女の意見の多くに私は同意できませんでしたが、私は彼女にそのことを伝えませんでした。彼女が真相を伝える際、私は側でイライラし、彼女の言い方が適切ではないと思ったり、彼女の非を探してばかりいました。ある日、彼女が常人に真相を伝える際、彼女の話は程度が高すぎると思いましたが、側で一緒に発正念をしませんでした。その後、その常人は何も聞きたくないと言い、去って行きました。当時私はなぜだかわかりませんでした。のちに、張さんは他人と一緒に協力して真相を伝える際はうまくいくという話を聞き、私は自分の成功率が高いと思い、自分の問題を探さず、深く掘り下げて考えませんでした。

 今年の7月のある夜、グループ学法の後、部屋に私と王同修だけが残り、彼女は私と交流したいと言いました。彼女は普段からよく 学法し、法理が明晰で、三つの事をきちんと実行していました。彼女は近いうちに引っ越す予定で、離れる前に私に伝えたい事があるが、それが言いづらく、あなたに受け入れられるか悩んでいるといいました。私は何でも聞き入れると言いました。

 彼女は、最近、3人の同修が彼女の前で私の不足について言及したと言いました。当時の彼女の話をはっきり覚えていませんが、そのほとんどは私についてのマイナスの評判でした。例えば同修に正念を持って協調していないとか、新しいプロジェクトに協力していないなどでした。その時の私は心の中で煮えくりかえり、悔しさ、不平不満、憤慨を覚えましたが、一生懸命それに耐えました。何故3人もの同修が同時に私に不満を言ったのでしょうか。必ず自分に問題があり、法と正念を持って自分の問題を考えなければならないと思いました。

 翌朝、私は師父の『オーストラリア学習者への説法』のビデオを流し、師父の法以外に問題解決の鍵はないと思いました。師父の法を聞く途中で私は目覚めました。今までの私はあまりにも自分を堅持し、いつも自分の方法が良く、自分の認識が正しいと思うばかりで、同修にあれこれと自分の意見の通りにするように要求し、自分に合わせてくれれば心地よく、合わせてくれなければ同修に協力せず、イライラしていました。これはどれだけ危険なことでしょうか。自分はなぜ同修達に指摘されたか分かりました。私はあまりにも自分を堅持し、執着していました。他人の不足に執着し、自分の観点ややり方に執着し、また、他人の間違いを許さないという邪党文化の 影響を受け、人に寛容でなく、慈悲ではありませんでした。これらの不足が分かってから、私は心から師父に感謝し、同修の王さんにも感謝しました。彼女の直言がなければ、私は法を実証する全体に悪い影響を与え、隔たりを作ってしまったかもしれません。

 それから私は出来るだけ他人の意見を聞き入れ、すぐに反論せず、心を静めて学法し、自我を放下し、大法の中で自分を正し、自分を実証するのでなく、法を実証することを常に自分に言い聞かせました。自分を堅持しなくなった私は同修の長所が見えるようになりました。例えば甲同修は人を救うことに緊迫感を感じ、毎日出かけて真相を伝えており、乙同修はしっかり学法し、内に向けて着実に自分を修めているなどが見えました。私は同修の一人一人に私が学び、参考にする輝きがあることに気付き、他人にけちをつけず、黙々と全体に協調し、同修とよりよく協力し衆生を救うことにしました。

 正法時期に長年修煉してきた私は、今になって初めて自分を修めることができるようになり、今までの私はずっと法をもって他人を制して来たような気がします。今まで私が見えていた同修の良くない一面は、修煉の過程において表面上残った常人のもので、そのうち取り除かれていくものです。それを見ても執着せず、心が動じてはならないはずでした。一人一人の悟りが違い、修煉状態が違い、修煉の道も違います。

 私の心が変わってから、周囲の環境も変わり、同修達の協力も良くなりました。皆さんと一緒に精進し、師父が按排された修煉の道を歩み、三つの事を実行し、自我を放下し、全体と協調し、合格できる大法弟子になりましょう。

 師父に感謝し、同修の皆さんに感謝します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/12/17/265117.html)
 
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