大法に入って新たな命を得た 師父の教えに従い衆生を救うために急ぐ(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年3月9日】私は幸運にも法輪功の修煉を始めました。私の今の命は師父が与えてくださったのです。私は必ず宇宙大法の真善忍の基準で自分を修め、師父を手伝い法を正し基準に達した大法弟子になりたいと思います。

 一、大難に遭遇したが師に命を救われた

 私は1998年に持病を治療する目的で法輪功の修煉を始めました。当時30歳でした。しかし、実際の年齢より遥かに年寄りに見え、痩せ果て顔も黄色く見た目はお婆さんのようでした。夫と離婚して幼い娘を抱えて実家に戻り、両親に大きな負担をかけていました。自分も様々な病気を患い、その上幼い娘の面倒を両親が見なければなりませんでした。体は頭から足まで麻痺して目も痛くて耐えられず、乳腺癌が悪化して大きく腫れ、その上胃の病気、胸の痛み、息苦しいなど、ほぼすべての器官が正常に働かない状態でした。子宮に腫瘤があり足が麻痺していました。160cmの身長なのに体重は50キロしかありませんでした。実家は貧しくて自分にも貯金はなく、心の中で夫と世の中に憎しみと恨みを抱いていました。

 私は病気に苦しんで性格も粗暴になり、口から出るのは相手を傷つける言葉ばかりでした。ある日のこと、私は目を閉じて休んでいました。部屋の中から「この子は性格も荒っぽくて身に重い病気を患っている。お母さんが買ってあげたこの薬では治らないでしょう。しかし2年経ったら治るでしょう」という話し声が聞こえました 。私はすぐ起きて誰が話しているのか確認しましたが、母と妹はびっくりして誰もいないし、だれも話していないというのです。しかし、3日連続してこのような会話が聞こえました。私はベッドに寝込んでいました。天目に一人の年配者の姿が見え、白い袋を背負っていました。私の前に来て「××さんですよね」と尋ねました。私が「はい」と答えると、ポケットから一冊の本を取り出して私を見ながら本の上の名前をチェックして、笑って去って行きました。

 それから暫くして病気はますます酷くなっていきました。その時、法輪大法の福音が村まで来ていました。親戚が私に法輪功を勧めました。その時、私は完全に生きる希望を失っていましたが、ただ娘のことを心配していました。父が私に、「ちょっとやってみたらどうか? どこまでできても構わないから」と煉功を勧めました。私は何とか力をふり絞って村の煉功場にたどり着き、人の真似をして少し動作をやってみました。第三セットの「貫通二極法」でした。その時、奇跡が起こりました。私の体の骨の中から外へ冷たい風のような空気が流れました。少しやっただけでしたが、お腹が減ったような感じがして、帰宅してたくさん食べました。普段は食べても食べなくても胃が痛くてたまらないのですが、その日はお腹いっぱい食べても痛くなりませんでした。

 初めて私は喜びを感じて心の中で早く本を読みたいと思いました。私が大法の本を見た途端『転法輪』の表面の法輪が全部回って見えたのです。5分間読んで私は熟睡に入りました。起きてまず分かったのは「この法輪功は素晴らしい!」ということでした。私は食事をとることもできたし、熟睡するまで眠ることもできました。体中に力を感じ、これはもう手放さない、最後まで修煉しなければならないと思いました。

 再び『転法輪』の表面の法輪の図を見た時、私の記憶に何かが戻り、何かを思い出したような気がしました。しかし、すぐ忘れました。数回同じ状態でした。一つだけ覚えていたのは、かつて私はこの法輪の図形と一緒に居たことがあり、私は今までこの法輪図形をずっと探していたのです。「師父! 私はやっと待ち続けたことを見つけ、師父を見つけました」と私は泣き崩れました。私は毎日法を修煉しました。心の中はとても嬉しかったのです。しかし、いつも泣きたい気持ちがありました。

 私の病気は全部治りました。体重も15キロ増え、実家の力仕事まで私に任せられるようになりました。山の上まで放牧に行きますが、山を登るとき、まるで空中に浮かんでいるかのように体が軽いのです 。私はいつでもどこでも法を読み、いつも涙が溢れました。私の泣き声に牛が驚き、牛たちも私が泣くのを見つめていました。

 二、身の回りの人々に法輪功修煉者は素晴らしいと知ってもらう

 私は法輪大法を必ず最後まで修煉しようと決心しました。法に照らして心性から自分を厳しく要求し、誰にあっても笑顔で接し、誰にも優しく接しました。人を助けることを喜びとして、損をしても平気でした。村人はみんな私が変わったと言うようになりました。特に体が大きく変わっていきました。みんな私の身に起きたことを通して「法輪功は奇跡だ、法輪功は素晴らしい」と思うようになったのです。多くの村人は次々と法輪功の修煉に入り、法を大切にしてお互いに激励して法を修煉しました。

 当時、村で様々な宗教や気功をやっている人がいました。彼らは我々を邪魔していました。しかし、私たちは平気で彼らの動きに影響されませんでした。ある日、私が家にいると外から人がやってきて、「あなたの子牛を誰かが斬って殺した」と連絡してきました。原因は牛が彼の畑に入って畑を荒らしたというのです。私は冷静にと自分を説得してから現場に駆け付けると、子牛は悲惨な姿で死んでいました。しかし、私は師父の教え通りにこのことに耐えて何も言いませんでした。

 またある日、誰かの牛がほかの人の畑に入って荒らしていました。私はその牛を畑から追い出すと、ちょうどその時畑の持ち主が来て私の牛が彼の畑を荒らしたと言い、私の説明を聞こうとしませんでした。そして秋の収穫時に損害賠償の代わりにうちのトウモロコシをもらうよと言いました。恐らく私はかつて彼女に借りがあって返さなかったのかもしれないと思い、「いいよ」と答えました。しかし、その時村人が今日の出来ごとを親戚に話してしまい、親戚が私の代わりに彼女と大喧嘩をしました。

 私は村の同修と共に心性の難関を乗り越えました。時にうまく乗り越えられなかった時もありましたが、お互いに激励して修煉をしました。ある日、遠くから同修が村に来て、売店でトランプゲームしている数人の男たちに私の住所を尋ねると、彼らは「あなたは法輪大法の家を探しているのだろう? もちろん教えてあげます」と言って、詳しく教えてくれたそうです。同修は彼らに「法輪大法は素晴らしいですか?」 と聞くと、彼らは口を揃えて「法輪大法は素晴らしいです!」と叫びました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/3/1/270509.html)
 
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