師父はずっと私たちのそばにいらっしゃる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年8月23日】私は今年49歳です。97年に法輪大法の修煉をはじめて、すぐに天目が開きました。

 私は元々中国共産党の無神論の影響で、佛道神を迷信だと思っていました。しかし、大法を修煉し、いくらかの他の空間の光景を見て、やっとこれらのことが真実だと信じるようになりました。

 今でも初めて煉功点へ行った時のことを覚えています。第四功法を煉った時、動作が正しければ、体が熱くなり、間違えると寒くなりました。家に帰るとすぐに下痢をしました。それが40分も続いて、寒けも伴っていました。師父が体を浄化してくださっているとは知らず、逆に悪く考えて「この功法を煉ってはならない」と思いました。しかし翌朝起きると、体は体験したことがないほど快適でした。

 そして再び煉功点へ行くと、ちょうどある同修が持ってきた師父の書籍と写真を見かけました。見てみようと手にすると熱いエネルギーが全身を走りました。好奇心から一冊の『轉法輪』を買って読んでみました。全部読み終わると『轉法輪』を抱いて激しく泣きしました。ずっと探していた人生の意味が分かったからです。その時私は自分が袈裟を身につけている、丸刈りの和尚に見えました。そこから私は真剣に修煉し始めました。

知恵を開いてくださった

 娘は小学校での成績はよかったのですが、中学校に入ってから、数学の成績がずっとよくありませんでした。ある日の夜、娘の数学のテストで100点を取った夢をみました。翌日娘の数学の教科書を見てみると、すべての問題の答えが分かりました。中学校を中退し、しかも15年も経っていたのに、解答できるとは、想像すらできませんでした。大法を学んで、智慧をひらいてくださったおかげで、私は娘の数学の家庭教師になりました。

大法を修めると、次元は飛躍的に突破した

 師父は「なぜ浄白体と言うのでしょうか? それがすでに絶対的な高度の純粋さに達したからです」[1]と説かれました。私はこの句を見るといつも緊張していました。自分の観念があまりにも多く、執着心が頑固だったから「どのようにすればここまで達することができるのでしょう」と思いました。それから、よくない観念と執着心が出てくるたびに「高度の純粋さ」を思い出すようにしました。しかし、観念と執着心は見えないものばかりなので、取り除くにはどうすればよいのでしょう。

 「意念、つまりわれわれ人間の思惟活動についてお話しします。修煉界は、大脳における人間の意念の思惟活動をどう見ているのでしょうか? 人間の思惟(意念)の異なる形式をどう見ているのでしょうか? それはどのように現われているのでしょうか? 現代医学では人間の大脳を研究する際に解けない問題が多くあります。それはわれわれの身体の表面のものほど簡単ではないからです」[1]師父はこの節の法を用いて、私の疑問を解いてくださいました。それから私は一つの意念にも、それは執着心なのか、観念なのか、思想業力なのか、それとも自分の執着心で他人の話を理解したものなのか、を区別するようにしました。区別できるようになれば、それらのものが次第に取り除かれるようになりました。

 毎日の座禅も2時間にし、私は本当に「高度の純粋さ」に達しました。肉体も浄白体への過渡段階に至りました。97年10月から大法を修煉し、99年2月にこの状態が現れるまで一年半もかかりませんでした。そして99年2月から同年7月までの間ずっとこのような純粋な状態でした。その間の状態は私が修煉してから最もいい状態の時期でした。

大法の不思議さを感じた

 99年「7・20」以降、中国共産党が法輪功を迫害してから、共産党の人に尾行され、数回監禁されました。修煉の環境が変わって、私の修煉状態も一変しました。法の勉強も足りず、心性も向上できませんでした。それで「自分はもう天国に戻れないのではないか」と心配しました。

 師父の9日間の講義『広州説法』の録画を見ながら、私は心の中で「今生師父が法を伝えることに出会って、師父にお会いしたことはありませんが、大法を修煉し、宇宙の大法を知ることができました。しかし、私は常人の名利情に迷ってしまい、元の場所に戻れるかどうかが分かりません」と師父に言いました。この時慈悲なる師父は手を振りながらテレビから出てこられて「法を正し終わったら一緒に帰る」とおっしゃってくださいました。私は自分の目を疑い感激しました。涙をこぼしながら、必ずこの万古の機縁を大事にし、返本帰真するのを師父に誓いました。

共産党についての九つの論評』を配る時に起きた奇跡

 ある日遠い村へ行って『九評』を配り終わって家に帰ろうとした時、お腹が空いたことに気づきました。空腹でよだれも出ました。この時座席に高級なパンが2袋置いてあるのが見えました。「この時代の人はこんないいものまで捨てるなんて、本当に贅沢だ。惜しまないと将来は・・・」と思いました。この時突然師父の声が聞こえました。「このパンはあなたにあげたものだ。食べないと彼らと同じ罪になります」と言われました。耳を疑った私の気持ちを何と言ったらいいか分かりません。全人類の言葉を探しても、師父の御恩に感謝できる言葉はありません。

看守所の中での光景

 看守所に閉じ込められていたころ、ある日正念を発しました。明慧ネットで発表された、師父が山に座って『世間を静観する』の写真の場面が現れました。私には虫歯が6つあります。一つの虫歯に1匹のうわばみが潜んでいました。師父はコンベアのようなもので6匹のうわばみを師父の後ろの山に運びました。うわばみが山一面に溢れると、爆破して消滅しました。続けて運んで、続けて爆破して消滅しました。徹底的に消滅するまで何回も繰り返しました。それから私の歯が痛くなくなり、ゆらゆらと動かなくなりました。

 私は続けて正念を発しました。次に、魔の首魁をはじめ大法と大法弟子を迫害する人たちと、まだ三退していない人々と、彼らが対応する一層一層の生命が、潮水のように師父の後ろの山に流れていき、消滅されました。連続で数日間続きました。その光景はあまりにも悲惨で見ていられませんでした。私を閉じ込めている看守所の警官は三人いました。ちょうどその数日間、彼女たちは病気で休暇を取っていました。その光景から、99年以降師父はなぜその山で世間を静観なさるのか。なぜその写真を明慧ネットに公開したのか。私たちがどうして当時のあんな大きな難を乗り越えられてきたのか。そして邪悪が方法を尽くしても大法を破壊できない理由が分かり、すべてに深い意味がありました。

 発正念しながら更に見ていくと、私は足首から太ももまで足かせにはめられ、そして手首から上腕まで手かせをはめられていたのが見えました。師父の加持の下で一層一層、数え切れないほどの層の黒い足かせと手かせが外れて落ちていきました。黒い足かせと手かせは比較的簡単に外せますが、白い足かせと手かせには、地獄から塔の頂点まですべての層に債権者がいました。白い足かせと手かせを開けるカギが債権者の手にあります。師父が私を連れて債権者のところにいき、カギをあげるよう求めました。その債権者らは当時私が彼らに何をしていたのかを見せてくれました。かつて私はすべての層の王でした。彼らに残酷な拷問を加え、犯した罪は果てしもなく、大きいものでした。師父は私の身代わりにすべての罪に耐えておられ、債権者らにメリットを与え、解決してくださいました。

 解決の一つ一つの過程において、私は胸が張り裂けるように辛く、ずっと泣いていました。私は師父に「私のために師父はここまでしてくださるのに、私は根性がなく、師父の恩恵に背きました。師父が説かれたたくさんの説法を勉強したにも関わらず、しっかり行うことができず、邪悪に隙を乗じられ、資料制作拠点の資源を全部警官らに持ち去られました」と言いました。師父は立体音声を帯びる意念で「それは彼らの罪になる。大きな劫が彼らを待っている」とおっしゃってくださいました。その瞬間、私はまだ上演されていない、2014年の神韻公演の最後の演目が見えました。発正念を続けると、2013年の神韻公演の最初の演目が見えました。

師父の助けの下で、私は魔の手から解放され、正々堂々と看守所から出ました。

 私たちを済度してくださり、すべてを与えてくださった師父に感謝いたします。師父、本当にありがとうございます!ありがとうございます!

注:

[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/17/311005.html)