文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年11月10日】「不二法門」に関する文章を読んだ時、自らの体験を思い出しました。
2001年2月、いわゆる「転向」させられて帰宅した私は精神的にとても虚しかったです。ある日、発小さんの家に遊びに行ったとき、発小さんの父親と話す機会がありました。父親は気功協会のメンバーで、当地の最も古い気功師です。師父が大法を伝えに当地に来られたのも、父親が属する気功協会の招聘を受けたものでした。当初、私の気功に関する知識も発小さんから教わったものでした。
家に入ると、私達は修煉について雑談を始めました。勝手に人の病気を治療してはいけないことや、当地の数人の気功師には付き物が憑いていることを父親は知っていました。家に、師父や師父の子供と一緒に食事をした際の写真が飾ってありました。師父に言及すると、彼は師父の功を認め、以前食事を共にした際に、師父によって功を上へ押し上げて頂いたことに触れました。なぜ師父に学ばないのかと聞くと、師父のお話が大げさに聞こえたと言い、2冊の著名人の仏教の本を薦めてくれました。その後、功能を用いて私の情況をみて、「あなたは既に非常に高い次元まで修煉していますね。私の弟子になりませんか? 他の人が頼んできても受け入れませんよ。考えてみて下さい」と言いました。彼の話によると、既に元神が1週間体から離れても戻って来られる境地まで修煉したそうです。当時の私は転向させられたものの、心はまだ大法から離れていなかったため、彼の弟子入りに同意しませんでした。
帰宅してからその2冊の本を読もうとしましたが、開く度に頭が痛くなるので、返しました。
数年後、彼は脳溢血の後遺症で健康状態が著しく悪くなりました。師父の説法ビデオや大法の本を薦めましたが、観念に阻まれて読もうとせず、ほぼ半身不随の状態になりました
このことを通して同修の皆さんに言いたいのですが、仏教の法理は小さすぎて、しかも仏教の中には雑なものが多すぎます。目立たない小さな要素も自分の修煉にマイナスの作用を働きかねません。必ず気を付けましょう。
拙い文章ですが、同修のご指摘をお願いします。