法に導かれ 人心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年12月29日】私は最近の認識を持って、みなさんと交流したいと思います。間違いがあれば、慈悲にご指摘をお願いします。

一、旨い物を食べたがる心

 師父が『轉法輪』の中で、「空腹を満たすために、彼は手当たり次第に物を食べましたが、いかなる食べ物にも執着心がないので、空腹さえ満たしてくれるなら、何でもよかったのです」と説かれました。私は修煉者として、物を食べる目的は空腹を満たすために過ぎず、必要以上にその物を味わったり、楽しむなら、つまり欲望と執着になっていると悟りました。

二、色欲心

 師父が『轉法輪』の中で、「常人社会では、夫婦生活があり、それがあってはじめて人類社会が子孫を残すことができます」と説かれました。私は、修煉者であれば、子孫を残すため以外の夫婦生活は、色欲への執着だと悟りました。

三、嫉妬心

 師父が『轉法輪』の中で、「この宇宙には、『失わなければ得られず、得るには失わなければならぬ』という理があります」と説かれました。私は、代償を払えばその分だけ得る、得るべきでないものを得てしまえば、その分と相当する徳を失うことになり、すべてはこの宇宙の法理が均衡をとっているので、他人を嫉妬する必要がないと悟りました。

四、顕示心

 師父が『二〇〇三年元宵節での説法』の中でこう説かれました。「法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください。私に自分の腕を披露した学習者がいますが、実は私が思うには、これは皆私があなたに与えたもので、見る必要などはありません。」修煉者として、何らかの能力と腕があっても、すべて法を実証し、衆生を救うため、師父と大法が与えてくださったものです。師父と大法に対して、私たちは謙虚で敬虔で、感謝すべきなのに、なぜかえって顕示するのでしょうか?

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/20/320696.html)
 
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