メディアを利用して真相を伝える(二)
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文/トロントの大法弟子

 【明慧日本2016年3月9日】

 三、新唐人本部に加わり、難関を突破

 一つの難関を乗り越えると、次の難がやってきました。2007年末のある日、ニューヨーク新唐人の人事部のマネージャーから、ニューヨークでフルタイムの記者をするようにと電話がありました。2008年からニューヨークで新唐人テレビが始まるので、毎日必ず当地のコミュニティのニュースを放送して視聴者を引きつけて、初めて市場の扉を開く事ができるというのです。けれども、私がニューヨークに行くには、フルタイムの今の仕事を諦めなければならず、住み慣れたバンクーバーを離れて、全く知らない都市に行き、すべてを初めからやらなければならないと考えて断りましたが、2週間後、そのマネージャから再びニューヨークへ来るように要請されました。何事も偶然はないので、もしかしたらニューヨークで新しく修煉の道を歩むべきなのかも知れないと思いました。

 簡単ではないとわかっていました。しかし修煉者は困難があっても退くことはできないと、私はフルタイムの仕事を辞してニューヨークに行きました。でも、1日目は私に威厳を示しました。新唐人ニュース部の責任者は記者たちに毎日時間通りに1篇か2篇の記事を出すように命令しました。全くニュースを編集したことのない私は、1日目は記憶を頼りに(以前同修が編集する過程を見たことがあリマスが)、少しずつニュースを集めました。1日目の夜は、全社員がテレビの前に集まり、新唐人の初日の報道番組をわくわくして見ました。みなさんはニュース部の努力を認め、全員拍手をしてくれ、大きな励みになりました。

 1日目は無事に過ぎましたが、それ以後の毎日は体調も悪く、狭い下宿での苦労、知人もいなければ不案内の土地での困難もありました。独学で撮影技術を勉強し、インタビューし、毎日三脚やカメラを担いで、地下鉄や徒歩で取材地にいき、インタビューをしました。広報を担っているため、多くの場合は一番遅く離れます。帰ってまた原稿を書き、吹き替え、編集などを時間通りに完成しなければなりません。毎日戦場で働いているようでした。

 ニューヨークについたばかりなので、まず当地の事情によく通じることが大事です。毎日大量の資料と主流メディアと中国語メディアのニュースを見て、ニュースができたらテレビ局で「宿題」をやらないといけません。はじめの3カ月は、ほとんど毎日夜明けまでやって下宿に戻りました。ニューヨークでは、ニュースを作るスピードが早く、てんてこ舞いの忙しさで、疲れた時は本当に休みたいのです。この一つ一つの難関は難しくても、大法が私をここに按排したのは必ずその理由があり、私は自分の道を拓かなければなりません。特にこんな時こそ、学法を怠けてはいけません。私を難関から救うことができるのは法だけなのです。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で、「ですから、法の勉強はやはり最も重要で、最も重要なことであり、あなたが行おうとするすべての根本的な保障なのです。法の勉強がついてくることができなければ、すべておしまいなのです」と説かれました。

 私は毎日家に帰ったらすぐ法を暗唱しました。一日中忙しくて頭の中でニュースのことばかり考えていた私は法を写し、暗唱しました。次の日は同修と約束して一緒に煉功し、『轉法輪』を一講読みました。こうして4カ月を経て、ようやく独立して報道することができるようになりました。

 あるとき、撮影のことで私はカメラマンと衝突しました。私は専門ではないと言い、器械を置きっぱなしで去りました。その時はすごく腹がたちました。従来はカメラマンが記者に歩調をあわせるのに、逆なのです。2人とも怒りながらテレビ局に戻ると、人事部のマネージャーも私たちにトラブルがあったことがわかり、こう言いました。「あなた達がこうして作ったニュースが人を済度することができると思っているのか!」。この一言は私に示唆してくれました。私は常に常人の理に浸っていて、常人メディアが要求した「カメラマンは記者に従う」という掟を用いて他の人に要求し、同修の理不尽さに愚痴をこぼしました。ニュースも他の項目と同じで、その中で修煉しなければなりません、しかし私は内に向けて探すことを忘れていました。このことから自分には「他人から言われたくない心」がまだ残っていました。また師父が要求されたのはどちらも協力し合って、はじめて人を済度することができるのです。どの角度から言っても、できていません。しっかり反省した結果、表面では新人に対して納得できず、嫉妬心が募っていることに気付きました。嫉妬心は一層ずつ重なり、一層が取りのぞかれても、また一層が存在しているので、絶えずなくすべきなのです。

 新唐人が設立されてから2年目、当地の有線テレビは、はじめの毎晩1時間から1日24時間まで拡大しました。3年目にはニューヨーク地域で直接新唐人の番組を受信する定期視聴者はなんと70万を超えました。この時は若い同修がニュース部に加わり、カメラマンも兼ねました。はじめの時は喜んで、手取り足取り教えました。しかし、まさに彼が熟練してから私があれこれとあら捜しをしたとは思わないのですが、一緒に仕事をすると、いつも角を突き合っていました。

 師父は『大法弟子とは何か』の中で「私は再三に、良くできた部分を皆さんは見ることができず、その部分はすでに非常に良くなり、基準に達したと言っています。基準に達した部分はどういう状況でしょうか? 神の基準です。良くできていない部分は表面に進めば進むほど、ますます悪くなりますが、彼の修煉はすでに良くできています」と説かれました。法に照らしてみれば、同修は頑張り屋で、苦しみやつらさを耐え忍ぶなど良い所がたくさんあります。師父はいつも他人への思いやりを要求しておられるのに、私は彼が幼い頃に親がそばについていなくてできた癖に同情しなかったのです。それから私達の間の関係も良くなりました。

 メディアで一番難しいのは持続することなのです。時間が長く経つと、毎日手順を踏んでいくと、ただの仕事になりかねません。時にはマイナスの考えも湧き出てきます。しかし私は師父が見守ってくださっていると感じました。幾つか例をあげましょう。アメリカの金融危機が始まったばかりの時、1人でウオール街でインタビューを行なったとき、本当に難しいと思いました。ニューヨーク証券取引所からでてきた人々は全員元気がなく、インタビューに応じてくれる人はほとんどいなかったのです。たくさんの人から断わられた後、私はがっかりしてしまいました。今日はなぜこんなに運がなかったのかと思いました。しかし後になって何人かの華人がやって来ました。どう見ても旅行者です。ある人はマイクのロゴを指してこう言いました。「ほら見て、新唐人だ。どこに行っても新唐人が見られるんだ!」。私は師父が常人の口を借りて私を励ましておられると分かりました。しばらくして、ある人が証券取引所から出て私のインタビューをうけてくれました。もう1回は、30分かけて地下鉄とバスを乗り継いで植物園にインタビューに行きました。降りてから重い三脚とカメラを持ちながら歩かなければなりません。心のなかでは協調人に対する不満もますます増えています。撮影を終え、インタビューも終わった後、カメラの三脚をたてて、映るようにしたところ、華人女性がやって来ました。「あら、真剣ね。どのテレビ局ですか」と聞くので、新唐人だと答えると、彼女は毎日新唐人を見ており、今夜も私のニュースを見ると言いました。私はまた師父が励ましてくださったと分かりました。バンクーバーに帰って神韻を報道する時も、ニューヨーク空港での検査のときも、華僑スタッフが来て「あなたは新唐人の記者ですね」と言いました。なぜ知っているのですかというと、いつもあなた達のテレビ番組を見ていると答えました。  

 ニューヨークでの3年半は「苦」の一文字で表すことができます。その中で9回の神韻報道に参加しました。伝統文化の巨大な影響力を目にすることができ、ニューヨークのフラッシングでの事件も報道しました。法を正す戦いの場で自分の力を尽くすことができて、本当に幸せです。  

 四、多言語テレビ局を設立し、協調を学ぶ

 昨年夏に、私はトロント新唐人のニュース部にやってきました。2012年3月28日に、新唐人多言語チャンネルがカナダ西部の四つの省に設置されました。トロントにきたのも、もしかしたらもう一つの按排かもしれません。多言語チャンネルは新唐人の世界戦略の重要な部分であり、多くの主流社会の人たちを済度できるかもしれません。師父は『新唐人テレビ討論会での説法』の中で、「多言語放送があればそれはもちろん良いことです。しかも、テレビ局が本当に着実に常人社会に立脚することができ、良性循環を実現し、ますます発展することができれば、それこそ良いことです。多言語放送をするだけでなく、どの民族の言語ももらさずに放送することができれば、それこそ素晴らしいことです。なぜなら、皆さんはすべての世の人々を対象にしており、救い済度しようとしているからです」と説かれました。

 しかし、トロントのニュース部は私にはまた新しい環境であり、ニューヨークと全く違います。ニューヨーク本部では、一人ひとりが単独で仕事を引き受けることを要求しましたが、トロントでは、全体と調和して協力することができるかどうかを試します。トロントのニュース部の同修たちは共通点があり、個人の技術が一定の水準に達していなくても、みんな一つになって協力しています、ここでは全体で力を合わせていると感じました。

 けれども編集責任者になるのはやはり難関です。今までは記者の仕事しかやっておらず、毎日自分の範囲内の仕事を完成すればよかったのですが、編集責任者は20~30の記事の責任があり、全面を見るのです。更に勉強する必要がありました。毎晩資料を調べ、主流のニュースをたくさん見て、手がかりを見つけました。多言語のニュースに着手してからは仕事も多くなりました。本部との話し合いはもちろん、バンクーバーの記者たちとも話し合いをしなければなりませんので、会議も多くなります。毎日時間が足りなくて、学法する時も集中できず、他のことを考えてしまうのです。私は局の古い同修が毎日学法を開くことに感謝したいです、私に一心不乱に法を勉強できる環境をくれたのです。

 ニュース部の同修たちが一緒に学法し、発正念をする時、みんなの力がますます増大していると感じました。この協力で、ニュース部は人手が足りない状況でも、3月末から順調に英・仏・中・広東語の四つの言語で制作するという、奇跡を作りました。

 ニュース部の責任者は、毎日睡眠時間が少なく、また車の運転も引き受け、その他の番組の撮影や編集、データベースなどを整理し、英語のニュースの編集も引き受けていました。午前1時にやっと家に帰り、責任者が不足しているので70歳の責任者は自発的に夜に三つの言語を担当し、広東語の吹き替えをするチームは仕事が終わると急いで吹き替えをしなければならず、多くの人はすべて超負荷の仕事を引き受けていましたが、恨みも後悔もしませんでした。

 みんなと歩調をあわせることで、自分の欠点も見つかりました。多言語のニュースは4カ月経ったばかりですが、携わる人たちは前より増えました。あと少し細かい部分を相談する必要があり、完璧ではありません。しかし、みんなが協力し合うことが必要な時なのに、時々休みを取ったり、来なくなった人もいて、心が揺れる時もあり、心配、疑い、愚痴などの心などが全部出ました。休みを取る同修の修煉状態は良くないと疑い、彼らの行動は他の同修に迷惑を与え、更なるストレスになるかもしれないと心配しました。毎回休みを取る時はちょうど法会の期間なので、全ての人が積極的に補い、アナウンスの穴埋めをしたり、ニュースの編集を多くやるなどして、一言の不平も言わないのです。私はこれを見て本当に恥ずかしく思いました。協調人は大きな寛容の心で同修のことを思いやっています。同修が休みを取るのはきっとわけがあるに違いないと理解し、一人ひとりの状況や能力に沿って仕事を分担したのでした。

 休みを取る同修がいたら、まず自分の状態を調整しながら心が動じないようにします。気持ちを落ち着かせて冷静な態度で原因を確かめました。師父は「大法弟子の心が落ち着いていなければ、周りの環境も変化させます。あなたが恐れているとき、衆生もおかしくなることに気づきます。あなたが清々しい気持ちで、胸襟が広くなり、明るくなったとき、周りの環境も変化すると分かります。真相を伝え、法を実証する中で、皆さんが行なっている事が困難に遭ったとき、自分を調整してみて、正念を持って問題を考えれば、かなりの効果を得られるかもしれません」(『2009年ワシントンDC国際法会での説法』)と説かれました。

 私は毎日ニュース部が集まって学法や交流する場を非常に大切にしています、私心を挟まない誠意ある交流は、自分も浄化され、難攻不落の全体になるために大事なことでした。

 最後に師父の法の一部を引用して皆さんと励まし合いたいと思います。「望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです。つまらないと思えば思うほど、あなたの威徳を築いているかもしれません。皆さんが本当に協調を取ることができ、十分な正念を持ち、問題にぶつかったら内に向けて探し、修煉を始めたばかりのときのような情熱を持ってほしいと思います」(『大法弟子とはなにか』)

 師父、ありがとうございます。

 (完)

 (2012年カナダ法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/4/262377.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/11/135816.html)