トラブルの中で、相手の立場に立って考える
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文/日本の法輪功学習者

 【明慧日本2012年6月25日】尊敬する師父、こんにちは。同修のみなさん、こんにちは。

 私は2010年7月に修煉を始めた学習者で、今年43歳です。修煉を始める前の私は、周りからは幸せそうに見えていたようですが、長年、誰にも相談できない悩みを抱え、何のために自分がここに存在しているのかが分からず、毎日を虚しく過ごしていました。

 生きていくのも辛く感じていた2010年の6月に、偶然見た東広島市の公報で、法輪功の無料講座がある事を知り、惹きつけられるように申し込みをしました。初回の講座に参加した時、煉功の指導に来ていた地区の協調人を見て、以前にもどこかで会ったような懐かしさを感じて、それからは、毎日煉功に行きました。

 それから学法していく中で、人生のすべての事には因縁関係があり、私が長年悩んでいた事は、自分自身の業力と様々な執着心がもたらしたことで、今まで相手が悪いと思っていた事も、全部自分に原因があると分かりました。何でも人のせいにしていたことが恥ずかしくなり、問題が起きた時にまず相手のことを考えるようになると、家庭の中も落ち着き、家族にも次第に笑顔が増えて行きました。

 また、常人の友人と話すときも、それぞれが迷いの中で苦しんでいるように感じ、全ての人に救われてほしいと願うようになりました。

 ちょうどその頃、神韻の活動に参加できる事になり、私の頭の中は、神韻のことでいっぱいになりました。その時の一つの出来事について、ここでお話します。

 私の仕事は デイケアの手芸講師です。来られているのは80代の方が多いのですが、そこに50代の新しい利用者さんが入られました。この女性は若い頃から重い病気にかかり、後遺症のせいで、できる手芸が限られていたので、私はその女性のために、他の人より少し簡単にした見本を作って仕事に行きました。

 きっと喜んでくれるだろうと思っていたのですが、その女性はだんだん機嫌が悪くなり、なぜ自分のだけ人と違うのかと聞いてきました。「他の方のは難しいので、こちらを作りましょう」と優しく言っても、しばらくするとまた、人のと違うと言い始め、最後には大きな声で私の悪口を言い始めました。まるで同意を求めるように職員さんにまで私の悪口を言いながら 鋭い眼でにらんでくるその女性を見て、私はどうしたらいいか分からなくなりました。

 フロア中に知れ渡るほどの大騒ぎになったので、仕事が終わった後に、私はフロアの責任者と職員さんに謝りに行きました。責任者は、女性の病状と対処法を優しく教えてくれ、私の接し方に問題があったと指摘をしてきました。

 その頃の私は、神韻の活動で毎日とても忙しく、家事も子供達の送迎も、仕事の準備も全部一人でしていました。この女性のためだけに、睡眠時間を削ってわざわざ新しい見本を作って行ったのに、なぜこんな事を言われるのだろうと思うと、悲しくなりました。

 それから、女性が怒り始めた時の、自分の行動を思い出してみました。心を落ち着かせてからしばらく考えてみると、自分の身勝手さが次々と見えてきました。

 私は、良かれと思って女性のために作ったものを否定されて、ただ腹が立っていただけではなかったでしょうか? 優しく言ったつもりの言葉の中に、「あなたにはみんなと同じものは作れない」という、見下した考えがなかったでしょうか? 相手の立場に立って行動すると言いながら、女性の病状を本当に理解していたのでしょうか? もしかすると私は前世でこの女性にひどい事をしたのかもしれません。その償いで今回の騒ぎが起きたのなら、私の罪のせいで、女性の得を失わせてしまったのではないでしょうか? 神韻の活動ができる事に歓喜心が生じ、衆生を見下していたのだとすれば、私はそれでもまだ修煉者なのでしょうか?

 ここまで考えると、自分の愚かさが恥ずかしく情けなく、早く女性に謝りたくて仕方なくなりました。その日のうちに、もう一度お詫びが言いたいとデイケアに電話をすると、フロアの責任者が私の気持ちを女性に伝えてくれ、女性は「そんなに謝られたら、手芸に来にくくなるから、もういいですよ」と言ってくれました。次の週、私は心からのお詫びを伝えました。そして「他の人と同じものを私と一緒に作りましょう」と言うと、女性は少女のように喜んで、楽しそうに手芸をはじめました

 師父は、2006年の『米国首都法会での説法』の中で、「トラブルの中で、内に向けて探すことができれば、自分自身の足りないところに気づくことができます。トラブルが明るみに出なければ、トラブルが現れなければ、あなたは自分の執着に気づくことができず、見つけることができません」とおっしゃいました。

 また、この年の神韻公演は東日本大震災のため中止になってしまいましたが、私は自分の不足のせいで足を引っ張ったような気がして、師父の説法をもう一度読み直し、それ以降は煉功と発正念も毎日続けました。 

 今年の神韻の活動では神韻を最優先に考えながら、家庭や職場でも相手の立場に立った行動を取るように心掛けていると、普段は忙しい主人や子供達も嫌な顔もせず家事を率先して手伝ってくれ、職場でも和やかな状態が続き、睡眠時間は少なかったのですが、疲れを感じることもなく、公演の日まで頑張ることができました。

 まだまだ不足が多く様々な執着心も取り除けていませんが、三つのことをもっと自分に厳しくするようにして、一日も早く基準に沿った大法弟子になれるよう、これからも更に精進していきます。

 
 
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