文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年10月9日】この数年間、私は基本的に一人で修煉していました。回り道をせず、法を正す進展に追いつくために、明慧ネットの文章を読むことが毎日不可欠な習慣となりました。特に大法を修煉する中で起きた不思議な物語や修煉体験を読むのが好きでした。
たくさんの同修が自分自身や親族が起こした車の事故やその他の災難に遭遇した時、師父に守られて危険を無事に乗り越えたり、身体がひどく傷付いたり、たちの悪い病気を患っていましたが、修煉に力を入れて心性を向上することにより、身体が迅速に回復したり、また生活と仕事の中の苦境に陥りましたが、絶えず学法して内に向けて探した後、転機を迎えるなどのような文章を多く読んでからは、私は知らないうちに一種の思惟方法で考えることが習慣化され、形成してしまいました。仕事の中で、もしトラブルが起きたなら、急いで内に向けて探して執着を見つけ、自分の心性が向上すれば、そのトラブルも自ずと解決できるということです。仕事の効果があまり良くない時には、絶えず自分の名利心を取り除き、名利心がなくなれば仕事の効果が絶対に上がってくると思っていました。
私にはまたこのような現象もありました。一つの執着を見つけ、発正念してそれを取り除くか、あるいは意識的に排除した後、なぜ状況が変わらないのかと思うことです。半年前に私は足のすねが傷付き、骨折しました。病床時に横になって、私は絶えず内に向けて探しました。確かにたくさんの執着、例えば、顕示心や色欲の心、怒りや憎しみの心、嫉妬心、闘争心、せっかちな心、恐怖心などが見つかりました。私は絶えず見つけては、絶えず発正念をしてそれらを取り除きました。そして、自分のすねの状況が好転したかを確認しました。このようにして繰り返して執着を探して、執着を取り除き、すねの状況を確認しましたが、何かが間違っているとは感じていました。しかし学法して、内に向けて探すことは間違っていません。
冷静になって細かく思い返してみた時、やっと自分の学法と内に向けて探すことは、目の前のトラブルを解決するためであり、また、師父に私の身体にある傷の痛みを消してもらうためであったことに気付きました。なるほど、私の学法と内に向け探すことの背後には、極めて強大な執着である求める心が隠されていました。
この求める心を見つけ出した時、私は猛然と今回の骨折は、21年前の法を得たばかりの時の間違った考えと関連すると思い出しました。『轉法輪』の第三講で師父は、大法弟子が生命の危険に晒された時、危険を無事に乗り越えた四つの例を説かれました。当時、私はどうして自分は車にぶつからないのか、ぶつかれば非常に大きな業力を消去できるのにと考え、とりあえず師父が保護してくださるので、身体の損傷や生命の危険もない、などと思っていました。明らかに当時の考え方は法の偉大さと超常さを実証するためでは全くありませんでした。ただ単に強烈な求める心があったのでした。修煉するうちに、災難を求めるその考えが少しずつ薄れていきましたが、旧勢力はこれを忘れることはありませんでした。その結果として、私の当時の思いを今日の禍根として埋め込むことになりました。
私は生まれつき体質が弱く、幼い時からよく病気にかかっていたため、疾病の悩みから抜け出すことが、幼い頃からすでに私に目生えた強烈な願望でした。私は健康になるために走ることを堅持し、漢方を研究し、太極拳をやり、偽の気功をもやったことがありますが、先天的な虚弱体質には何の変化もありませんでした。
幼い時に親戚の家に行った際に、煮込んだ肉のにおいを嗅ぐと苦しくなり、何も食べられなくなりました。また一度、10キロ以上バスに乗りましたが、翌日まで吐き続け、さらに自転車の後ろに座っても、眼を開けることを恐れていました。16歳の時には神経が脆弱で様々な症状を患い、夜にはなかなか寝付けず、昼は昏々とした状態でした。19歳の時に実習がありましたが、毎日昼に食堂で炒粉(いりこ、大麦を炒り、ひいて粉とした食べ物)を食べていました。1カ月後、クラスメートはみな何事もなかったのですが、私だけは急性下痢を患い、かつ慢性腸炎にまで進行しました。そして、その後の数年間、夏になるとスイカを食べることが全くできず、アイスはなおさらでした。もし、野菜を炒める時に食用油を少しでも多めに入れると、すぐにお腹が鳴って下痢しました。しっかり食べて眠ることは、健康な生活に必要な最も基本的な要素です。しかしこんな事でさえ、青年だった私にとっては夢と過分な望みでした。
1998年11月のある週末、私は友人と一緒に街でぶらぶらしていたところ、法輪功を紹介するポスターがずらりと掛けられているのを目にしました。以前に何種類かの気功をやってみたのですが、私の身体には何の変化もありませんでした。私は気功に対する興味がすでにあまり残っていませんでした。そして通る時にポスターをチラッと見ました。その中のいくつかの言葉が私の興味を沸き立てました。大体の意味は、心性を向上させさえすれば功が伸びるということでした。当時の私はこの功は大変煉功しやすい、心性を向上させさえすれば功が伸び、功が伸びると病も自ずと治るだろう。私は本分を守る人だし、悪いことをしないし、これはちょうど私の個性と人格に合うのではないか、これは便利なものではないかと考え、直ちに『轉法輪』を一冊借りて来ました。こうして私の大法の修煉が始まりました。当時、私は功を伸ばしたいという強烈な求める心を持っていましたが、その後の修煉の中で、身体は確実に絶えず好転していきました。
1999年7.20から、中国共産党は法輪大法に対する迫害をはじめました。一部の同修は相次ぎ表に出てきて法を実証し、一部の同修は連行されて拘禁されました。一部の同修が、刑務所はほかの空間では寺院であり、その中では執着心を修めるのが速いし、功を伸ばすのも速い、という間違った内容の交流をしていましたが、それを聞いた私は心が動じました。私は冷静になって、大法を以ってこの言い方が正しいか否かを測らず、頭の中はなんと刑務所に入り、もっと速く功を伸ばしたいという誤った考えでいっぱいでした。
2000年8月、師父は経文『円満成就に向かって』を発表されました。私は功を伸ばすことに執着し、円満成就に対する執着心がさらに強くなりました。まもなくして私は自分が願った通りに留置場に入り、20日間近く監禁され、また5千元の罰金を科され、公職を取り上げられ、籍を保留して後悔することになりました。後になって師父の説法を読み、やっと刑務所はまったく修煉する場所ではないと分かり、逆に邪悪が大法弟子を迫害する形式であると認識でき、やっと当時のその一難は、自分が求めたことによって、やって来たものであることに驚き、やっと気付きました。
2013年の前半、現地のある同修が秘密裏に省都の洗脳班に強制連行されました。このことを耳にした妻は「気を付けないとあなたも送られるよ」と私に言いました。私は妻の言葉を否定せず、少しも気にせず、「送りたければ、送ればいい」と答えました。3カ月後、私は本当に送られました。洗脳班で私は少し困惑しました。私はなぜ連行されて来たのだろうか? 私も非常に気を付けていたのではないか? 洗脳班で警官は私と談話する際に、何も実質的な証拠を出すことができませんでした。今になってやっと目覚め、気づきました。これらは私が求めて来たものでした。
私の全修煉過程を振り返って見ると、求める心が終始、存在していました。しかも毎回の大きな魔難と迫害は、いずれもこの求める心と大きく関連していました。病を治したい心、功の伸びを求める心、名を求める心、利益を求める心、権力を求める心、安逸を求める心、円満を求める心等々の全てがそうです。これほど長く修煉してきましたが、私はずっとこれらの存在に気付いておらず、取り除くことはなおさらでした。
師父は『轉法輪』の第二講の小節を使って、もっぱらこの求める心について説かれています。この求める心について厳重に注意するように説かれている意味がよく分かりました。私はその部分を読んで暗唱しましたが、それを重視することができず、取り除くことができず、それを私の空間場でこれほど長年存在させてきました。自分の学法が形式に留まり、着実に修めることを重視せず、師父の法を以って自分のすべての考えを量らず、師父の法を以って自分の言動を照らし合わせていませんでした。
法を正すことはすでに終盤に差し掛かっています。再びダラダラしてはなりません。これらの正しくないものに自分の修煉を邪魔され、衆生を救い済度することを邪魔されてはなりません。