文/河南省の大法弟子
【明慧日本2020年11月22日】数人の同修と交流しているうちに、私は同修たちが大法に基づいて物事を認識していないことに気がつきました。家庭内での葛藤、暮らしの中での様々なトラブルの中で、法輪功の修煉を放棄すると表明していない学習者に、署名を強制する「ゼロ行動」の中で、学んだ法で善悪を測るのではなく、人間の観念、人心、人情で物事を測っていて、認識はどうしても向上できません。
人間の観念を変えて、法に照らして物事を測ることで、自分の身を守る力を身につけることができます。
例えば、あるとき、私が野菜を切っていたら、手まで切ってしまい、頭の中で「出血しない」という念が生じたとき、本当に出血しませんでした。これは普段、私が多めに大法を学んで、大法に照らして物事を測ることが関係しているのかもしれません。
同修の中には、形式的に法を学んでいる人もいます。なにかに興奮したり、悲しくなったりしています(衆生を救う際の慈悲の状態を含めていない)。師父の説かれた「心が動じない」という意味が未だに理解できない人もいます。修煉の最初の頃、修煉者は「心が動じない」ということが自分で把握することができないかもしれませんが、心が動じたときには、その原因を発見し、認識し、それを取り除くことにより、徐々に自分を把握できるようになります。
自分の心が動じたとき、辛く感じたとき、内に向かって探すことが最も肝心なのです。人心があればそれを取り除き、人心を抱いたままならば、辛いのです。もちろん、普段の一つの考え、一つの念を、すべて大法に基づいて判断することができれば、それは自分を厳しく律することになります。
自分の未熟な意見を述べて同修の価値ある意見を引き出す作用を果たすことを希望します。以上は自分の次元で悟ったもので、適当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。