寧夏の張君琴さん 再び懲役3年の実刑判決
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 【明慧日本2020年12月19日】中国共産党による法輪功への迫害から逃れ、3年以上放浪をしていた張君琴さん(51)はやっと帰宅したが、2019年9月27日、寧夏回族自治区の固原市原州区の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らにより連行され、拘禁された。身柄を拘禁されてすでに1年以上が経った。最近の情報によると、張さんは懲役3年の実刑判決を言い渡され、控訴状を提出したという。

 張さんは原州区の住民である。1997年夏、まだ若いのに深刻な子宮穿孔に罹った。その時、他人から法輪功を紹介してもらって、4カ月学んだ後、病気が治った。

 1999年7.20、江沢民は共産党を利用して法輪功への残酷な迫害を開始した。張さんは連行され、拘禁され、労働教養を強いられるなどの迫害を受けた後、放浪を余儀なくされた。

 一、寧夏女子刑務所で受けた迫害

 2001年9月、張さんは連行され、家宅捜索を受けた。西郊卿派出所で、複数の警官らが張さんをベッドの枠に縛り付け、ビンタなどの拷問をして自白を強要した。その後、留置場に1カ月拘禁し、同年11月に1年間の労働教養を強いた。

 寧夏労働教養所で、警官は2人の麻薬犯受刑者に張さんを監視させ、迫害させた。毎日張さんに法輪功を誹謗中傷するビデオを見るように強要し、様々な手段で洗脳をした。屈服しなければ、殴ったり蹴ったりし、侮辱し、罵り、睡眠を剥奪し、立たせたりした。

 
中国共産党による拷問のイメージ図:殴打、頭を壁にぶつける

 奴隷のように働かされた。長い時間ずっと座ったまま甘草や干した野菜を扱い、でん部が潰れたこともよくある。胡瓜の藤を固定したものを素手で抜くことによって両爪が落ちてしまった。建築地の基礎を人力で掘らされ、両手の掌は血豆だらけになり、非常に痛くて夜も眠れず、毎晩少しの仮眠しかできなかった。早春になると、朝5時から水田に入って田植えをしなければならなかった。水田の水は非常に冷たく、しばらく水田に立っていたら足の感覚がなくなり、作業が終わった時に歩行できなくなった。ノルマが達成できなかったら、麻薬受刑者らに罵られ、殴られ、睡眠を剥奪され、家族との面会を禁止されるなどの体罰を受けた。 

 2003年2月、張さんは労働教養所で煉功しただけで、「ノルマを達成していない」という口実で刑期を3カ月延ばされた。

 二、実名で「江沢民告発」をしたため当局に復讐を受け 放浪を余儀なくされた

 2015年5月1日、中国共産党の最高裁判所は「案件がある限り必ず受け入れ、訴えがある限り必ず受理する」と宣言した。同年6月、張さんは最高裁判所と最高検察庁に江沢民告訴状を郵送したが、1カ月後、告訴状は現地の国内安全保衛部門に戻された。

 当時、国保大隊長が警官らを率いて現地の多くの法輪功学習者を連行し、家宅捜索をし、家族や親族を脅したため、現地は恐怖が漂っていた。

 国保大隊長・楊の犯罪行為が明慧ネットに暴露されたため、楊は復讐を始めた。2015年8月13日、楊は男女の警官を率いて張さんを連行した。楊は張さんを殴りながら「海外からたくさんの電話が俺にかかってきた! お前が俺の生活に嫌がらせをした! 今日俺はお前を障害者になるまで殴ってやる」と叫んだ。

 2016年4月11日、楊は再度5、6人の警官を率いて張さんを連行しようとした。情報を得た張さんは先に家を出て放浪を余儀なくされた。陰謀が叶わなかった楊は代わりに張さんの姉を連行した。楊は張さんの姉に手錠をはめて「俺を明慧ネットに暴露したのか、俺は80歳になってもお前ら姉妹2人を許さない!」と叫んだ。

 三、修煉を続けたため再び懲役3年の不当判決

 3年間にわたって放浪をしていた張さんはやっと帰宅した。2019年9月27日朝7時、警官・楊ら11人が張さん宅に押し入り、修煉を放棄する転向書にサインを張さんに求めたが、楊さんは拒否した。そこで、警官らは家宅捜索を始め、多くの家財を押収し、張さんを連行した。最近、張さんは懲役3年の実刑判決を言い渡されたという。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/10/416275.html)
 
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