私心を少しずつ放下するにつれて環境が変わる
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2020年12月21日】私は、1995年に師父の説法録音を聴いたことがありますが、惰性や決心が足りずに、なかなか真の修煉者になることができませんでした。2018年9月になって、私はようやく正式に学法煉功を始めました。

 間もなく、大きな災難が私の家に降りかかりました。父は警官らに連行され、修煉を放棄しないため懲役3年の実刑判決を言い渡されました。このような難関の前で、私は心が動じてしまい、恐怖心や安逸心が非常に強くて、体調不良を理由に関連部門へ父の救援を求める勇気もなく、消極的に迫害に耐えていました。自分にとって最も後悔しているのは、邪悪の迫害を認めることであり、父は修煉において理智が足りなかったからで、自身を修正しないと思ったことです。迫害された父への無関心さで、邪悪な電話による嫌がらせが絶え間なく自分のところにもやってきました。

 その後、勤務先の書記は二度私のところに来て「三書」を書くようにと要求しました。私は、表面上では冷静に見えますが、内心では恐れていて、彼と会うたびにわざと距離を置いていました。この件を担当する党主任は、なかなか任務が完了できない状況を見て、上司に私と談話するように勧めました。私の上司は57歳の女性で、他の同修のところですでに「三退」(共産党・団・隊の組織)したので、上司との談話について自分は怖く感じなかったのです。彼女の背後にある邪悪な要素がすでに取り除かれたので、彼女は最初から最後まで私の話しを聞いていました。私は父が連行された経緯や、法律部門がどのように法律を踏みにじって家族を迫害してきたかを話すと、彼女は理解と同情を示してくれました。

 上司のオフィスを出て、ホットした気持ちで車内で音楽をかけ「歴史の最後の一頁がすでにめくられている 真善忍の光輝は峰々、大海を明るく照らし 正邪の戦いは魂を揺さぶるほど展開されている」 [1]の歌詞が頭に入りました。それで私は落ち着いて、自分を反省してみると、自分が十分にできていなかったことが分かり、上司に対して「道理をわきまえて人間の情をもって」接していただけで、善と慈悲がなかったことに気づきました。

 翌日、本番の試練がやってきました。上司は私を呼んで「ビデオ撮影に協力しないと解雇することになり、授業もできなくなる。考えは変わらない?」と言いました。私は決心して首を振って「私のことを決めて下さったのは師父です」と心の中で思いました。そして、書記ともう一度談話することになりました。今回、自分は以前よりも優しい態度で、善を持って話ができて、笑顔で自分の決意を伝えた後、戻って続けて仕事に入りました。

 その日私は書記のオフィスを出て、いつものように授業に行きました。

 正午になって、上司はまた電話をかけてきて、指導者が私と話したいことがあると教えてくれました。その時、私はすでに疲れ果てて、家に帰って、母から「彼らに協力するわけにはいかない」と言われました。そして、午後は家でのんびりしていました。

 意外にも夜になると、上司のロビイストである叔父と叔母が家にやってきました。私の態度を知った叔父は怒鳴りつけ、叔母は私を可愛がる表情で、将来のため説得していました。何を言われても、私は「私のことを決めて下さったのは師父です」としか考えていませんでした。同時に、話しているうちに自分の態度を調整しました。叔父の影響を受けて、大きい声で話したこともありましたが、この機会を利用して叔父に真相を伝えたらとふと思いました。そこで私は心を落ち着かせて「叔父さんが私のために考えているのはよく分かりますが、私はもっと叔父さんのために考えています。叔父さんを救っており、邪悪の仲間に入ってほしくなく、叔父さんの命を救っているのです。私の話を聞いてくれませんか?」と聞きました。私の態度が変わったことで、会話の雰囲気も変わりました。

 最後に叔父は「お前が自分のやり方でこの事をうまく処理できるなら、話を聞いてやる 」と答えました。これで私は自信がつき「私にはできる、師父がおられるから、必ず叔父さんを救うことができる、自分の話を聞いてもらうように」と思いました。

 勤務先に来て、朝8時半から10時半まで発正念をしました。突然、閃光があり、頭を覆っていた物質が消えたような気がして、耳元で「あなたの弟子の正念が十分あり、私たちは彼女に触れる勇気はありません」という声が聞こえたような気がしました。ある日、上司から「この事はもう過ぎ去った。安心して働きなさい」と言われました。

 危機はこのように解決されました。師父のご加護の下で、同修の協力を得て、瞬く間に、邪悪が消えました。

 その後も振り返って考え直している中で、深い感慨がありました。師父はこのように説かれています。「ですから、皆さんのやることがわれわれの心性基準の要求を満たしてこそ、はじめて本当の修煉者であると言えます」 [2]。私は真の修煉をしてきたかと自問しました。安逸な環境の中で学法と煉功を緩んだことがあり、関門の前で、力不足で思うようにできないと思ったこともありました。また、この関を乗り越える時、圧力を前にして心身ともに疲れ果て、ひいては絶望したことがありました。しかし、刑務所で迫害されている同修たちは毎日ものすごい圧力を受けており、大法弟子として、自分と関係ないようにできるはずがないと改めて感じました。

 師父はこのように説かれています。「大法弟子に対する迫害はなおさら簡単なことではなく、人間には何もできず、ほかの空間での邪悪が主導的な作用を働いているからです」 [3]。この事件を通して、発正念についてもっと重視するようになりました。また、他の空間の邪悪を解体し、刑務所にいる同修の正念を加持し、一刻も早く悪魔の巣窟から抜け出すように、すべての大法弟子が発正念を重視しなければならないことを気づかせてくれました。

 今回の試練の中では、自身を絶えず高めてきました。最初、自分はただどうやって妨害を取り除くかを考え、恐怖の中で転んだり起きたりして進み、そのうちにだんだんと冷静になり、同僚の立場から考えるようになり、親戚にも真相を伝えようと思いました。自分の「私」の心を少しずつ放下していく中で、周りの環境も変わりました。苦しみの中にいながらも他人のために考えたことで、邪悪の力量がなくなり、妨害が即時に消えたことを感じました。

 以上は、私の現段階の修煉の中で悟ったことです。文章にして同修と共有したいと思います。不適切なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝いたします!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「私たちは知っている」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/16/415125.html)
 
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