私は師父の子供弟子
■ 印刷版
 

明慧日本2020年12月23日】

 慈悲なる師父 こんにちは! 同修の皆さん こんにちは!

 私は大法の子供弟子10歳です。2020年の中国大陸法会に参加したいと思います。

 一、学法煉功

 私は生まれたばかりの時から法輪大法の修煉をしています。最初は師父の説法録音を聞き、2歳半で漢字が読めて、4歳のときには『轉法輪を読むことができました。私は、毎日の学法を休んだことはなく、ただ2017年に、ママが北京で仕事をしていた時だけ、学法ができなくなりましたが、かなり遅れてしまったと感じていました。夢で自分が虹から落ちて来たのを見て、とても怖かったのです。2018年4月か5月頃、ママが北京から帰って来て、また毎日学法をするようになりました。学法をすることで、より良い人になり、師父と一緒に天国へ帰ることができると分かったので、楽しく学法することができました。

 4歳か5歳の時、私はママに五式の動作を教えてほしいと頼みました。6歳になってからママは煉功を教えてくれました。第2式の頭上で法輪を抱える時、腕が痛くて泣きながらでしたが最後まで耐えられました。第5式の静功をする時、最初は5分の座禅から始めて、1回に5分ずつ増やして行きました。ある時、30分のはずなのに、ママが教えてくれず、気づいたら一気に45分間座禅していました。数日後、私は1時間の座禅ができるようになりました。

 私は病気の関を乗り越えたこともあります。生後数カ月の頃、高熱を出して数日間も熱が続き、下がりませんでした。乗り越えた時は、全身が光を放っていたそうです。3歳の時、プールに泳ぎに行った時、危うく溺れそうになりましたが、師父が私を抱き上げてくださったのが見えました。

 二、心性を高める

 小学2年生のとき、学校でお昼ご飯を食べていると、7、8人のクラスメイトが私をいじめましたが、私は怒りませんでした。帰宅してママに「一挙四徳  [1]、7人から殴られたので、4×7=28、私は28個の良いものを得たよ」と嬉しそうに飛び跳ねていました。ママは私のことを可愛いと思いながら、笑っていたようです。

 ある日、マンションの下で1元(約16円)を見つけて、拾ってベンチに置いて見ると、見れば見るほど泥に見えて、とても汚かったのです。そのことをママに話すと「お金を元の場所に返したら」と言われました。私はそれを元の場所に返して、心がやっと落ち着きました。私はママに「不思議だね、持ち帰った時は泥に見えたのに、戻してからはまたお金に変わった」と言いました。この試練を乗り越えられなかったので、師父はまた試練を与えてくださいました。私は外でまた1元を見つけたのですが、ポケットに入れて遠くまで走り、自分が拾えないように1元を遠くまで投げてしまいました。今回、また乗り越えられませんでした。師父はまた機会を下さいました。外でまた1元を見つけましたが、一瞬、見ても心が動じずに立ち去りました。心の中で「やっとこの試練を乗り越えられた」と自分に言い聞かせました。

 三、真相を伝える

 3歳の時から私は幼稚園で友達に真相を伝え始めました。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい。私は大法の子供弟子です」と先生に言うと、先生は「ありがとう」と言ってくれました。

 3歳の時、ママと一緒に真相ステッカーを貼りに行き、ママは私を抱えて、私はステッカーを高いところに貼りました。その後、ママと二人で迫害の資料を持って、人の家の窓辺に置き、ママが発正念をして、私は資料を配りました。

 4、5歳の時、人に真相を伝え始めました。最初は、おじいさんやおばあさんに「おじいさん、こんにちは」または「おばあさん、こんにちは」と挨拶をしてから小冊子を差し上げると、皆喜んで受けとり、私を見て微笑んでくれました。

 その後、明慧ネットで放送された「子供弟子の修煉体験」を聞いて、他の子供の同修たちが私より上手に伝えていることを知りました。それからは、「おじいさん、こんにちは」から「おじいさん、こんにちは! 一冊の本を差し上げます」に変わりました。しばらくしてまた「おじいさん、こんにちは! 一冊の本を差し上げます。この本はとてもいいもので、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と覚えてください。危険なことが来た時に命が救われます」に変わりました。おじいさんは微笑みながら「わかった、わかったよ」と言ってくました。

 小学校3年生の時、友達を家に連れて来て真相映画を見せて、皆で楽しんでいました。1本の映画を見終わったら、琴琴さんは「もう1本見たい」と言いました。

 呉夢瑶さん(仮名)は私の親友で、彼女に「ママが読んでいる本を当ててみて」という質問をしました。彼女は「どんな本ですか?」と聞いてきました。そして法輪功は善いもので、中国共産党は悪であると話しました。そして、「私はあまりはっきり話せないので、ママに説明してもらいましょう」と言いました。彼女が納得したので、家に連れて来て、ママが真相を話し始めました。彼女は真相が分かり、三退をしたいと言いました。それからずっとニックネームを考えていましたが、最後には「呉夢瑶」という名前を選びました。彼女がとても気に入ってくれたので、とても嬉しかったです。

 3年生の時、担任の先生が体調を崩して入院しました。先生の誕生日の時、私はカードに「先生の健康と幸せを祈っています」を書いて送りました。また、真相を書いたお守りとお守りにまつわるちょっとしたお話を一緒に封筒に入れて、封筒の外側に大きな虹を描きました。先生はとても感動してくれました。

 四、ママと一緒に関を乗り越える

 2019年12月31日の夜、ママは電動自動車に乗っていて転んでしまい、パパに迎えに来てほしいと連絡が来て、私たちはすぐに駆けつけました。道の脇の草むらに寝そべっているママの姿が見え、私は泣き出してしまい、それは慈悲と情が混ざった感じでした。パパはすぐ110番通報し、救急車が来てママを病院まで運びました。レントゲンを撮ると、お医者さんから「膝のところを粉砕骨折しています」と言われ、ショックを受けました。それからママはギプスをして、2本の点滴をしました。3人の同修が来てママと交流しました。一晩でママの正念が強くなり、手術や薬を使わずに退院することを決意しました。

 帰宅後、私はママと一緒に学法をし、一緒に「洪吟」、「洪吟二」を暗誦し、また、ママは「洪吟三」も暗誦することができました。その間、ほぼ毎日夜12時すぎに就寝していましたが、あんなに元気にできたのは、きっと師父が加持して下さったのだと思います。

 師父の説法「巨難の中、必ず確固たる意志で」 [2]、「試練を前にして、真性が顕れる」 [3]、「学法を怠らざれば、変化は其の中に在り、堅信して動かざれば、正果になり蓮が成る」 [4]、「重錘の下、精進を知る」 [5]、「少なからずに休み自醒して正念を強め、不足を明らかにして再び精進す」 [6] などを読むと「ママ、これはあなたのことを話しているよ」とママに言いました。ママは大きく励まされ、正念もどんどん強くなっていきました。5日後、ママは自分でギプスを取りました。その当時、毎日ママと60ページくらいの学法をして、ママは毎日多くの法を暗誦しました。冬休みの宿題があるので、私は毎日1段落か2段落を暗誦していました。

 ママが意気消沈した時は「あなたの足は分子から原子まで、最も小さい微粒子まで全部すばらしいよ」と励ましました。ママは私が言ったことが法に従っていると感じ、正念が出て来ました。毎日ママの世話をして、お饅頭を温めて、おかゆを作って持って行っても、パパはほとんど気にしていなかったのです。またママの排泄物を流したり、絶望して泣いていたママを抱きしめたりしました。ママは「あなたがママで、自分は子供のようだね」と言っていました。

 ママが転んでしばらくして、中共ウイルス(武漢肺炎)が流行しました。私たちの団地も封鎖されました。人々をまだ救う機会があるので、資料を配らないといけないと思いました。ママはまだ動けないので、夜、1人で家に残っていた資料を配りに出かけ、ママは家で発正念をしてくれました。私は近所の全てに配りました。配り終わった時にママが「1、2週間後にしよう」と言ったので、私が「いや、疫病が来て、まだ救われていない人が感染してしまう」と言いました。ママは「わかった」と答えました。

 私は色紙を1枚取り、小さく切って、そこに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい。疫病が来た時に命が救われます」と書きました。その上に大きなピンク色の蓮の花を描くと、とても綺麗でした。ママに「何で貼ったらいいの、家にはのりがないよ」と聞きました。ママは「じゃがいもを蒸して、切り開いて、壁に塗って、紙を貼れば落ちずに長持ちするよ」と言ってくれました。私は言われたようにしたら本当に効きました。毎朝、貼りに出かけ、ママは、いつものように家で発正念をしてくれました。私は2週間貼り続けました。

 私たちは明慧ネットで中共ウイルスに感染した人が「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じたことによって救われた物語を見て、これらの物語を書き写して、上に大きな蓮の花を描きました。液状のりを入れた小さいバケツを持って、夜に貼りに行きましたが、しっかりとくっついていました。ママはまだ家で発正念をしていました。

 団地が封鎖を解除される前日の夜8時頃、私はまたのりを持って、公園に真相ステッカーを貼りに出かけました。空には稲妻が光って雷が鳴り、すぐにも雨が降りそうでした。私が1人で暗い道を歩いていると、師父に「早くして」と言われたような気がして、私は急いで貼りました。30分後、私が家に着いた途端、大雨が降って来ました。私はこのことをとても不思議に思いました。

 3月のウイルス流行の期間に、私はある夢を見ました。「私たちは大きくて綺麗な家にいて、2階の廊下に絵が掛けられていて、絵の真ん中に師父がいらっしゃって、左右に金色の龍が2匹いて、後ろに金色の宮殿があって、まるで神韻公演のワンシーンのようでした。師父の身体から常に色とりどりの佛光を放っていて、とても美しかったのです。空には花びらが散っていて、不思議なことにその花びらは下へひらひら舞っていました。2匹の金の龍が飛んでいて、その下の雲も浮いていました。ママと1人の年配同修が絵の前で煉功していました」。この夢は師父が私とママを励まして下さっていると思いました。

 ある時、お昼にママが発正念をしており、ママの後ろに師父の法身が見えて、とてもとても大きくて、師父が片手を立てていました。別の夜、私とママが第五式を煉功していた時、2人の護法の神が見えました。1人は緑色の服で、もう1人は青色の服を着て、胸に円が描かれており、円の中には金色の龍が描かれていました。2人は片手に盾を持ち、もう片手は剣を持って窓の前に立っており、とても神聖でした。私とママを守るために師父が送ってくださったのではないかと思いました。これらはウイルスが流行していた期間に見たもので、私とママが怖がらないように、精進させるための師父の励ましだと思っています。

 五、賢明で良い子になる

 私がママのお腹にいた時、同修であるパパが連行され、懲役1年の不当な実刑判決を受けました。1歳になるまではパパを見たことがありません。その後、幼稚園の頃にママが2回連行されたので、私はとても自立していました。毎日パパがアラームを鳴らしてくれました。朝起きて、着替えて、歯を磨いてからパパを起こしていました。「パパ早く起きて、幼稚園に連れて行って」と言い、パパが反応しない時は、私は思い切ってパパの身体を押しました。ママが北京にいる時に、パパが再び半月くらい捕まっていました。その半月の間、私はある叔父さんの家に泊まりました。

 団地の封鎖が解除された時、私はお小遣いで2缶の油と30斤(18kg)のお米を買ってきました。油は自分で抱えて持ち帰り、お米は小さいカートに積んで引っ張って帰りました。その時は全く疲れず、楽にできました。

 私はよくスーパーに買い物に行き、スーパーの叔父さん、叔母さん、お爺さんがみんな私のことを知っており、偉いねと褒めてくれました。また生地から饅頭のつくり方、餃子や粽、パンの焼き方なども学びました。私が学校のない日は、ママが仕事をしていたので、次の日の朝ごはんを用意しました。

 六、私の欠点

 私は遊びが大好きで、自分をコントロールできない時は遊びに行き、多くの時間を無駄にしました。私は遊び心で資料を配りに行ったことが何度もあり、4回も監視カメラに撮られて、警察が家にきて嫌がらせをしたこともありました。ママは内に向けて探し、それを引き起こしたのは、ママが私に頼る心であり、私は遊び心と物事を成す心だと思いました。

 ママに励まされて修煉してきました。私はママに「ウイルス流行の期間、ママが私と一緒に修煉して、今はママの足が治ったので、今後またママと一緒に学法します」と言いました。

 3千文字以上話しました。もう疲れたのでここまでにします。不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をおねがいします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「堅定」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「真性が顕れる」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「精進し正しく悟る」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「鼓楼」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「理智醒覚」

  (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/22/415007.html)
 
関連文章