質素で簡素な生活で安逸を求める心を抑える
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ーー「私たちの師父」を読んだ後の感想

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月12日】私は「明慧ネット」の特集記事『私たちの師父』を読みました。タイトルを見た瞬間から涙が止まりませんでした。その後、法を学んでいる時も、泣くのを抑えきれませんでした。私たちの師父の偉大さと慈悲深さは、人間のあらゆる言葉を尽くしても讃えきれません。この記事を書きながら、キーボードを打つ手も涙で濡れています。師父は率先して身をもって示し、細部に至るまで配慮し、大きな志を抱きながらも細かいことを大切にする姿勢を貫かれました。その姿に触れるたびに、私は無限の慈悲と温かさを感じ、心の底から感動します。  

 ここでは、師父の質素で簡素な生活について、私の考えを述べたいと思います。  

 私自身の考えですが、物欲に満ちた世の中に身を置きながら修煉をする私たちにとって、質素で簡素な生活を実践することは、強い意志が必要だと思います。このような生活は、安逸を求める心を抑え、取り除くのに役立ち、私たちが「人を救う」という偉大な使命に専念するためにも大いに助けとなります。  

 この点については、70代、80代、90代の年配の同修たちの交流記事からも見て取れます。彼らは高齢でありながらも精神が若々しく、毎日身なりを清潔に整えています。彼らの生活はシンプルで、食事や衣服にこだわらず、一人暮らしをしながらも子どもたちに迷惑をかけません。毎朝の煉功を何年も変わらず続け、学法の時間も安定してしっかり確保し、外に出て真相を伝える活動も効果的で、多くの人に脱党を勧めています。その光景は非常に感動的です。それに比べると、私を含めた中高年や若い同修たちは、まだまだ足りないと痛感させられます。  

 偉大な師父は、法を広め始めた初期のころからすでにこの点を示し、弟子たちに伝えてくださいました。しかし、私たちは十分に悟ることができませんでした。一部の同修はこの点をよく実践しており、無意識のうちに交流でその姿を見せてくれていますが、私たちはそれをしっかりと学び、向上することができていません。  

 師父は常に弟子たちのことを考え、一切の強制も押し付けもされません。むしろ、中共の邪悪な党文化の中で、貧しい生活に慣れすぎて極端に節約する弟子がいないかとさえ気遣ってくださいました。そのため「もちろん、生活条件に言及しましたが、大法弟子は福があれば、それを享受すればよいのです」。(『各地での説法十二』「二〇一二年米国首都国際法会での説法」)でお示しくださいました。  

 師父は多くを語らずとも、ご自身でそれを体現してくださいました。本当に感謝の念に堪えません!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/9/488113.html
 
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