文/雲南省の大法子供弟子
【明慧日本2021年1月31日】私は今年で中学校を卒業する15歳の子供弟子で、小学2年生の時に法輪大法に出会い、幸運にも大法の子供弟子になりました。母親も大法弟子です。父親は常人ですが、真相が分かっていて、同じく「真・善・忍」の基準で自分を律しているため、一家は楽しい生活を送っています。
一、人間としての振る舞い方を大法から教わった
初めて『轉法輪』をめくったとき、私は「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず」[1]という言葉に最も感銘を受けました。私が大法から教わったのは、穏やかな気持ちで人に接し、気に食わないことがあれば、「目には目を、歯には歯を」というようにやり返さず、心を静めて内に向けて探すことです。
期末テストが近づいたある日、時間を惜しんで、復習できなかった課題を読み終えようと思った私は、学校へ行くバスの中で本を読み始めました。あるお爺さんがじろっと冷たい目で私を見た後、人前で大声でこう怒鳴りました。「試験の直前になって本を読んで、普段は何をしていたのか!」。お爺さんが私のことを言っていると気づき、私は穴があれば入りたいほど恥ずかしかったのです。お爺さんは続けて多くの耳に痛い言葉を言いました。言い返さなかったものの、私は自尊心が傷つけられたと感じ、悔しさと怒りも覚えました。隣に立っていた友人も腹を立てていました。下車して学校に向かう途中の苛々する気持ちの中で、突然、師父のあるお言葉が私の頭をよぎりました。「今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません」[1]。確かに、これは偶然ではありません。お爺さんの言葉そのものは聞きたくないことでしたが、根拠がないことでもありませんでした。勉強において、本当にこれが私の改善すべき点であるかもしれません。こう考えると、私は急に視界が開けたように感じて、かえってこの見知らぬお爺さんに感謝したくなりました。
こうして、私は人や物事への接し方が分かり、日常生活の中で絶えず実践し、一つ一つトラブルや衝突を解決した後、穏やかな気持ちや心の幸せを得ただけでなく、周りのさまざまな人たちと和気藹々と仲良く付き合えるようになりました。
二、大法が私の勉強に与えた影響
私の記憶では、私の小学校時代の成績は良くなく、5年生までずっと中間レベルでした。中学校への進学試験を目前とする6年生になったとき、私は心理的プレッシャーを感じ始めました。学年が始まるや否や、クラスの教科の先生が何人も変わりました。私は予想よりも早く適応できて、60点台だった数学も満点を取れるようになり、その後90点台を下りませんでした。中学校では、私は学年の最下位クラス、つまり、最も低い成績で入学した学生たちが入るクラスに分けられましたが、最も優秀な先生を配備されました。中学の3年間、優秀な先生の教えの下で、私の成績はぐんぐん上がりました。もちろん、これは私が大法を修煉し、師父によって智慧を開かせていただいた結果だと分かっています。その後、私は優秀な成績で多くの人が憧れる高校に受かりました。
中学3年生に入ったばかりの時、学業に追い詰められて、私は点数ばかりを追求し始めました。そうすればするほど、満足のいく点数ではなくなりました。焦りを感じる中で、突然、私は点数ばかりを重視するのは求めることではないかと気づきました。自分の心構えが間違っていると分かった私は、それを調整しようと決心しました。それから、私は点数を気にせず学習だけに集中し、把握すべき知識を習得したかどうかを常にチェックし、試験では慌てず解答だけに専念し、成績も着々と良くなりました。
振り返ってみれば、数年来の勉強は大法や師父による助けがあって初めて順調に行うことができました。本当に師父に感謝しています!
三、生活の中で法を実証する
大法の子供弟子として、人々に真相を伝えて救われるようにすることが必須であり、一刻の猶予も許されません。子供の頃、母はいつも私を連れて街に出て法輪功の資料を配り、どこに行っても機会を掴んで真相を伝えていました。徐々に、私も1人で真相を伝えることができるようになり、クラスメートや友人に「国を愛すること」を「党を愛すること」と混同してはならないと伝えました。さらに、学校がいかにして私たちに対して、党に忠実になり、党を愛し、党をいわゆる「母親」だと思うように、無理やり教え込んできたかをじっくり考えるように言いました。彼らも考えた末、確かにばかげていると言いました。
私が友人たちに「人に誠実に接し、親切にし、他人に寛容であることは美徳ではないか?」と聞くと、彼らはみな口を揃えて賛同してくれます。私は、これが「真・善・忍」の具体的な体現であり、法輪功学習者が自分に課している人間としての基準だと伝え、中共の根拠のない捏造だけを拠り所にして、これらの善良な人々を拒絶したり、傷つけたりしてはならないと伝えました。
真相を伝える過程で頑固な人に出会うことはよくありますが、その都度、私はベストを尽くして彼らを納得させようとしていました。しかし、悪口を言い返してくる人には、私は無力感と恐怖を感じていました。これが私の改善すべき点だと思います。もし私に強い正念があれば、どんな真相が分からない人でも、きっと大法のこの正念場のエネルギーによって感化されるでしょう。
絶えず真相を伝えていくうち、私は徐々に大法弟子として何をすべきか、どのように行うべきか分かるようになりました。私は大法を修煉していこうという気持ちがますます強くなり、真相を知ることに留まらず、大法を修煉できるという自分の幸運に感謝しつつ、一日も早く周りの人々に真相を伝えていこうと切実に思いました。
四、魔難の前で
大法弟子である母は2回ほど連行され、何度も警察に悪口を言われました。父も会社に惑わされ、警察に何度も談話を持ち掛けられたり、脅迫を受けたりして、昇進もできませんでした。
母が初めて連行されたのは、私が小学3年生のある夜でした。数人の警官がドアを壊して入ってきて、家中を散らかして多くのものを押収しただけでなく、真夜中に母に手錠をかけて連れて行きました。
何が起こったのか分かっているものの、幼い私はただ泣いていました。父も悲しんでいましたが、同僚や親戚からの冷たい目線を受けつつ、父は一度も母を責めませんでした。父はひたすら母の安否を心配し、私が影響を受けて楽しく過ごせるかと気にしていました。その後、母は3年の懲役刑を言い渡されました。3年間、私は真面目に母に手紙を書いていましたが、学法を疎かにして、母がそばにいない間、あまり精進しませんでした。その後、帰ってきた母は私がここ数年間、怠けていたことを知り、学法するよう促してくれました。また、母は私に、「大法弟子にとって、学法はいかなる常人のことよりも重要であり、法を実証することはどんなことよりも重要です」と言いました。私は深く恥じ入り、数年にわたって自分がおろそかにしていたのはどれほど重要なことなのかをはっきりと認識しました。
数カ月前、同修の家で用事を済ませて帰ってきた母が昼ご飯も食べないうちに、警官らが押し入り、家財を差し押え始めました。すでに15歳になった私はこのすべてに直面して、小学3年生の時よりはずっと冷静で分別がつくようになりました。私は勇気を奮い起こして警官に真相を伝え、母親がしたことは正しいことだと言いました。警官は私を激しく非難し、私はまだ若いと言い、私の勉強用の資料も奪っていきました。午後、警官らは母を連行し、多くのものを押収していきました。警察に連行されていく直前、母親厳粛な口調で「勉学に励むように!」と私に言いました。母が私にしっかり学法するようにと諭されていると気づき、私は何となく悲しくなりました。「ドスン」というドアの閉まる音とともに、家に残ったのは私だけでした。涙ながら私は急いで『轉法輪』を探しましたが、一冊も見つかりませんでした。
その時、私は母がノートに『轉法輪』を書き写していたことを思い出して探してみたところ、机の隅っこで2冊のノートを見つけました。内容も完全無欠だと分かったとき、私は大喜びして師父に感謝し、黙々と自分にこう言い聞かせました。「大法の子供弟子である私には、法がすべてだ。私たちを救うことができるのは大法だけなのだ」。今回、私は怠けてはならず、母がいなくても必ず精進し続けていくとはっきりと自分に言い聞かせました。
この7年間を振り返り、貴重な機縁によって私は大法の子供弟子になりました。善良で正直な両親を与えて下さった師父に感謝します。交流文章を書くこの初めての機会を借りて、大法および師父が安排して下さったすべてに心から感謝を申し上げます。「大法の子供弟子」を名ばかりのものにしてはならず、私も時間を惜しんで真面目に修煉し、人々を救うために真相を伝え、三つのことを行うべきだと分かっており、この万古の機縁を逃すことなく、法の中で精進し向上していきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』