「自我」は、法を認識することを阻んだ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年4月5日】先日、同修が私のある問題点を指摘しました。 当時の私は、明らかに排斥しているわけではないのですが、真剣に受け止めず、その同修に「それはあなたの個人的な認識であって、法ではありません」と言いました。実際は拒絶反応を起こしてしまいました。私は「私は私なりの法に対する理解があり、自分の理解で法に則って修煉したいのです」と言いました。その時、同修は「法に則って法を認識していないです」と、再度指摘しました。その時、私は、法に則って法を認識するとは何か? 自分は法の中で認識しているのではないかと考え、困惑していました。

 家に帰って坐禅を始めると、突然、自分が間違っていることに気づきました。同修から指摘された問題点について、自分が内に向けて探すべきだと考えました。そして、観念から執着心まで、内に目を向けるようになりました。このようにして、自分はある体系の中で、自分が按排した自分の要求通りに探していることにだんだんと気づきました。そのとき、私の頭はまた空っぽになり「法に則って法を認識するとは何か」ということをまだ理解できませんでした。

 しかし、正念を発していた時に、突然、頭の中に「自我」という言葉が現れてきました。その時点で、私は自分の中に存在する強大な自我をすぐに認識し、自分の修煉において、自分が何をしたいとか、自分が何を行うとか、自分がどのようにするかなど、常に「自我」という個人の意識・観念でことを行っていることがわかりました。その時、私は自分が法を自分の認識通りに固定してしまったことに気付きました。 その時点で「法に則って法を認識していない」ことを理解出来ました。

 その夜、はっきりとした夢を見ました。夢の中で家族が母をベッドから引きずり下ろして、追い出そうとし、それを見た自分は大変な怒りで、家族を恨み、憎々しげに家族を殺そうと思いました。その時に目が覚めました。「なんであんな夢を見たのだろうか?」と思いました。夢の中で、なぜ自分はあんなに恨んでいて、そんなに残酷なのか、現実にはそんなことはないはずです。私は大法に同化するだけで、それらの悪いものは自分ではなく、それらは要りません。しかし、なぜこのような状態が夢に現れたのでしょうか。このように考えていくと、自分の心の中には家族に対する恨みがあり、それが表に出ていないだけだと分かりました。これは、師父が夢を通して私を悟らせ、執着心に気づかせて下さっているのです。

 続いて学法の時に、以下の説法を読みました。「以前の修煉者は執着心を本当に取り除いたのではなく、良くない心と考えを抑え、または抑制しただけです。大法を修煉している弟子だけが真に全ての執着を取り除いています。大法だけがこれをやり遂げることができるのです」 [1]。説法を読んで、私は悟りました。長年来、自分はずっと我慢しており、マイナスの物質を中に抑えていただけで、表に出さないように無理やりに押し込めていたので、それをしっかりと認識せず、取り除いていませんでした。だから自分の利益に関わることにぶつかると、魔性が爆発してしまうのです。

 このように、法の現れを通して、自分自身の問題を認識しただけでなく、修煉の中で新しい理解を得て、いくつかの問題について前向きに考えるようになりました。それと同時に、自分は真に他人のために考える境地に達していないこと、法を正す時期の大法弟子としての責任と使命を果たしていないこと、自身が法の基準に達していないことを実感しました。師父と衆生に対して申し訳ないと思い、今後、師父の慈悲なる救い済度と衆生の期待に応えられるように、自分に厳しく要求することを決意しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国中部法会での説法』

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/26/422557.html)
 
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