幻像に惑わされないように
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2021年4月5日】人間社会は迷いの社会です。目に見える数々のものは、どれがその真の姿で、どれが仮相(幻)なのか、常人の角度では弁別しにくいのです。師父はこのようにおっしゃっています。「真であるか偽であるか、悟りが大事なのです」 [1])

 中国共産党(以下、中共)が法輪大法を迫害し始めて間もなく、私は大法を実証するために北京に行きました。天安門広場で横断幕を広げようとしたとき、2人の私服警官が後ろから横断幕を奪って去りました。振り向くと、身長30センチほどの小人2人がこっちに向かって猛スピードで走ってきているのが見えました。あまりにも不思議だったので、私は黙って彼らを見ていました。

 実際、彼らは私から一歩か二歩しか離れていませんが、いくら走り続けても、私のそばには着くことができません。長く見ていた末、突然、私は「あ、彼らは私を捕まえに来ているのだ」という念が頭を過りました。そう思った途端、2人の小人が一瞬にして私と同じくらいの背丈になって襲いかかり、私を連行しました。

 その後の年月の中で、私はよくこの出来事を思い起こし、その都度「どういうことなのか?」と自問していました。法を学んでいくうち、私は徐々に分かってきました。当時の私は常人の仮相、言わば幻に惑わされたのです。まさに師父のおっしゃる通りです。「あなたの空間の場にあるすべてのものは、あなたの大脳の意識によって支配されています。つまり、天目でものを見る時、心が動ずることなく静かに見れば、真実が見えますが、念が少しでも生じれば、見えたものはすべて幻になります。それがつまり『自分の心より生じる魔』のことで、また『心による変化』とも呼ばれています」 [2]

 最初、何の念も生じていなかった私には、本当に別空間に実在する2人の小人が見えました。空間が違うため、彼らはいくら走っても私のところには来られませんでした。その時、それが師父によるご啓示だと気づいていれば、彼らに捕まえられることはありませんでした。

 その後、私は人間の念が生じて再び常人の空間に戻ったため、すべて心によって変化してしまったのです。人間の念を持つか、正念を持つか、これは人間と神との違いであり、無から有が生まれ、有からも無が生まれるのです。

 師父はこのようにおっしゃっています。「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」 [3] 

 目下の情勢を見て下さい。どれだけ多くの悪い物事が私たちの心によって促成されたのでしょうか! 二十数年も修煉し、多くの風雨を経験してきた私たちは、未だに邪悪による迫害の影を心に抱き、しばしば自分を迫害される立場に置いてしまいます。

 そもそも何も起こらない状況の中で、わざわざ人間の観念、人間の思惟で推理してしまいます。「万が一邪悪が妨害しにきたり、ドアをノックしにきたり、迫害しにきたらどうしよう? どう対処するか?」などと考えてしまいます。これらのネガティブな考えから生まれるものは何でしょうか? 1人がこのように考えていれば大した事ではないかもしれませんが、多くの大法弟子がこのように考えていれば、どのような場を形成してしまうでしょうか?

 師父はこのようにおっしゃっています。「例を挙げて説明しましょう。佛教では人類社会のすべての現象は幻像で、確かなものではないと言っています。どうして幻像なのでしょうか? 確実に存在する物体なのに、どうして幻と言えるのでしょうか? 物体の存在の形と現われた形は違うものです」[2]

 人間社会のすべては大法弟子に関係し、大法弟子の心によって変化しているかもしれません。大法弟子全員が正しい念を持っているならば、邪悪が暴れようとしても難しいでしょう。

 2013年、労働教養所は解体されました。地元のある女性同修は帰宅後、よく地元の派出所から電話を受け、定期的に派出所に出頭し近況を報告するように言われました。その女性同修の夫(修煉者)は、「私も一緒に行く。ちょうどいろいろ尋ねようとしていた。当時、なぜあなたに労働教養を強いて、なぜ私を洗脳班に送ったのか? そして、彼らの行為が法律違反であることを伝えて、法輪功の真実も伝えたい」と言いました。

 この夫(同修)は自分のことを考えておらず、ただ法輪大法が正しく、警官らのやり方が間違いであることを実証したかったのです。警官らが大法の真実を理解して正しい選択をし、良い未来を迎えてほしいと思っただけでした。

 派出所に着いた2人は、派出所の建物がマッチ箱のように小さく見えたことに驚きました。しばらくしてから、やっとすべてが元のサイズに戻りました。2人が中に入った途端、顔見知りということもあり、警官らは不安そうな表情で、この件は自分たちとは無関係だと言いました。同修の要望で彼らの上司と電話がつながると、電話の向こうから「早く帰らせろ! 早く! もう二度と来なくて良いと伝えろ!」と叫ぶ声が聞こえてきました。

 この同修が直面した迫害は本物でした。しかし、大法弟子の正念の威力の下では、それはすぐに壊れてしまう幻に過ぎませんでした。

 師父はこのようにおっしゃっています。「旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません」[3]

 実は、大法弟子が十分な正念を持っているとき、ドアをノックされるのをもっとも恐れているのは邪悪なのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「悟」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/3/422912.html)
 
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