「世界法輪大法デーの原稿募集」について少しの認識
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 文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年4月16日】私が住む地区は県の規模で、多くの同修は、明慧ネットの年2回の原稿募集(法輪大法デーの原稿募集と中国法会の原稿募集)の重要性を認識しています。 毎回、数人の能力のある同修が率先して投稿文章を集め、あるいは同修の口述に基いて代筆で文章を書き上げ、そしてパソコンに入力して明慧ネットに送っています。このことを通して同修たちは秩序のある一体となり、多くの同修が投稿に参加しています。毎年、多くの原稿が明慧ネットで発表され、または明慧特集号に掲載されています。

 原稿を書くことについて、私には以下の僅かな認識があります。

 1、原稿を書くのは巨大な作業工程である

 師父は初期の説法で次のようにおっしゃいました。「あなたの修煉の歴史は、あなたの未来の威徳を樹立する偉大で厳かな法になります」[1]。後に明慧ネットから投稿の通知があり、私はとてもショックを受け、書きたい気持ちはあるが、自分は修煉ができていないと思い、どのように書けばいいのか分かりませんでした。それでも書く努力をして、およそ3、4回目の法会で私の文章が明慧ネットで発表されました。修煉が絶えず向上していくにつれ、ますます投稿の重要性を認識するようになりました。ある同修との交流で、原稿を書くのは巨大な作業工程であり、大法弟子1人1人の修煉過程を書くことができ、一回書けばそれで終わりではなく、書くか書かないかの問題ではないのだと話しました。この同修は私の考えに賛同し、毎回の投稿時期になると、学法グループの同修を励まして、1人残らず投稿に参加するようにしています。そのうち、毎年何篇かが明慧ネットに掲載されています。

 2、原稿を書くことは精進を促すことができる

 私自身が2020年、中国法会の投稿に参加した後、2日後には中断していた二つのプロジェクトを再開させ、しかも素早く精進の状態に達し、多くの人心を取り除くことができました。プロジェクトの中でとても楽しく感じ、同時に自分の容量を拡大させ、忍耐力が大幅に増加しました。私たちの学法グループには小学校の学力しかない同修がいて、しかし心はとても純粋で、毎年二回の投稿通知を受けたときから短期間で1000文字以上の原稿を書き上げ、分からない字は同じ発音の字で代替えして書き、原稿を発送する同修に渡してチェックしてもらっていました。私ははっきりと覚えていますが、今まで彼の原稿三篇が発表されました。驚いたことに投稿したあと彼は怠ける状態から立ち直り、精進して三つことを行うようになったのです。

 3、投稿募集の通知を受けたあとすぐ書き始める

 覚えていますがここ数年、通知を受けたあとの私は、同修に原稿を早く書くように依頼していますが、自分はかえって何の焦りもなく後回しにしていました。今年の投稿通知を受けて雨の日に私は自転車で回りましたが、1人の同修にも出会えませんでした。少し気落ちして、「今日、何の収穫もなく帰るのは、自分の修煉がどこに落ち度があるのか?」と考えました。そして私は突然悟り、これは師父が私にすぐ原稿を書くようにご啓示してくださったのではありませんか? もう引き延ばしてはなりません。同時に自分は自惚れている心があることを見つけ、原稿を書くことがそれほど難しくないと思い、先延ばしにして時間を大切にしてすぐ書くことをしませんでした。これも普段からの修煉を怠り、無駄な時間を浪費したことを反映しています。

 夕方、私はパソコンの前に座り文章を書き始めました。その内容は最近のプロジェクトでの修煉体験ですが、「これは法輪大法デーの原稿募集に関わりがあるだろうか」と考え、しかし何を書けばいいのかを思いつきませんでした。翌日になって異なった状態になり、書きたい思う多くのことが自然と湧いてきて、構想が浮かんだのです。書きたいことが多すぎて一つの文章にまとまらないと分かり、その中からいくつかのエピソードを選んで書き明慧ネットに送りました。自分が原稿を書いた後、同修への原稿依頼がスムーズになりました。

 4、原稿を書くことは心性を高める過程である

 私が同修を訪ねて原稿をお願いするとき、ある同修はため息をついて今回は書くことがないと言い、最近、家族あるいは誰かとトラブルになっていて、心の中のわだかまりが取れず、心性の向上がないと言いました。私は落ち着いて同修の話を聞いた後、その同修と交流し、同修が話したことを法理に照らして自分の認識を話し、そして同修と一緒に一つ一つのトラブルを整理しました。その同修は悟ったあと非常に喜び、重荷を下ろしたように感じたそうです。私は「先ほどの話はとても素晴らしかったですよ」と思い出させ、この同修はそれをテーマにして原稿を書いて投稿したのです。何篇かが明慧ネットの法会以外の時期に発表されました。

 5、積極的に投稿する環境がとても素晴らしい

 数年前、私が参加する学法グループの年配者数人が原稿を書くことを重視せず、書き方が分からない、書く事がないと言っていました。つまり書かなくても大したことは無いということです。他の地区あるいは何千キロも離れた場所から投稿に参加するためにわざわざ戻ってきた同修たちを見て、年配の同修たちは不安に駆られて大声で、「他の人は書いたけど、私たちは書き方が分からないので、どうしましょう?  私たちも師父に解答を提出しなければなりません!  私たちを助けてください」と言ってきました。 そして彼らに口述してもらい、私が文章にして読み聞かせて繰り返して確認したあと明慧ネットに投稿しました。年配の同修たちは投稿に参加できたことをとても喜んでいました。

 6、原稿を書くことは全体の向上につながる

 私たちは、自分たちが担当している地域の同修の一人一人のことを配慮しています。できるだけすべての地域、隅々まで独修状態にある同修を含めて忘れないようにしています。同修たちは原稿集めから原稿の編集まで、または代筆して文章を書くときは、同修と繰り返し確認しなければならず、とても苦労していますが、しかし収穫もこの中にあり、同修たちの明らかな変化を見ることができます。

 田舎で独修状態にある80代の年配者の男性同修がいます。 2018年後半の投稿に参加してから、法の暗記をし始め、今まで数回暗記したそうです。普段から機会を見つけては世人に真相を伝え、身体の状態は以前よりもっと健康になりました。彼の息子夫婦は長年、他の地区で仕事をしており、高齢の同修1人で大きな家を管理し、広大な土地で小麦と大豆を植え、また広大な果樹園の世話をしており、庭はきれいに掃除され、菜園には野菜が元気よく育てられています。 煉功して元気になった彼を見た村人たちは羨ましがって称賛し、彼を困らせるようなことはしていません。

 7、原稿を集める中で共産党文化を取り除く

 今回の投稿募集では、数人の同修が最近いかに魔難を経験したかについて話しました。 私は彼らに次のように言いました。「家がきれいに片付けていないため、邪悪の共産党文化のものがあるのではないでしょうか?  そして、私自身の経験から、邪悪な物をきれいに片付けないと大変なことになります」。 何人かの同修は、家の中に邪悪な物を持っていたので、今回は徹底的に消滅しました。

 8、原稿を依頼するとき、人の観念で同修を判断してはならない

 学法グループは、表向きでは真相伝えが精進していないように見え、原稿募集の通知が出されると、一部の同修はこのグループの同修は書くことが無いのではないかと思っていました。しかし私は彼らに投稿を勧めたとき、彼らが話したエピソードに感動し、このグループの投稿数篇が明慧ネットで発表されました。

 この場を借りて厳粛に同修に提案します。 私たちが書いた原稿が発表されてもされなくても、師父の法身はそれを読まれています。自分が対応する天国の無量の衆生もそれを読んでいます。 私たちはやるべきことをより良く行い、師父に喜んで安心していただき、そして衆生が救われるようにしましょう!

 現在の次元でのわずかな悟りであり、不適切なところがあれば、慈悲を以てご指摘してください。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シンガポール法会での説法』

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/11/423179.html)
 
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