文/孔慶翔
【明慧日本2021年4月28日】(前文に続く)
三、海底建築
1968年、フランスの地質学者グザヴィエ・ル・ピション氏が「大陸プレート説」を提唱しました。地球のプレートは通常、毎年0〜100mm程度で非常にゆっくりと移動しています。つまり、現在の大陸プレートは長い間安定していたということです。
海は、地球面積の約71%を占めています。資金や技術の制約により、現在、人類は海底の5%程度しか探索していません。しかし、各海底で完全な先史時代の建築物が発見されています。
(一)大西洋海域の海底建築物
2001年、カナダの国際探査会社ADC(Advanced Digital Communication)はキューバ政府の委託を受け、キューバのユカタン海峡で石油資源調査を行っていた際、偶然にも海面から650メートルのところで幾何学図形を発見しました。
研究員のゼリツキー氏とポール・ワインツウェイグ氏によると、探査していた場所が海底の平らな砂地であり、平野に突如として現れてきた巨大な建築物を目にしたとき、彼らは衝撃と恐怖を覚えたそうです。
研究員たちは特殊なロボットを使って、深海探査を行いました。探査の結果、約20kmに及ぶ面積に大きな都市が分布していることが分かりました。建物は花崗岩をカットして成形したもので構成され、滑らかな花崗岩の中には、ピラミッド型のものもあれば、丸みを帯びたものもありました。ゼリツキー研究員は取材に訪れたロイター通信に、「本当に構造が奇妙で、大きな都市の中心部のようだ」と語りました。
地質学者を困惑させていたのは、建物に使われている花崗岩が、キューバおよび近海には存在していないことでした。さらに信じられないことは、このような巨大な都市がそのまま、海中650メートルの深さで保存されていたことです。これは、この都市が大地震などの地質的な災害によって海底に沈んだのではないことを示唆しています。
2002年10月27日、日刊紙デイリーニュース(ケンタッキー)は、「水没したキューバの遺跡は人工物の可能性があると、専門家が発表」という記事を掲載し、キューバのハバナ(首都)にある国立自然史博物館の専門家の分析も引用しました。地質学者のマニュエル・イトゥラルデ氏は岩石のサンプルやビデオ、写真を慎重に分析した後、探測された映像の中には極めて珍しいものがあると述べ、「このような図案は見たことがない。一番不可解なのは、それの海底に位置する深さである。地質学的に最も速い速度で沈んでいくとすれば、海中2000フィートに到達するには少なくとも5万年はかかるだろう。しかし、5万年前には、私たちが知っているどの文明においても、これほど複雑な建物を建てる建築能力を有するものはなかった」と付け加えました。
ゼリツキー研究員が記者に語ったところによると、ADCは有人潜水を含むより詳細な海底探査の計画を立てましたが、キューバ政府の許可が得られなかったため、計画を中止せざるを得なかったそうです。
高性能ソナーで作成されたエリアの一部 |
深海ロボットによるスキャンでモデリング化された3D画像
(二)太平洋海域の海底建築物
1986年、潜水士の新嵩喜八郎氏は日本の与那国島の海底(与那国島遺跡)で偶然、人工的な階段状の構造物を発見しました。1992年から、琉球大学海底調査グループと物理地球科学部の研究者によって大規模な調査が行われました。彼は潜水、三次元地形図、水中ロボットなど様々な方法でデータを収集し、競技場、彫像、記念碑、道路、排水溝、居住区などの構造物や、動物のレリーフが彫られた石板、および各種の労働道具を発見しました。建築群は東西約270メートル、南北約120メートル、高さ約26メートルの大きさでした。
緻密な分析の結果、研究員たちはこれは人工的に作られた建築群である可能性が高いという結論に達しました。海底構造物に付着している生物の化石や表面岩石を測定した結果、調査チームは、この構造物は少なくとも1万年の歴史を有していると結論づけました。一方、建物を構成する砂岩は、2000万年前に形成されたものです。
与那国島の遺跡で発見された人類の道具 |
与那国島の海底遺跡の人工建築物
与那国島の海底遺跡の概要図 |
(三)インド洋海域の海底建築物
インド科学技術省は、国立海洋技術研究所NIOTがカンベイ湾の海底で古代文明の遺跡を発見したと発表しました。この遺跡はカンバート湾文化遺跡と呼ばれており、インドの西海岸の20km沖に位置し、長さ約9km、深さ約30~40mです。考古学的には、規則的に配置された家、穀倉、風呂、排水設備、道路、整然と配置された部屋などが発見され、火の痕跡も発見されています。
インド国立地球物理学研究所(NGRI)、ビルバル・サーニ古生物学研究所(BSIP)、およびアーメダバードにある物理学研究所は、炭素14に対する測定を行った結果、カンベイ湾の海底遺跡は9500年前のものであると結論づけました。
インド・カンベイ湾の文化遺跡 |
他にも、イスラエル沖の海底都市アトリットヤム、ギリシャ沖の海底都市パブロペトリなど、多くの海底遺跡が発見されています。それらのいずれにもほぼ完全な都市計画がなされており、人間が生活していた跡が残されています。現在、人類が探索できたのは海底の5%にも満たないため、上記の発見は実際に存在する海底建築の大海の一滴にすぎないでしょう。
(四)その他の海底建築物
先史時代の構造物だけでなく、現在の人類の歴史の中で存在していた都市も海底で発見されています。これらの都市の中には、古代の書物や碑文の中にしか存在せず、人々の記憶からほとんど消えてしまったものもあります。最近、考古学者は歴史的文献の研究および高度な技術設備の助けを借りて、これらの都市の遺跡を蘇らせることができました。
例を挙げるなら、古代ローマの詩人たちが描いていた「贅沢の渦」と「堕落の港」であるバイアエ、性の開放を推奨するイシス邪教の「巡礼地」であるトニス・ヘラクレイオン、「エジプト女王」クレオパトラ7世の宮殿であるアンティルホドス島、「地球上で最も邪悪な都市」として知られる「海賊の都」ジャマイカのポートロイヤルなどがあります。これらの都市はすべて、壊滅的な地震と巨大な津波によって海の底に沈んでしまい、膨大な量の宝石や金貨、美しい彫像、壊れた宮殿などを海の底に残しました。火山灰に覆われた古都ポンペイのように、かつてそこにいた人々は歴史上大きな物質的な豊かさを手に入れましたが、正神への信仰を捨てて欲望と快楽に溺れるようになったため、やがて都市とともに海の底に沈んで行ったのでした。
(続く)