私は大法のためにやってきた(下)
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年5月23日】(前文に続く)

 母と一緒に身柄を拘束される

 大学生になってから、私は母と一緒に学法し資料を配る時間ができるようになりました。大学卒業前、私はちょうど海外への留学の準備をしていたとき、ある日いつものように資料をポスティングしていたところを通報され、私は母とともに警官に不当に身柄を拘束されました。警官らは家から法輪功の書籍、パソコンなどを押収しました。私は1カ月間不当に拘禁されました。

 収容所の中で、私は賭博、窃盗などの犯罪歴のある受刑者たちと同室に拘束されました。今でも覚えていますが、初めてその部屋に入ったとき、部屋の中の人たちから異様な目で見られました。なぜこの若さで入所したのかと聞かれた私が一部始終を説明しても、誰一人として警官や政府の間違いを指摘せず、隣で拘禁されている母が子供の未来を台無しにしたという言い分ばかりでした。

 この日から、明るい性格の私はしゃべらなくなりました。身柄を拘束された夜の情景が何度も脳裏に浮かびあがり、今でも起きたことが信じられません。本来は友達と一緒に卒業に備え、卒業式に出席し、海外への留学を予定していた私は、真・善・忍を信じて法輪功を修煉しているという理由だけで不当に身柄を拘束されているのです。しかしそれでも、私はだんだん気を取り戻し、正念を持てるようになりました。

 毎日昼食の前に、警官の尋問を受けます。名前、年齢、ポスティングの動機、資料はどこから来たのかなどといろんなことを聞かれます。この人たちは有罪にするための証拠を集めているのだと分かっていたので、私は沈黙を保っていました。しかし内心では母の大変さを少しでも受け持ちたいと考えた私は、母が資料を配っているのを知っているのかという質問にだけはいつも、一緒に配っていたと答えました。私はこの話を通じて警官らの良知を呼び起こしたいと思っていましたが、警官らはとにかくあの手この手を尽くして私を有罪にする理由を探していました。私に未来を案じているというときもあれば、お前は社会のくずだというときもあり、さらには5年の実刑にするぞと脅すときもありました。ある日私に指紋を押印するように要求しましたが私はそれを拒みました。私の前に押印した女性の法輪功学習者(以下、学習者)が私の態度を見て、「あなたは本当に素晴らしい。それが正しいです。私は自分が押印したことを後悔した」と言ってくれました。

 毎日このような圧力に直面しながらも、私は冷静でした。警官らが暴言を吐き私を責めても冷静で、警官らがかわいそうだと思うようになりました。全く怖くないと言えばウソになりますが、心の奥底では真理を信じ続ける信念、そして師父に申し訳ないことをしてはならないという気持ちが強かったのです。刑務所のご飯を食べるべきではないと内心で決めた私は食事もできるだけしないようにしていたら、1カ月の間に10キロもやせました。

 収容所での毎日の生活は尋問されトイレ掃除と共産党の洗脳テレビを見続けることでした。ほかのことができないため大変苦しかったのですが、一緒に拘禁された人たちは私のことが大好きで、いつも休憩時間に話をしていました。私はこの時間を見逃さず、三退できるように法輪功への迫害の実態を伝えました。

 その後、師父とほかの同修たちの助けの下で私は保釈されました。今でも覚えていますが、収容所を出たそのとき、「私はまた戻るのだろうか、また強制連行されるのだろうか、母とはいつ会えるのだろうか」と、数えきれない思いが込みあがってきました。

 中国を離れる

 保釈の後、私は学校に卒業証書を交付するように要求しましたが、学校はこれを拒否し、保釈状況が解除されない限り卒業証書を交付できないと言いました。私は学校の校長に対して真相を伝え続けましたが、「あなたはとてもしっかりと自分の考えをお持ちなので、もしかしたら保釈が解除されたら私たちは友人になれるかもしれませんが、現段階では学校が決められるものではない」と言われました。

 この1年間、私の海外への留学計画が頓挫したのみならず、卒業証書がないため実習生として働くこともできず、私のスマホとパソコンはいまだに返却されていません。さらにこの間、地元の洗脳センターの人間は私の父に「娘を洗脳センターで勉強させたほうがいいですよ」と自ら言いに来たので、父は追い返しました。共産党はいかなる法的根拠もなく、目的はただ法輪功を信仰する人を迫害し、法輪功への信仰を放棄させることです。私の母も同じことに直面し、弁護士による無罪弁護を受けて不当な連行であることを主張したにも関わらず3年6カ月の実刑判決を言い渡されました。

 私は初めて中共の司法の理不尽さと暗黒さを目にしました。裁判官はチンピラのように、「お前らは全員刑務所に入れておくべきだ! これでも刑は軽いんだぞ!」と叫び、母の個人弁解を聞きもせず強制的に法廷から連れ出したのです。連れ出されるときに母は「私は無罪です! 信仰に罪はない!」と叫んだのを聞いて、私も後ろから「お母さんのことを誇りに思っています!」と叫びました。これを聞いた警官は私をにらみ、「黙れ、逮捕するぞ」と暴言を吐きました。共産党の司法には道徳という考えはありません。

 母は不当に拘禁されている間、度重なる迫害のため血圧が上昇し、心臓が痛み、肺臓にはうっ血が発見されました。それでも母は釈放されることなく、さらに睡眠を妨害され、他の受刑者から殴られ、家族との面会を禁止されました。

 2015年のある夜、私は師父に見守られる中で海外に来られました。しかし母はまだ刑務所で残酷な迫害に遭っていました。

 母が拘束され、迫害されている間、海外にいる祖母は様々な方法で世界に中共の母への迫害事実を発信し続けてきました。祖母は集会で何度もスピーチし、メディアのインタビューを受けました。フィラデルフィアでは雨だろうと雪だろうと、暑かろうと寒かろうと、常に世界中の観光客に法輪功迫害の資料を手渡す祖母の姿がありました。

 母も監獄から抜け出してから師父のご加護のもとで海外にやってきて、やっと一家全員が再会できました! 私たちはやっと一緒に師父を手伝って法を正すことができるようになりました。

 師父に感謝

 私は物事を覚えるようになってから絵を描くことが好きでした。家のいたるところに私の作品があります。外に遊びにいってもチョークで地面に書いたり、お客様が家に来ても一緒に描いたり、いつも食事を忘れるほど描くことに夢中でした。私は絵がうまいとみんなに言われました。中国の大学で美術を専攻し、今は海外でも美術と関係のある仕事に従事しています。時々私の絵を賞賛する人がいますが、私が最もうれしいのはこのスキルではなく、師父が私にこのスキルを活かして大法のために生かせるチャンスを下さったことです。これは私の願いであり、私と母の願いでもあります。

 私は師父が法を広く伝えられた年の5月に生まれました。私は大法のためにやってきました。

 私の一生は師父に見守られています。私の人生は「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を実証するためにあります。私はこの神聖な大法を何よりも大事にしています。

 大法が広く伝わる29年目の喜ばしい日に際して、師父に対して「師父ありがとうございます! 師父がおられる自分は幸せです」と伝えたいです。

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/20/425899.html)
 
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