文/山東の大法弟子
【明慧日本2025年4月22日】2013年5月4日に明慧編集部が「講演は法を乱す行為」を発表した後も、人心による執着により、私の地域ではいまだに一部の学習者がこの法を乱す小さなグループに迷い込んでいます。彼らはどんな善意の忠告も耳に入れず、更に法を乱す者をかばい、彼らの知恵は覆い隠されてそこから抜け出せなくなっています。以下の現象について同修に注意を促し、真に修め、一刻も早く自らを正し、損失を減らすことを願います。
一、法でなく人に学び 同修を間違った方向へ導く
地元に一人の女性同修がいますが、学法をしっかりとしなかった為、修煉に問題が生じ、旧勢力に隙を突かれて迫害されました。彼女の身体には少なくとも半年以上正常でない状態が続いていました。表面的な症状としては、お腹の腫れと痛み、胸の圧迫感や動悸、身体の不自由により寝たきりになりました。しかし、彼女は勝手に「これは玄関帰位だ」と言い張っていました。つまり玄関帰位のためこの状態が現れたのだ」と解釈していたのです。このような間違った考えと法を乱したのは某氏から来たもので、その人は何度も彼女と交流し、このような判断を下しました。この誤った導きにより、明らかな干渉を否定し取り除くことが出来ず、最終的に入院してしまい、導尿袋をつけるまでになってしまいました。
師父は既に『二〇〇三年元宵節での説法』で次のように説かれました。「新しい学習者以外、師父は99年7月20日以降、いかなる個人修煉の関も皆さんに与えたことがありません。なぜならば、皆さんの個人修煉は全面的に衆生を救い済度し、大法を実証することに切り替えられたからです」
文字通りの意味から私たちは次のように理解すべきです。「もし大法弟子がまだ個人修煉の状態に留まっていれば、旧勢力に干渉される理由を与えることになり、試練や困難は更に大きくなってしまいます。逆に大法弟子が正法修煉の立場に立ち、法を守り衆生を救う立場で正念を発して邪悪を取り除けば、損失を大きく減らすことができるのです」
二、法をむやみに解明し、法を乱し 魔を生む方向へ
法を乱す形には様々あります、学法グループで交流と称して、複数の学法グループで出鱈目な交流を繰り返すという形式もその一つです。ある人はどの学法グループに行っても例外なく法の説明をしたがる癖があり、例えば「他の空間にいる衆生を救い済度を妨害する人を操っている邪悪な生命に真相を伝え、それによって彼らを救う」といった話をします。一部の学習者が学法の基礎がしっかりしておらず、師父の教えを覚えていない為、正邪を見分ける力や智慧を欠いています。
ある時、当時の情勢に応じて、地元の同修たちが全体で協力して発正念を行うためのメモを某氏と関わりのある同修に渡して協力をお願いしたところ拒否されました。理由は「自分たちは他の空間にいる干渉してくる生命に真相を伝え、彼らを救う」というものでした。そのため、この全体の発正念には参加しないということでした。集団での発正念は学習者個人の作成したメモに執着するのは本来すべき姿ではなく、某氏の個人的な修煉状態をうかがい知ることができます。
現在のこの特殊時期では、正しく発正念をすることは、邪悪を取り除き、衆生を救う上で極めて重要です。私たちの正念は必ず法から来るものでなければならず、法に基づいていなければなりません。
魔難の中には自分と無関係なことは一つもありません。邪悪は迫害の為に多くの罠を仕掛けてきます。邪悪な迫害は事に対してではなく、心に対するものであり、その目的は修煉者を破壊させることです。師父は私たちに迫害を全面的に否定するよう教えられています。私たちは法で正しく歩んでこそ迫害を否定することができるのです。
問題点を指摘するのは誰かを責めることが目的ではなく、心から真に法を師とし、依存心を捨て、もっと法を学ぶことができれば、法から外れた現象は私たちから遠ざかって行くのです。
以上は個人的な認識であり、同修のご指摘をお願いします。
「修煉者同士の理性的な交流は、通常、その人の当時の修煉状態における認識であり、善意によるに交流であり、共に向上することを目的としています」