【慶祝513】 風雨の中の屋台の歩み
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月25日】私は路上で屋台を出して営業していますが、10年以上続くとは思いも寄りませんでした。

 十数年前、私は法輪大法を修煉したことで、中国共産党(以下、中共)に迫害されました。その後、迫害を逃れるために、私は全財産をつぎ込んで苦労して経営していた店を余儀なく閉店し、別の都市に移りました。すべてを失い、基本的な生活を維持することも困難でした。出費を抑えるために、野菜や果物を買う時は、売れ残ったり、少し腐ったりしたものばかりを買い、夏の一番安いスイカもなかなか買えませんでした。

 生計を立てるために、私は茹でたトウモロコシや砂糖漬けの山査子(サンザシ:木の実)を売ったり、自転車で街を回って物を売ったりして、ぎりぎりの生活をするしかありませんでした。当時、私の心の中では一つの願望がありました。それは生活ができる収入を得ながら、修煉する時間もある仕事を見つけたかったのです。

 一、屋台の始まり

 ある日、夫が仲の良い隣人と食事をしていた時、隣人は以前に作った台車付きの屋台があるが、使っていないので、私たちに欲しいかと聞きました。実は、私も屋台について考えたことはありました。屋台は夜に出すので、日中は自由な時間があるのです。ただ、経験がない上に、投資や準備が大変なので、自信がありませんでした。

 夫が私に隣人の話を伝えて私は一緒に見に行きました。意外なことに、屋台の設計はとても気に入って、まるで私たちのために作ってくれたかのようでした。こうして、私たちは隣人から屋台をいただき、営むことにしました。

 小さな屋台ですが、私は厳しく食材を選びました。小さな卵や安くて劣化した油を使わず、野菜と肉の鮮度も重視しました。ある時、料理店の店長である知人が、仕入れた肉の値段を教えてくれました。とても安かったので、私も注文してみました。納品された肉を見ると、鮮度が落ちていて、濃い赤色になっていました。やはり品物は値段次第で、私はその肉を返品しました。

 食べ物を作って売るとき、私はいつも少し多めにあげるようにしていて、客が見ていなくても同じでした。ですから、客の中で「いつもすごいボリュームですね」と言う人もいれば、「ほかの屋台では、同じ値段でこのぐらいの量は買えない」と言う人もいました。

 ある時、手にほこりがついたままお金を払う客がいて、肉体労働者であると分かりました。私は一番大きな卵を選び、普段よりさらに多く盛り付けて出しました。些細なことですが、これは長年の大法の修煉で修めた善であり、見返りを求めるとか、評価を得ようと考えていません。屋台を営む中で、このような事はたくさんありました。

 私はいつも客に声をかけて、さまざまな話題を通して、法輪功迫害の実態を伝え、中共の党、青年団、少先隊組織から脱退する「三退」を促しました。たとえば、住宅価格の高騰で、人々は家の奴隷になってしまうことや、教育、医療、住宅は人々にとって三つの大山になっていること、また、老後への不安で人々が苦しんでいるなどを言った後、中共は数十億元を費やしてインターネットのブロクを立ち上げ、いろいろな真相を遮断していると告げました。それから自然に法輪功のことを伝えました。

 二、遠くから来た客

 ある時、1人の女性客が屋台に来ました。食べながら「私はここの人ではありません。ここに住んでいる妹の家に遊びに来ました。妹からあなたの屋台はきれいで、美味しいと聞き、食べに来ました」と言った後、「お願いがあります。あなたに手数料を払って、屋台の経営と料理を学んで、地元に戻って店を開きたいですが、いかがですか?」と私に尋ねました。

 法輪大法を修煉する前に、私は嫉妬心のほかに、自分を守ろうとする気持ちが強く、得意なことを人に教えるなんてあり得ませんでした。修煉した後、これはとても良くない心で、捨てなければならないと分かりました。私は、ここに来る人は、みな大法の真実を聞きに来た者で、人を救うことは何よりも大事だと思いました。

 私はすぐに「いいわよ、手数料なんか要りません」と応じました。逆に、彼女の方が少し驚いた様子でした。私は「実は、それほど難しいことでもないので、少し教えれば簡単に覚えることができます。確かに、競争が激しい商売の中で、人々はライバル意識があり、普通は安易に人に教えないでしょう。私は法輪大法の修煉者ですので、そのような考えはありません」と言いました。

 続けて私は「法輪大法をご存知ですか? テレビで放送した天安門焼身自殺事件は、中共による偽りの宣伝で、真っ赤な嘘です。それを信じないてください。私も修煉していなかったら、お金をもらっても全部教えないかもしれません」と言いました。女性はうなずきながら聞いていました。私はさらに法輪功迫害の実態を伝え、なぜ「三退」する必要があるかを説明しました。最後に「美蓮」という名前をつけて、女性を共青団から脱退させました。

 私は彼女に「危機の時に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えてください。無事で安全になります」と伝え、女性は真剣に聞いていました。最後、女性は「『美蓮』、本当に良い名前ですね」と言いながら、嬉しそうに屋台を去りました。女性は今度学びに来ると言いましたが、その後も来ませんでした。私は彼女が真相を聞きに来たと分かっています。

 三、足を怪我した後

 師父は「大法弟子はなんと言っても修煉の人であり、わたし達は常人の社会政治団体ではなく、修煉の集団であり、神を修めているので、必ず神にまつわる奇跡が存在しています」[1]と説かれました。

 ある日、午後4時過ぎ、私が屋台を出たところに、酔っ払った男2人がやってきました。彼らは私の屋台から3〜4メートル離れた地面に座り込み、酒を飲みながら騒いでいました。突然、そのうちの1人がビール瓶を持ち上げて地面にたたきつけました。一瞬にして、ビール瓶のガラスの破片があちこちに飛び散りました。

 当時、私は何の防備もせずに屋台の周りの地面を掃除していて、逃げようとしても間に合いませんでした。7月だったので、ショートパンツをはいていて、ふくらはぎが露出していました。ガラスの破片は私の右のふくらはぎに当たり、血が噴き出してしまいました。痛みは感ぜず、手で傷口を押さえましたが、血がとめどなく流れました。

 私は落ち着いていました。現場にいた人が救急センターに電話をかけ、救急車を呼んでくれました。私は「大丈夫、病院なんか行かない」と思いましたが、傷は縫い合わせる必要があるので、病院に行って縫い合わせた後に戻ろうと決めました。側にいた夫は驚きのあまり、ボーとしていました。私は夫に「傷を縫い合わせてから戻って来るから、ここで待っていてね」と言って、救急車に搬送されました。

 病院で処置する時、医者は傷の中からガラスの破片を見つけ、何カ所もあったため、手術して取り出すしかありませんでした。すぐに手術が行われ、3時間以上続きました。手術室を出たときはすでに夜の10時過ぎでした。傷口は約10センチで、全部で15針縫いました。

 医者は私に「ふくらはぎの腱が切れていて傷口も深かったので、縫合わせた後、腱に負担がかからないように石膏を塗りました。腱が回復しないうちに力を加えると、縫合された腱が再び切れる可能性があり、2回目の手術が必要になります。そうなると、本人は苦しくなるし、費用もかかります」と告げました。医者は私に1カ月間歩かないようにして、歩かなければならない場合は、杖を使って足に力を加えないようにと注意しました。医者はまた、「傷はあと0.5センチで神経に触るところでした。神経に触れると、一生身体に障害が残ってしまいます」と言いました。

 医者に最低15日間、縫い目を取り除くまで入院する必要があると言われましたが、私は3日目の午前中に退院し、タクシーで家に帰りました。また、1カ月間歩かないようにと言われましたが、家に帰った翌日に石膏を取り除き、その日の朝から煉功を始めました。退院後、私は点滴注射を受けたことも、抗炎症薬を服用しませんでした。猛暑日で、毎日の気温は30度ぐらいでしたが、傷口が炎症を起こしたり、赤くなったり、腫れたりすることもなく、だんだんと乾いてかさぶたが出来ました。ふつうの人にとって、信じられないことなのですが、これこそ大法が現れた奇跡なのです。

 私はある女性客に、怪我した足が治った事を話しました。すると、彼女は「私もかつて車にひかれたことがあり、医者に1カ月間歩かないように言われました。そのため、私はまる1カ月間ベッドから離れず、尿も排便もすべて夫と娘に世話してもらいました」と言いました。当時、私は怪我からまだ1カ月経っていないのに、普通に歩けるようになりました。彼女は1年近く経っても少し足を引きずっていました。彼女は私に「歩いて見せて」と頼み、最後は「本当に奇跡ですね!」と感心していました。

 1カ月間歩いてはいけないと言われた私は、10日目に屋台を出し始めました。15日目、私は縫い目を取り除くためにタクシーで病院に行きました。医者は普通に歩く私を見て、とても驚き、「杖も使わずに1人で来ましたか? 足に負担をかけて傷が開いたら、大変なことになりますよ!」と注意しました。「私は法輪大法の修煉をしていますので、大丈夫です」と説明しても、医者は信じようともせず、繰り返しその深刻さを強調しました。

 1カ月後、私はバスに乗って、再び病院に行って再検査を受けました。男性の主治医に「相手からいくら賠償金を払ってもらいましたか?」と聞かれ、私は「大法の修煉者なので、相手に賠償金を請求しませんでした」と言いました。私は主治医に大法に関するUSBドライブを渡しましたが、主治医は理解できない表情で、受け取ろうとしませんでした。

 今回、主治医は私の足の状態を診て、これほど早く快復するとは想像もつかず、目の前の奇跡に感心したようでした。私は大法の素晴らしさを伝え、再びUSBドライブを差しだすと、今度、主治医は素直に受け取りました。

 怪我から回復して屋台を出す私を見て、客たちはみな「いくら賠償金をもらったのですか?」と興味を持っていました。「賠償金は求めていません」と答えると、みな驚きました。私は客たちに「法輪大法を修煉していなかったら、私はこのように対応ができなかったと思います」と言い、大法の素晴らしさを伝えました。

 その中の、1人の男性客は物珍しげな顔をして私の前に来て、「え? どうして請求しなかったんですか? 体にも商売にも多大な損失が出たわけでしょう? お金をゆすらなくても、あなたの損失を相手が賠償するのは当然でしょう?」と尋ねました。それを聞いて、私は1冊の法輪功の資料を出して「読んでみれば分かります」と言って、彼に渡しました。私の対応に理解できないところもあったようですが、法輪大法の修煉者はどんな人なのか、彼は少し分かったようでした。

 現在のような利益を求める社会で、人々はまだこのような良い人がいるとは、信じられないし、想像できないかもしれません。私は法輪大法を修煉しており、大法の師父は私たちに、どんな時にも人のことを先に考える良い人、さらに良い人になるようにと教えてくださいました。

 私を怪我させた加害者にも「このような対応ができたのは、大法を修煉したからです」と言いました。このような素晴らしい法輪大法が、現在、中共によって迫害されている実態を伝えた上で資料を渡しました。真実が分かったその家族は、是非にと自分達の畑でとれた野菜を持って来てくれました。娘が家の前で野菜を受け取る時、相手の家族は娘に「あなたのお母さんは一番偉いお母さんです。本当に素晴らしい人ですね!」と感謝しました。

 四、何度も休業しそうになった屋台

 風雨の中で、私の屋台は何度も止めさせられそうになりました。しかし、師父の慈悲なる保護の下で、今日まで無事に歩んで来られました。

 数年前、地元の「610弁公室」はいつも私の行方を探していて、私を連行すると家族に圧力をかけました。そのため、家族は私の身の安全に心配し、屋台をやめて現地を離れるように勧めました。ある日、私は警察に連行され、持っていた家の鍵を奪われて不当に家宅捜索されました。その後、不当に拘束され、私は今度こそ屋台を休業せざるを得ないと思いました。しかし、予想もしませんでしたが、夫は私の代わりに屋台を続けました。

 夫は糖尿病、高血圧、脳梗塞を患っていて、特に反応が鈍い症状が目立っていました。たとえば、目の前にあるものが見つからないとか、寒暖によって服を調節することが分からないなどです。以前は突然はっきり話せなくなり、訳の分からない言葉を言うこともありました。その後、私は毎日夫と一緒に『轉法輪』を少しずつ読むことにし、1カ月あまりで徐々に回復しました。

 屋台の仕事で、夫は客の持ち帰り用の袋詰めもうまくできなかったので、今までほとんど夫に頼りませんでした。しかし、私が不当に監禁された1カ月余りの間に、夫はきちんと屋台の経営を続けました。もちろん、姉の支えもありましたが、それにしても、夫にとっては奇跡でした。

 今回、私が迫害された中で、夫は目覚めたようにしっかりするようになりました。拘置場から家に戻った後、夫は秘密の場所から1冊の『轉法輪』を私の目の前に持って来て、「ほら、あなたが家で読めるように、俺はこの1冊を隠して置いた。残りは全部ほかの場所に隠している」と告げました。夫の善行は福に報われました。

 心血管疾患や脳血管疾患は、現代医学では克服できない難しい課題であり、発症せずに状態を維持するだけでも良いことで、完全に治すことはほぼ不可能です。今の夫を見て、義理の兄は「意外にも、弟はここ数年で良く快復し、昔よりも元気になった」と言いました。あとで、夫は「大法の師父が俺を守ってくださったと言うのを忘れた。今度兄に会ったら必ず言っておく」と残念そうに言いました。

 五、屋台の車を変える

 私の屋台は何度もレベルアップしてきました。初めは人から譲ってもらったものから、その後、私はそれより大きなものを注文して作ってもらいました。現在、さらに大型で、密閉式のキッチンカーに変えました。それ以来、雨や風の心配がなくなりました。

 ところが、私が新しい車に変えて間もなく、隣の屋台の経営者は、私のよりも大きくて、性能の良いキッチンカーを購入し、私の車の前に止めて営業するようになりました。

 最初はとても不快に感じました。しかし、冷静になって「私は何をしているのか? 人と争っているのではないか? それでも修煉者だと言えるのか? 些細な事にも不平不満を感じているのか?」と自分を問い詰めました。これほど良くない心を持っている自分を恥ずかしく思いました。私は自分の間違いを見つけ、心を正すことで落ち着きを感じました。

 しかし、私はどこまで心を放下したのか、それを試すかのように試練がやってきました。「あなたの車はあまりにも後ろに置かれてるよ」と言う人に、私は「大丈夫です。どこでも同じです」と淡々と言いました。さらに、私に「前の車はあなたの車を完全に遮っていて、われわれから見ても不公平だと思うわ」と言う客もいました。そんな人たちに私は「私のお金なら、誰もそれを止めることはできません」と笑って言いました。

 確かに、現在、各業種の経営は厳しくなりつつ、特にコロナが発生してから、なおさら深刻になっています。コロナのため、地域が封鎖され、周囲の経営者たちは皆、感染を恐れて休業しました。隣の屋台の経営状態も落ちたので休業してしまいました。そんな中、私の屋台だけはあまり影響を受けず、逆にどんどん伸びていき、今までずっと続けています。「感染するのが怖くないのですか?」と聞かれましたが、私は「疫病には目があり、皆神様に支配されているのです」と答えました。そして、この話題を通して大法のことを伝えたり、疫病情勢の真実に関する2次元コードを配ったりしました。

 実は、私の屋台の場所は繫華街でも通りでもなく、人口密度の低いコミュニティの近くにあります。しかも、大規模建設で、周囲の住民を立ち退かせています。私の屋台の客はほとんど常連客で、わざわざ回り道をして来る人もたくさんいます。最近は車を持つ人が多くなり、車で屋台を訪れる客も多くいるので、屋台の前を行き来する車も多くなっています。

 浮き沈みの中で、私の屋台は10年以上私に付き添ってくれました。風に吹かれても雨に降られても、私が迫害され、連行されて家に帰れない時期でも、屋台はつぶれることなく、師父の慈悲なる保護の下で、今日まで頑張ってきました。私もかつての困窮状態から、屋台のおかげで、今は経済的に大きく改善されました。最初、私は迫害を恐れて自分のことを言えませんでしたが、今は「私は法輪大法の修煉者です」と正々堂々に告げることができるようになりました。

 私は困窮と迫害に負けず、見失うことがなかった自分を嬉しく思います。師父の御恩をいただき、感謝の気持ちは言葉では言い表わす事が出来ません。ここで、私は人々が大法の真相を知り、法輪大法の素晴らしさを体験できることを望んでいます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「2004年米国西部法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/19/425776.html)
 
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