悪の 「ゼロ行動」をクリアする
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2021年5月26日】少し前、携帯電話の電源を入れると、派出所からの「不在着信」が4件表示されていました(以前にも警官から電話や嫌がらせを受けたことがあるので、番号は覚えていた)。その時、私はとても複雑な気持ちで、正確には恐怖ではなく、少し無力感もありました。というのも、私は何度も連行されたり、拘禁されたりしていたからです。過去の状況からすると、これは連行の前兆だったのです。

 私は心の中で師父に、「師父、弟子はどうすればいいですか? 折り返して電話したほうがいいですか?」と尋ねました。突然、ある念が私を襲ったので、私はそれに従い、精一杯、心の中で旧勢力に向かって「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます」[1]と叫んでいました。

 すると、「カチーン」という大きな音がして、大きな山が裂けたように、全く師父のおっしゃった通りでした。「正念が強ければ、本当に神のように山を切り裂くほどの力を持ち、一念で山を切り裂いてしまい、そのとき旧勢力はまだ何ができるのでしょうか?」[2]

 すると、自分の空間場の暗い人の形が消えたような気がしました。 それは「恐れる心」ではないかと思いました。天目が閉じていても、その感覚はあまりにもリアルでした。

 その後、警官から電話がかかってくることはありませんでした。師父は私にこの悪を「ゼロにする」力を与えてくださいました。

 長年、迫害を認めて戦ってきましたが、自分では気づいていませんでした。 例えば、明慧ネットの記事で同修が迫害されているのを見たら、「自分がその立場だったら、どうするか」と考えると思います。悪がどんな迫害を準備しているかという情報を聞くと、「悪を前にして私なら何をどう言うだろう」と考えます。 一見、迫害に反対するように見えるこの動きは、実は迫害を認めているのです。迫害の情報を見たり聞いたりしたときに、なぜ最初の機会に迫害を否定しないのでしょうか?

 いわゆる「ポルノ取り締まり」、「ドアノック」作戦、「ゼロ行動」など、大法弟子はこれらと何の関係があるのでしょうか?

 「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めない……」[1]のです。私は旧勢力の支配下にはないと考えれば、自宅のドアを、まだノックする勇気がありますか? それでもあえて嫌がらせの電話をかけるのですか? 私たちを連行しようとするのですか? あえて違法な判決を下すことができるのですか?

 以上、個人的な体験なので、次元が限られています、適当でない所があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/3/424127.html)
 
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