頑固な党文化に気づいて、それを取り除く(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年3月7日】(前文に続く)

 翌日、同修Mさんは私に、「娘は一晩中、驚きで魂が飛び散ったような感覚を克服できなかったので、今日、私と一緒に昨日学んだ法をもう一度最初から学びました」と話してくれました。

 私は彼女が率直に自分の気持ちを話してくれたことにとても感謝しています。この娘さんの気持ちを聞いて、「言葉の矢」という言葉が頭に浮かびました。この出来事は私に重大な気づきを与え、私は長い間考え続けました。私は自分の言葉のどこに問題があったのかを解明しようとしました。長い時間をかけて、私はようやくわかりました。表面上、私は穏やかな口調でただ注意を促しただけのように見えましたが、その裏には私が当たり前のように身につけてしまっていた党文化が隠れていました。その本質は偽り、悪、闘争であり、冷酷さ、悪意、凶暴さとして現れ、常に人を傷つけ、害を与えていたのです! 私はついに、自分がこのようなやり方で多くの人々を傷つけていたことに気づきました。

 私は同修Mさんと長年一緒にいますが、彼女は何度も私に、私の話し方が彼女だけでなく、他のすべての人をも不快にさせていると話していました。Mさんはまた、何度か私に、人はまず善良であるべきだというようなことを言いました。私は自分の本質は善良であると常に思っていたので、彼女が私にこれらのことを言うのは余計なことではないかと私は不思議に思いました。Mさんの娘のこの出来事を通して、私は自分が党文化によってどれほど深く毒されていたかに気づきました。私は二度と自分自身を緩めることをせず、常に自分の考えを観察し、自分の言葉や行動に注意を払うようにしました。しばらくして、「共産党についての九つの論評」などの本を読む時間を設け、同時に伝統文化の中で人々がどのように考え、行動したかをより多く理解するように注意し、常に自分自身を正しています。

 「自分を基準にする」と「他人をいい加減に扱う」

 ある時、同修と交流していた際、私の交流がAさんに遮られました。私は心の中で戸惑いました。私が話していた内容は、まさにAさんが交流したがる問題だったからです。それなのに、彼は私の話を遮ったのです。私は辛抱強くAさんや他の同修の話をしばらく聞いていましたが、心の中で「彼は理解できなかったのだろうか? 実は私が話していたことは、彼が関心を持っている問題そのものなのに」と思いました。そこで、私は皆の話題を元に戻し、先程の自分の話題を続けました。他の同修たちも、なぜAさんが私を遮ったのか理解できないと言いました。Aさんは、体をゆっくりと私から少し背けるように向きを変え、少し落ち着かない様子でした。

 私が他の同修の話を遮って自分の話を続けた時、ふと師父の写真を見上げました。師父の表情は厳しかったのです。しかし、私が先程この部屋に入った時は、師父は微笑んでおられました。私は自分が何か間違ったことをしたかもしれないと気づきました。私は今回の交流でなぜこのような状況になったのか、一体どこが良くなかったのかを考えました。翌日、家事をしながら明慧ラジオの交流文章を聞いていた時、ふと「自分を基準にする」という言葉が聞こえました。私はこの言葉にハッとして、「ああ、昨日の私の行動はまさに『自分を基準にする』ことだったんだ」とすぐにわかりました。私は師父の配慮の素晴らしさに驚きました。師父は、自分自身を修めたいという私の気持ちを分かってくださり、翌日ラジオで同修の交流を通して私の問題点を指摘してくださったのです。

 その文章には、「善悪や是非を判断する基準がひどく歪んでしまっているため、習慣的に他人をいい加減に扱うようになった」とも書かれていました。私はすぐに自分の問題と照らし合わせました。「他人をいい加減に扱う!」私が話題を再び奪い返した行為が、いかに失礼なことであったか、その結果、同修が知らず知らずのうちに体を背けたのは、おそらくその時非常に居心地が悪かったからでしょう。他人を尊重しない、独り善がり、高圧的、他人を理解しない、他人の気持ちを顧みないという自分の党文化の現れに気づきました。

 以前の私は、自分が快適かどうかしか知りませんでした。もし自分が不快になると、他人を恨んだり、非難したりして、自分の不快は他人が引き起こしたのだと言い張っていました。師父は「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」(『轉法輪』)と説かれています。以前、私はこの箇所を読むたびに、自分には難しすぎると感じていました。今回、私はついに他人の気持ちを理解できたことが嬉しく、まるでいつも先生の授業を理解できず、成績が悪かった愚かな子供のようだったと感じました。

 現代の変異した観念を取り除いてこそ、真の善良さを本当に理解できる

 私と同修Mさんは、私たちお互いの違いについてよく話し合います。私は学生時代からずっと努力家で勉強が好きだったため、よく褒められたり表彰されたりしました。私は心の中で自分を知的階級の人間だと思い、知的階級は社会の良心であり、人類社会のために多くの貢献をしなければならないと考えていました。そして、それによって自分はとても高尚で清らかで自慢すべきだと思っていました。Mさんは幼い頃から周りに修道する親戚がいたため、ずっと修煉に憧れていました。このような対比によって、私は異なる観念の下で思考方法の違いを観察することができ、無神論や実証科学の観念が私の思想の中にまだ潜在的に存在し、私が真に真・善・忍の大法に同化するのを妨げていることに気づきました。

 数年前、地元の同修が不当に連行され、罪に陥れられました。私たちは弁護士を雇い、同修の救出に協力しました。私たちは弁護士と食事をしながら事件について話していました。話し始めてすぐに、弁護士は私に役職があるのかどうかをしつこく尋ねてきました。彼は私が役職を持っている人間だと決めつけていたのです。私は不思議に思いました。私は学生時代に生徒会の役員を務めたことはありますが、就職してからは一度も役職に就いたことはありません。なぜ弁護士がそう思ったのか分かりませんでした。弁護士は明らかに私より年上でしたが、私を「お姉さん」と呼び続けました。そして、彼を別の場所へ送る道中、彼は私を褒め続けました。私が彼に、褒められるたびにとても慎重になり、どこか間違っているのではないかと反省していると伝えたところ、弁護士は悟りが良く、すぐに態度を変え、私たちとの交流もずっと率直になり、私を「妹」と見なすようになりました。

 少し前に、同修の傲慢さについての体験文章を読み、私はすぐに自分の言動と照らし合わせました。そして、当時の弁護士が私の隠された傲慢さ、党文化の中の尊大な態度を見抜いていたに違いないと、急に理解しました。また、2年前に起こった出来事も思い出しました。2年前、邪悪がいわゆる「ゼロ行動」と称して嫌がらせをしていた際、職場のリーダーも邪悪の指示を受けて私にプレッシャーをかけてきました。私は恐れず、確固たる正念を持ちました。その過程で、職場のリーダーはずっと私に丁寧に接してくれました。私が彼に真相を伝えた時も、彼はいつも静かに聞いてくれました。すべての会話は順調に進んでいるように見え、最終的な結果も良好でした。しかし、ある時、彼は突然「あなただけが正しくて、他の人はみんな間違っている!」と言いました。後で私は、なぜ彼がそんなことを言ったのか不思議に思いました。今回、私はやっと理解しました。当時、私が職場のリーダーと話していた時、表面上は穏やかで友好的な態度を示していましたが、内面には自己を証明し、疑うことを許さないという態度があったのです。

 私は自分の党文化の要素を取り除くために発正念をし、師父の説法「謙虚でいてはじめて、よく行なうことができるのです」(『精進要旨』「いかに輔導するか」)を繰り返し暗唱し、常に自分を低く置くように心がけています。

 私は、自分のわずかな進歩にも、師父の数え切れないほどの心血が注ぎ込まれていることを深く実感しています。わずかな向上にも、師父の非常に細やかな手配と示唆があり、それは言葉では言い表せないものであり、書けることは実際の過程の万分の一にも及びません。

 弟子の尽きることのない感謝は、ただ一言に集約されます。師父、ありがとうございます!

 (終わり)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/25/485551.html
 
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