党文化を取り除く
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本20024年12月28日】私はこれまで、自分には党文化の影響はあまりなく、嫉妬心もないと思っていました。しかし、ここ数年である同修とのトラブルが目立つようになり、内に向けて絶えず探した結果、すべて党文化が原因であることに気づきました。私は幼少期から学生時代、仕事、家庭と三つの環境を行き来する生活を送っており、社会との接触がほとんどありませんでした。幼い頃から植え付けられてきたのは党文化であり、周囲の環境も党文化一色でした。そのため、伝統的な礼儀や文化を学ぶ機会がなく、私の頭の中には党文化の要素が詰まっていました。それが自然と行動にも表れていたのです。以前は党文化を取り除くことの重要性をあまり重視しておらず、その影響が思考の中で時折現れて行動に反映されていたことに気づきませんでした。

 例えば、私は三退(共産党からの脱退)をさせた人数が比較的多く、帰宅後に同修と喜びを分かち合い、「今日は何十人、昨日は何十人」と話していました。しかし、同修の中にはそれをあまり好ましく思わない人もいて、「あなたには顕示心がある」と言われることもありました。私は「たくさん三退させるのは良いことではないのか? どうして同修は喜んでくれないのだろう?」と思っていました。そして、自分は師父が話された海外の満点を取った子供のように、単純な性格で、思ったことをそのまま口にするタイプだと考えていました。三退の人数も師父の慈悲のおかげなのだから、自分が顕示することなど何もないと思っていたのです。

 しかし、学法を通じて気づいたのは、物事の表面的な善悪ではなく、他人の感情に配慮していなかったということです。同修は三つのことを頻繁に行うわけではなく、時折数人を三退させる程度です。そんな中で、私が毎日のように「今日は何人、昨日は何人」と話してしまうと、無意識のうちに同修にプレッシャーを与えてしまっていました。これは、党文化に由来する自慢や自己顕示欲の現れでした。そもそも「師父が行ってくださったこと」と理解しているのに、どうして自分を強調する必要があるのでしょうか? これは、自分を実証したいという心や顕示心、さらには歓喜心の表れそのものです。そして、こうした心が自然に現れるほど根深く、自分でも気づけない状態になっていました。同時に「口を修める」問題も存在していました。一つの出来事を通して、どれほど多くの人心や執着心が露わになったことでしょうか!

 最初、同修に「顕示心がある」と指摘されたとき、私は納得できませんでした。しかし、その後、師父が同修を通じて私に気づかせるための状況を演じさせてくださり、ようやく理解しました。ある同修が私に、「自分は携帯電話でPDF形式の大法の経文を読む際、小さな文字のままでも読める」と話してくれました。その文字は非常に小さいものでしたが、彼は拡大せずに読めると言うのです。私は口では何も言いませんでしたが、心の中では少し反感を覚え、「顕示心があるのではないか」と感じていました。しかし、よく考えると、私自身も他の同修に同じような話をしたことがあり、そのときは何の違和感も感じていなかったのです。

 実際、これらは全て顕示心の現れです。例えば、自分が三退させた人数や法を暗記する進度などを話すことも同様です。なぜなら、それらは他の同修には簡単には達成できないことだからです。そして、そうした話をする際の出発点や目的は、同修のためを思ってではありません。真相を伝える際には相手の受け入れやすさに配慮する必要がありますが、同修に対してはなぜその感情を考慮しなかったのでしょうか? これは、自分中心的な考え方、つまり自我の表れでもあります。自分の喜びを共有することに集中し、同修の立場から物事を考えていなかったのです。ここには、さらに「分別心」という問題もあります。同修を他人ではないと見なして、どんなことでも話してしまい、常人に対しては少し距離を置くような態度を取っていたのです。しかし、実際には口にする言葉全てが他人にとって有益であるかどうかを考える必要があります。それは常人に対してだけでなく、同修に対しても同じです。「口を修める」とは単に話し方の問題に限らず、心性そのものに関わる問題であることに気づきました。

 修煉を始める前から、私はずっと一つの悩みを抱えていました。それは、小さい頃から他人の嫉妬の中で育ってきたということです。なぜそんな状況に陥るのか、自分でも分かりませんでした。ある日、ネットで同修が書いていた文章を読み、「大智若愚(知恵がありながら謙虚である)」の反対語が「鋒芒を露(あらわ)にし、才能を誇示すること」だと知り、それがまさに私自身の実態を表していると感じました。

 私は伝統文化に疎く、内に秘めるという美徳を知らず、何事も顔に出してしまう性格でした。それに加えて、能力や長所が際立っていたため、自分に対する優越感や傲慢さを無意識に養ってしまいました。このような性格は修煉においても顕著に表れました。正念はあるものの、ときには一部の同修から非難を受けることがありました。

 邪悪な迫害には耐えられても、同修間のトラブルは本当に心に深く刻まれるほど辛いものでした。このようなトラブルの原因は、実は自分自身にあったのです。それは、私自身の中に根付いた党文化の影響でした。私が何かを誇示すると、同修がそれを気に入らず、「執着がある」と指摘されることがありました。それは一見すると同修の嫉妬のように見えましたが、実際には私自身の空間場が清らかではなかったために、トラブルが生じていたのです。ようやく私はその原因が党文化にあると気づきました。この気づきを通じて、これからはもっと内に秘めた謙虚な修煉を目指していきたいと思います。

 骨身に染みるような心の痛みを伴う矛盾の中で、私は徐々に自分の執着を認識するようになりました。私は幼い頃から順境の中で育ち、常に称賛の言葉を多く耳にしてきました。修煉を始めた後も同様で、たとえ黒い牢獄の中にいても、正念を保ち、のびのびとした心境でいられたため、よく同修たちの羨望の的になっていました。しかし、突然同修から自分が全否定されるような言葉を受けたときは、本当に受け入れがたかったのです。

 私は、良いことを聞きたいという心、物事の表面的な正しさや誤りに執着する心、不当な扱いや理不尽なことに耐えたくないという心を持っていました。しかし、修煉の道では、物事の表面で正しいかどうかを論じること自体が間違っているのです。修煉者が追求するのは心性の向上です。私はようやく気づきました。家庭や社会にトラブルがなかったら、どうやって心性を高めることができるでしょうか? 同修同士が心性を高め合い、業力を削減することこそが修煉の過程であり、それ自体が良いことなのです。私たちが出会うすべての出来事は、心性を向上させるための貴重な機会であり、それは師父が心を砕いて私たちのために用意してくださったものです。それを私が受け入れられないのは、師父の教えを守らず、その通りに行動しなかったからではないでしょうか? 私は突然、「良いことも悪いことも、すべては良いことである」という道理を悟りました。その瞬間、心が一気に晴れ渡り、同修たちが私に与えてくれた助けに深く感謝しました。そして、私の心もより安定し、穏やかになりました。

 党文化の最も顕著な特徴は「憎しみ」であり、理由もなく人を憎む心です。私は幼い頃から善良な性格で、これまで誰かと激しく口論したことなど一度もありません。修煉を始めてからは、さらに人間的に生まれ変わるような変化を経験しました。しかし、共産邪霊の「憎しみ」という思想は、知らず知らずのうちに誰の心にも植え付けられているのです。

 十数年前のことですが、近所の同修の一人が夫を亡くした後に再婚しました。その同修は、私がこのような出来事に強い拒否感を持っているのを知っていたため、再婚の事実を私に伝えなかったのです。しかし、その後、彼女の再婚の話題が出るたびに、私はどうしようもなく腹立たしく感じました。「もう50歳にもなるのに再婚なんて」と思い、彼女をまるで期待外れに感じるような苛立ちを抱えていました。これが何故なのか自分でも分からず、「彼女のためを思ってのことだ」と自分に言い聞かせていましたが、再婚の話題が出るたびに心の中に「憎しみ」が湧き上がるのです。

 自分の心境が間違っていると感じてはいたので、できるだけ抑えるよう努めましたが、当時はこれが党文化の影響だとは理解していませんでした。それから数年後、その同修に再会したとき、彼女の姿は以前とはまるで別人のようでした。体が老化し、三つのこと(学法、煉功、真相を伝えること)も何一つできない状況でした。私は彼女を本当に気の毒に感じ、深い同情の念が湧きました。そして、共産邪霊の「憎しみ」の要素が、私と同修の慈悲深い交流を妨げていたのだとようやく気付いたのです。これを認識したことで、憎しみの物質は消え去り、その後、心の中に「憎しみ」が現れることは一切なくなりました。

 党文化はまた、「鋭く人を批判する」、「傲慢で謙虚さがない」、「目立ちたがり」、「大袈裟な発言」、「物事を断言しすぎて余地を残さない」といった形でも表れます。私自身もこうした影響を受けており、これらを一掃するために、大法を用いて自分の一念一念を修正し、党文化の毒素を完全に取り除いていきたいと考えています。また、同修たちの無私の助けにも心から感謝しています。

 現在の自分の浅い認識ですが、法にそぐわない部分があれば、どうか慈悲をもってご指摘いただけますようお願い申し上げます。

 合掌

 
翻訳原文(中国語): https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/5/485600.html
 
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