文/ロシアの大法弟子
【明慧日本2025年4月27日】私は最近、心性に関して困難な試練を経験しました。その時の体験を皆さんと共有したいと思います。
私は小学校で予備教員および体育教員を務めており、すでに1年が経ちました。私の努力は保護者から高く評価され、子どもたちも授業やクラスに満足しています。何より重要なのは、学生たちの学業が非常に大きく進歩したことです。
最初の頃、学校の管理者は私の仕事に非常に満足していました。彼らはより多くの生徒を引きつけるための入学キャンペーンを開始し、私たちの活動を撮影した動画をソーシャルメディアに投稿しました。その時、私は成功の喜びを感じ、すべて簡単に成功できると思いました。他の小学校のクラスと自分の未就学クラスを比較しながら、同僚に「私の生徒たちはなんて賢いんだろう」と話すこともありました。また、ソーシャルメディアに投稿された自分の動画を見ては、自分を少し誇らしく思い、次第に慢心していきました。しかし、修煉者として、褒め言葉は試練であり、危険でもあることを法から学んでいます。自分に自惚れの心があると気づいたとき、私はスマートフォンからアプリを削除し、自分のインタビュー動画を見ないようにしました。自惚れやおごりをできるだけ避け、名誉や利益への執着、見せびらかしたいという心を取り除く努力をしたいと思ったからです。
ところが、突然、学校の管理者は私を褒めなくなり、代わりに私から見れば些細なことについて不満を言うようになりました。私はプライドと自我が傷つけられたと感じました。しかし同時に、苦しみを感じているのは「偽の自分」、つまり人間社会で後天的に形成された偽の自我であり、それは本当の自分自身ではないことに気付きました。そこで、仕事に対して不満の声を聞くたびに、不満や不公平感を取り除こうと努め、学校が私に何を望んでいるのか耳を傾けるようにしました。そして、恨みを抱くことなく彼らの要求に応えることを心掛けました。
師父はこうおっしゃっています。「治せなかったら、しおしおと元気を失いますが、それは名利心のせいではありませんか?」(『轉法輪』)
私は師父の法を心に刻み、落ち込む気持ちを克服し、理性的に問題に向き合うようにしました。
私に対する苦情の内容は次のようなものでした。体育の授業後、子どもたちが興奮しすぎて、その後の授業に集中できないこと。子どもたちがボール遊びをする時、壁や床を傷つけたり、窓を誤って割ってしまう可能性があるため、避けるべきだということ。子どもたちは走ったり、ハードル運動をしたりしてはならず、怪我をする可能性があるので、マットの上で静かに運動するのが望ましいということ。
私は重い気持ちで管理者の要求に従いました。
また、冬に窓を閉め忘れることが多いせいで、朝の教室がとても寒くなると苦情を言う人もいました。私はさらに注意を払い、学校を出る前に必ず窓が閉まっているか確認するようにしました。
また、未就学クラスの子どもたちがなぜ筆記体ではなくブロック体ばかり書いているのかという不満も寄せられました。私は表面的には、これらのすべての要求に従いましたが、心の中ではまだ不満を抱いていました。こうした状況が約2カ月続きました。しかし、管理者との衝突がエスカレートした後、私はようやく形式的に要求を満たすだけでなく、自分自身の問題を真剣に探すようになりました。
同時に、私は別の問題にも直面しました。私は小さな家を借りて住んでいましたが、家主は「冬でも暖かい」と嘘をついていました。実際には、家には電力消費の激しい暖房器具が1台あるだけで、冬の寒さをしのぐことはできませんでした。室内の温度はとても低く、約4°Cしかなく、水道管が凍りついてしまい、水が使えないこともよくありました。家で凍えながら、私は家主にもう1台暖房器具を購入してほしいと頼みましたが、彼はなかなか対応してくれませんでした。最終的に、私は自分自身の問題を真剣に見つめ直すことを始めました。
ちょうどこの頃、生徒の保護者や同僚が、私に「雪娘(スネグーラチカ)」というニックネームを親しみを込めて付けてくれました。私が家の中がとても寒いと話したことがきっかけでした。
スネグーラチカは、ロシアで非常に有名な童話の登場人物であり、有名な劇作家オストロフスキーの同名の戯曲の主人公でもあります。スネグーラチカは、雪と氷から作られた優しく美しい少女で、人を助けるのが好きですが、冷たい心を持ち、人を愛することも善や慈悲の心を持つこともできません。また、プライドが傷つくと嫉妬心を抱くという一面もあります。しかし、何を啓示しているのか気づきませんでした。
その時、ある児童のお母さんが「あなたの外見は雪の娘に似ている」と言いました。それは、雪の娘をよく演じるある女優が私の顔の形に似ているからだそうです。これが2回目の啓発でした。
職場に着いたとき、部屋の温度は23°Cあり、私にはとても暑く感じたため、薄着をしていました。同僚たちは羊毛の服を着込んでいましたが、私は窓を開けました。その結果、周囲の人々から「君のせいで寒くなった。私たちの気持ちを考えていない」と非難されました。これもまた「冷たさ」に関する問題であり、3回目の啓発と言えるものでした。
今回、私は自分自身を深く省みました。「雪娘」というニックネームが頭に浮かび、それが一つの手がかりとなりました。私はかつてこの童話と雪娘のキャラクターがとても好きでした。雪娘は雪から生まれ、可愛らしく、優しく、おとなしい少女で、この世には属さないかのように見えます。そして、私はずっと人とは違う、どこかこの世界から距離を置いた存在になりたいと思っていました。しかし、私は自分の内面に何かが凍りついているように感じました。それは冷淡な心、人々とのよそよそしさ、他者への配慮の欠如に関わるものでした。つまり、私は大きな善良さ、慈悲心、そして他者への思いやりを十分に示せていなかったのです。
私は法を学ぶことに力を入れ、何度も何度も内面を見つめました。さらに深く探求していくと、怨みの心の背後には、競争心と嫉妬に関わる何かがあることに気付きました。具体的には、自分が欲しいものを手に入れられないと、私は外界と疎遠になり、しかし心の中ではそれを得た人に嫉妬し、競争心を抱いている自分がいました。表面上は氷に覆われているように見えますが、その氷の下には激しい嵐が吹き荒れていたのです。
師父はこうおっしゃっています。「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」(『精進要旨』「境界」)。過去を振り返ると、私は以前、別の未就学グループで協力を通じて大きな温かさと愛を感じ、仕事は順調に進んでいました。しかし、一度競争が始まると、すべてが氷の層で覆われ、仕事中に衝突が生じました。
私はこれらのものを取り除き、それらを真の自分だと考えないようにしました。坐禅する中で、私の心は開かれ、私と対立する人々に対する怨みは完全に消え去りました。その後、私は協力と競争という二つの対立する現象について考えました。そして理解しました。新しい宇宙は、無私で助け合い、互いに協力する人々を含むものだということです。これは法を正す時期の大法弟子にとって、特に重要なことです。一方、旧宇宙では、生命はすべて私のためであり、自己の欲望を得るために互いに競い合っています。
私は悟りました。「雪娘」というキャラクターは、師父からの指摘であることに気づきました。私は疎遠や嫉妬の心を取り除き、それに代わって慈悲と温かい心を持つべきだと感じました。この悟りを得た後、私は心身に巨大な温かいエネルギーが湧き上がるのを感じ、それを他の人と分かち合うことができました。坐禅する中で、空間の中に葉や花が咲き、巨大なエネルギーと生命がその空間を満たしているのを感じました。以前、これらの執着心に気づき、ある一層を取り除きましたが、今またそれが現れました。これはさらにその層を取り除く時が来たことを意味しています。
内心が変化し、新しい思考方式を持つようになったとき、私の周りの環境も変わり、その変化を感じることができました。学校の管理者はもはや不満を言わず、私に対する態度も良くなりました。私は今、より多くの力を注ぎ、他者を考慮して行動しています。自分の職務範囲を超えた仕事でも、無私で取り組むことができます。私はもはや子供たちを「私の学生」と「他の学生」と分けることなく、平等にすべての人を受け入れています。言われのない目に遭ったときも、もはや怨みを感じることはなく、むしろ非常に感謝しています。なぜなら、仕事の中での対立が、私の中にある悪い競争心や嫉妬心を見せてくれ、それが執着を取り除き、心性を向上させるチャンスを与えてくれたからです。
師父に感謝し、修煉の中での向上の機会を与えてくださったことに心から感謝します!
また、同修の皆さんの助けと支援にも感謝します!
もし法に合っていない部分があれば、どうかご指摘ください。