文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月9日】法を学ぶにつれ、自分の責任の重大さと時間の切迫感をますます感じ、心が絶えず揺れ動いています。私たちはどのように揺るぎない全体を形成し、同修を包容すべきでしょうか。また、自己を放下し、包容力を高め、同修間の聖なる縁を大切にし、身近な修煉環境を大切にできるでしょうか。師父から与えられた機会を大切にして、三つのことをしっかり行い、どのように師父の聖恩に報いることができるでしょうか。
私たちの周りの同修のほとんどは1999年の「7・20」以前に修煉を始めた方々です。風雨の中、一つ一つの関、一つ一つの苦難を乗り越え、師父は私たちの手を引いて今日まで導いてくださいました。私たちは心の奥底から、一歩一歩が師父の慈悲深い見守りと手解きなしには成し得なかったと実感しています。師父の恩は人間の言葉では表現できません。しかし、今は同修の年齢も高くなり、退職して家事に追われる人や、子どもたちの世話に忙しい人、また、あらゆる老化が現れ、修煉に対して少し怠慢になっている人もいます。私たちは自己をできるだけ放下し、忍耐強く同修と交流して、共に向上し、より多くの衆生を救度すべきです。
(一)
Aさんは80歳ほどで、2年前のある日、糖尿病の症状が現れました。薬を飲んでも良くならず、家族に入院を強いられ、20日以上経って退院しても同じ状態でした。彼女がそのことを私たちに話したのはそれからで、私たちはようやくこの件を知りました。当時、私は心の中で彼女を非難し、「20年以上も修煉しているのに、まだこんなことをするのか」と見下し、常人の心で自分を正当化していました。私は二人の同修と一緒にAさんの家へ法を学びに行きました。みんなで交流している時、Aさんは内に向かって探さず、自分のどこが法に適っていないのか、どんな執着心を除去する必要があるのかを知りませんでした。ただ、自分が病気で薬を飲んだのは親族に言われたからで、良くならなかったし、病院に行ったのも親族に言われたからだと繰り返しました。私は彼女の執着心を見抜き、厳しく叱り、話す中でも善い心はなく、口調が強く、重く、強引でした。
自分の内心を振り返ると、私には他人を見下す心があり、彼女のためを思うのも純粋ではなく、不満や非難を含んでいました。私の傲慢さ、自惚れ、他人を非難する心が、Aさんを見るとすぐに彼女を見下し、妬み、気にかけず、放棄するといった態度を取っていました。法を学ぶことを通して、私は良くない考えを絶えず排除し、邪念が現れると「妬みの心を滅し、慈悲と善念を起こす」と唱えました。しばらく修煉した後、ようやく心が落ち着き、師父は他人を見下す心を取り除いてくださいました。彼女を見てもすっきりするようになり、何度かそうしているうちに、Aさんは自ら薬を飲まないことを決意し、法において真剣に修煉するようになりました。その後、私たち二人の間でまた小さなことで摩擦が生じ、交流の時、同修がどう弁解しても、私は自分の心を動かさず、内に向かって探すよう求めました。後でAさんは他の同修に、私がこの件をどう扱うかと尋ねました。その人は「これは一挙四得の良い機会だから、彼女はあなたに感謝すべきだ」と言いました。後の交流で、Aさんは私に謝罪しました。どのようなことであっても、Aさんが内に向かって探し、自分の不足を見つけたことは喜ばしいことでした。私は彼女に修煉を続け、常に内に向かって探し、自分を向上させるよう励ましました。私も自分が自己に執着し、高慢で他人を見下し、話し方が強引で、後天的に形成された観念で他人を測り、自分の観念に合わない場合は他人が間違っていると考え、自分を誇示する党文化的なものを持っていることを見つけました。私も誠実に皆さんに自分の不足を指摘するようお願いしました。Aさんは毎日法を学び、功を煉り、正念を発し、同修と一緒に真相を伝え、真相資料を配布して人々を救っています。
(二)
Bさんは70歳代で、昨年ようやく4年間の不当な投獄から解放され帰宅しました。邪悪な高圧的迫害と脅迫の下で反省文を書かされ、3カ月も経たないうちに、管轄区の派出所に再び連行され、拘置所に不法に1カ月拘留され、裁判中に保釈で帰宅すると、家にあった修煉のものはすべて略奪され、何も残っていませんでした。Bさんの配偶者はすでに他界し、娘一家三人と外部の負債があり、経済的負担が重く、4年間年金を受け取っていませんでした。さらに罰金もあり、生活はとても苦しい状況でした。幸い修煉者として帰宅後、法の学習と功の練習を強化し、彼女は健康を取り戻しました。
Bさんは私たちの小グループに来ましたが、私たちは彼女を嫌うことなく、生活面で気遣い、精神面で彼女の正念を強化し、法をもっと学ぶよう励ましました。困難が山積みでしたが、彼女は常に堅固で、最後まで修煉し、師父と共に帰ると表明しました。彼女は「厳正声明」を書き、時間を大切にして法を学びました。私はいくつかの同修から大法の書籍をすべて借りてきましたが、それらはすべて文字を修正する必要がありました。私は一冊ずつ学び、一冊ずつ修正しましたが、視力がぼやけているのに気づき、何か目を覆っているものがあるように感じました。拭いても同じで、私は警戒し、内に向かって探しながら文字を修正し、正念で旧勢力の干渉を否定しました。文字を修正する心がやや純粋でないことに気づきました。以前は文字を修正する時、真剣に不平を言わず、一心に法を学びながら修正し、それはとても神聖なことだと感じていました。何度も修正することで何度も法を学び、法理をより多く悟り、本当に一挙両得でした。今回の修正では、少し不満があり、同修のことを考えるのではなく、人心と人の念で、少しでも見返りを求める心、他人に認められたいという名利心がありました。心構えを正した後、心が楽になり、すぐに修正を完了しました。
すべての同修は師父の弟子であり、師父が管理し、平等に扱い、すべての人に師父の慈悲深い按排があります。Bさんは転んでも立ち上がり、常に前進しています。昨年から、彼女は同修と一緒に真相を伝え、人々を救っています。数日前、地域警察から電話があり、写真撮影のために彼女を探していました。彼女は「今回来ても、私は協力しない。写真を撮らせず、彼らに真相を伝え、彼らを救おう」と思いました。正念が強くなり、邪悪は解体し、彼らは写真撮影に来ませんでした。
私は師父の言葉に耳を傾け、法を得たこれらの同修を大切にし、同修の長所をより多く見て、心の容量を拡大し、同修と共に三つのことをしっかりと行い、師父の聖恩に報いたいと思います。師父に感謝します! 同修に感謝します!
個人的な体験であり、法に適っていない部分があれば、同修のご指摘をお願いします。